そこからのの記憶は曖昧になるが、DIOに横抱きされてカイロタワーを後にし、気が付いた時にはDIOの館のバルコニーにてDIOの膝枕で横になり、夜風に当たっていた。バルコニーは植物園も兼ねていて、日中は美しい花や観葉植物が彩る美しい場所だが、いまだ夜の闇は明ける様子がなかった。

「DIO様……」

 上体を起こすと、まだぼんやりした頭でここに至る経緯を自身のドレスを見て思い出す。そうだ、DIOとカイロタワーにディナーをしにいったのだった。そこで酔いが回って、そこから記憶があいまいになっていた。酒を飲んだせいか、頭がずきずきと痛んだ。
 DIOは館の壁に背中を預けて座り込んでカイロの街を眺めていた。起き上がったに視線をやると、にやりと口元を釣り上げた。

「おはよう。気分はよくなったか?」
「はい……しかし頭が痛いです……」

 DIOの隣に座りなおすと、は頭を抱える。カイロタワーからどうやってここにきたのか、記憶がすっぽりと抜けていて思い出せなかった。きっとお酒を飲んで、酔ってしまったせいだ。は恥ずかしいやら申し訳ないやらで穴があったら入りたかったし、嫌われたかもしれないと思うと涙が出そうだった。
 DIOはそんなの落ち込みようを見て、隣に座るの腰に手を回して密着する。

「次はどこへ行くか。のいきたいところに連れて行く」
「……また、どこかへ連れて行ってくれるんですか?」

 顔を上げたが、潤んだ瞳でDIOを見る。聞き間違いでなければDIOはまたどこかへ連れてくれると言っていた。少なくとも嫌われてはいないということだ。月明かりに照らされたDIOは、先ほど見たカイロの夜景なんかよりも美しかった。こんなに月が似合う人はきっとこの世にはいない。

「そうやって言っているだろうに」

 DIOがふっと力が抜けたように笑みを漏らす。普段の芸術作品のようなDIOも素敵だが、ある種人間のような表情を浮かべるDIOにの胸が確かに高鳴りを訴える。DIOに触れられている部分が熱い。

「ありがとうございます……」

 ふい、と視線をカイロの街に向けた。これ以上、踏み込んではいけない。もう戻れなくなってしまう。心臓に手をやり、必死に高鳴りをおさえようとするも、無理だった。



一歩ずつ前へ



 テレンスがを見かけたのは、太陽の光を受けながら館の中庭でペットショップの頭をおっかなびっくり撫でているところだった。ペットショップは賢いハヤブサで、DIOの命令に忠実なれっきとしたスタンド使いだ。DIOからしっかりと、ことは言われているのだろう、普段の残忍かつ気高い姿はどこへやら、甘えるように頭を垂れていた。テレンスの登場に、見つかったと言わんばかりに慌てて姿勢正すと、門柱まで飛び立っていった。ペットショップの驚きがにまで伝播したように、びくっと肩を震わせて、テレンスの方を見た。テレンスは小さく笑い、「さん」と名を呼んだ。

「昨夜は、楽しめましたか」
「テ、テレンスさん。まあ、そうですね……」

 最後の記憶がないは、曖昧に笑う。テレンスはその様子に首を傾げるも、深い詮索は失礼にあたると判断し、微笑み返した。はスタンドを持たぬ使用人だが、館の主の大切にしている女性だ。無礼を働けば、テレンスの首なんぞ文字通りすっぱり切られてしまうだろう。

「ところでテレンスさん、わたし……一刻も早く記憶を取り戻したくて、その努力をしたいんです。何か、いい方法をご存じないですか」

 記憶を取り戻してDIOと向き合いたいと強く思ったから、事情を知るテレンスに聞く。勿論、答えが返ってくるとは思っていないが、何かヒントがもらえればとは思う。

「記憶、ですか……私は医者ではないので詳しいことは分かりませんが、やはり過去関わったものに触れるのがよいのではと思いますが、いかんせんさんに関しては何も分かりませんからね。DIO様と会話をしながら導き出す……くらいしか私の頭では思いつきませんね」
「そうですよね……」
「間違っていたら大変恐縮なのですが、さんはエジプトの出身ではないと思うんです。もしかしたらイギリスとか―――」

 イギリスと言う単語に、の脳内で様々な情報が流れるように繋がった。そして雷が落ちたような衝撃で、頭の中で電球がぴかっと光った。

「そうです!! わたしは……イギリスに住んでいました!!」

 思い出してしまえば、なぜ思い出せなかったのだろうかと思うくらい、当たり前の情報な気がした。そう、自分はイギリスの出身だ。その情報に引っ張られるように、関連した情報がの頭の中から掘り起こされる。

「イギリスの……ロンドン郊外に……そうです………ッ! 住んでおりました、大きな屋敷で、ひとりでは、なかった気がします……ッ」

 雪崩のように押し寄せる断片的な過去の記憶の数々に、の頭が鈍く痛む。が見た記憶だろうか、しかしどの場面ももやがかかっていてうまく認識できず、記憶に留まらずに通り過ぎていく。けれどひどく懐かしい思いが胸のうちに広がって、は涙が出そうになる。
 苦しそうなの様子に、テレンスが心配そうに背中を擦る。女性の小さな背中はか細く、ちょっとでも力を入れれば壊れてしまいそうだった。

「大丈夫ですかさん、あまり無理はなさらないでください」
「すみません……でも、ちょっとだけ、思い出せました。こうやって誰かと喋るだけで、思い出せるものですね」

 嬉しそうに微笑むの目から大粒の涙がぽろぽろと零れていく。
 確かに彼女が自分の出生に関わることを思い出したのは大きい。これがきっかけに色々なことが思い出せるとよいのだが、とテレンスは思うも、同時になぜDIOはに対して何も教えないのだろうかと言う疑問もある。聡明なDIOのことだ、何か意図があるに違いない。それがの為なのか、はたまたDIOの為なのか、テレンスにはわからない。
 ふとそこで、この場面をDIOに見られたらと考えて、背筋が冷たくなった。は泣いていて、テレンスは背中に手なんかまわしていて……テレンスは太陽が昇っていることに心から感謝するとともに、まわしていた手をそっと元に戻した。
 その後は昨夜DIOに膝枕をしてもらったバルコニーにやってきて、夕暮れに染まっていくカイロの街を眺めながら自らの過去に思いを馳せる。名前はで、イギリスのロンドン郊外に住んでいて、幼き頃のDIOからリボンを貰ったことがあるということは、DIOもきっとイギリスに住んでいたはずだ。沢山の人と住んでいたような覚えがあるのだが、どういうことなのだろうか。今のように、DIOに仕えていたのだろうか。思い出したひとつひとつの情報を眺めてみたり、つついてみたりしても、中々そこから新しい記憶は思い出せなかった。どうやら煮詰まってしまったみたいで、はうーん、と唸り首を捻った。
 しかし今いるのはエジプトだ。なぜ遠く離れた地でDIOは暮らしていて、も一緒にいるのだろうか。

「ま、さか……」

 にわかには信じ難いし、認めたくないが、実は自分は罪人で、それを庇うためにわざと遠くへやってきているのだろうか。だから聞いても教えてくれないのではないだろうか。そう考えたらサァっと血の気が引いてきた。

「イギリスで……人を殺した……なんてことでしょう……」

 は頭を抱えてうずくまる。

「誰の話をしている」

 頭上からの声にはぱっと顔を上げる。険しい顔をしたDIOがそこにはいた。いつの間にやら陽は沈み切って、夜の闇が支配する世界になっていた。