部屋着から着替えたところで呼び鈴が鳴る。三谷がきたのだろう。女子には準備というものがあるというのに、幼馴染はそんなこと露知らず、電話を切ってすぐに向かってきたらしい。近所と言うのも考え物だ。は慌てて階段を降りると「祐ちゃん、お久しぶりね!」と母の声が聞こえてくる。玄関に向かうと、祐ちゃんこと三谷が片手を挙げた。 「よっ」 「じゃあお母さん、いってきまーす」 「気を付けてね、帰りに牛乳よろしく!」 「はいはーい」 は靴を履くと、三谷と共に家を出た。三谷は迷う素振りもなく、すたすたと歩いていく。そんな三谷に、当然の疑問を投げかける。 「どこいくの?」 「秘密」 「えぇ!」 まさか教えてもらえないとは思わず、は非難の声を上げる。 「ケチ祐輝」 「ケチとは何だ」 は笑い声をあげる。 「とりあえず本屋行くぞ」 「本屋? 祐輝って本とか読むんだ」 「お前ね、今度囲碁でぼこぼこにするかんな」 碁会所に入り浸るようになった三谷と心の距離が少しだけ開いてしまった気がしていたにとって、こうして昔みたいに三谷と遊びに行けることは嬉しかった。それもこれも囲碁を始めたおかげだ。帰りは一緒に帰れるし、一緒にいる時間が増えた。と、そこまで考えて、嬉しがっている自分を不思議に思った。まるで三谷と一緒にいたがっているみたいだ。 (まあ、あながち間違ってもないか。祐輝と一緒にいないって、なんか考えられないし) 小さい時からずっと一緒で、意地悪もされるけど、なんだかんだ最後には優しい。一見クールそうだけど、実際にはそうでもない。それがにとっての三谷。三谷と一緒にいないと言うのは考えたことはなかった。いつかは三谷も彼女を作って、と一緒に遊びにいってはくれなくなるのだろうか。 とはいえ、細かいことを考えるのは後だ。今はお休みを楽しむべきだ。 「祐輝とお出かけするの久々で、なんかワクワクしてきちゃった」 「なんだそれ。登下校一緒じゃん」 三谷がニヤと笑う。 「登下校と、お出かけは別だよ」 は隣を歩く三谷の顔を見上げる。ついこの間までは同じくらいの背格好だったが、少し背が伸びた三谷。も三谷も、少しずつ大人になっているのだと感じた。 あんまりよそ見をしていると危ないので、すぐに視線を前に戻す。 「とかいって、昨日は進藤と遊んだんだろ」 「そうだけど」 その言葉で、先日の三谷の激昂を思い出す。 今の三谷の声色は、怒っていると言うよりは、面白くなさそうだった。何がそんなに三谷の中で引っかかっているのだろうか。には不思議で仕方なかった。 「……オレとだけ遊べよ」 ぼそっと三谷から吐きだされた言葉。 オレとだけ遊べ? まさかそんな事言われると思わず、は三谷の顔を見ようとするが、すかさず三谷の手がの頬にぴたりと当てられて、そのまま押し戻された。視線は顔面ごと強制的に前へと戻る。もう一度首をまわそうとするも、中々に強い力で押されているため、それは叶わなかった。 「うるせえ」 そしてがなにか言う前に、三谷が牽制するように言う。 「まだなんもいってないよ」 「が何言うかなんてわかるから先にいったんだ」 「超能力者か何かだっけ」 「のことなら大体わかる」 不意に昨日の去り際に佐為が見せてくれた笑みを思い出して心臓が跳ね上がり、急速に顔が熱くなる。三谷には、の頭の中から佐為の笑顔が離れないこともお見通しなのだろうか。だとしたら、とてつもなく恥ずかしい。そんな自分を気づかれたくなくて、は頬に添えられた三谷の手を握ると、頬から離してすとんと落とした。 「なっ」 三谷が困惑の声を上げる。はその声で、結果的に手を繋いでいる事実に気づいて、慌てて離す。 「ごごご、ごめん。ほっ、本屋で何買うの」 いささか強引だが、は無理やり話題を変える。三谷は頭をがしがしとかきながら、「秘密」と呟いた。 それから若干の気恥ずかしさが二人の間には残って、それを持て余していた。 (祐輝の手、熱かったな……) 三谷の手はの手よりもごつごつとしていて、節っぽかった。 もしも佐為と手を繋げたら、佐為がどんな手をしているのかもわかるのだろうか。きっと細くて、しなやかで、艶やかなんだろうな、と想像する。 しかし、いつか触って確かめてみたいというささやかな願いは、絶対に叶うことがない。その決して変わることのない事実に胸がちくりと痛んだ。 +++ 三谷の宣言通り、駅前通りの本屋にやってきた。は黙って三谷のあとについていく。迷いのない足取りで、三谷は進み、がまず立ち入らなそうな「趣味・実用」と書かれたコーナーへと吸い込まれていく。三谷は目的の本棚の前で立ち止まると、指を彷徨わせながら上からタイトルを見ていき、そして目当ての本を手に取る。 その後は雑誌コーナーで音楽の雑誌を一冊とり、レジへと向かった。は少し離れた場所で待っていたのだが、程なくして三谷は戻ってきた。 「これ、やる」 「ん?」 三谷は二つ茶色い袋で包装された本を持っていて、そのうちの分厚い方の本をに寄越した。ひとまず受け取り、は目を丸くする。 「何これ」 「初心者のための詰碁集」 「しょ……つめ、ご……詰碁集!? え!? なんで? 誕生日だっけわたし?」 「ちげーだろ」 突然の三谷からのプレゼントに、はテンションが上がる。手元の袋と三谷の顔とを見比べる。三谷の顔はほんのり赤くなっていて、照れたように視線をずらしている。 誕生日でもないのにプレゼントをくれるなんて、どういう風の吹き回しなのだろう。 「じゃあなんで? なんで急にプレゼントなんて?」 「うるっさいな。ほら、次行くぞ」 「えーなになに、ほんとになんで? でもありがとう、祐輝!」 「ん」 「ほんとにほんとにありがとう!」 「わぁーったっての」 なぜ急にプレゼントをくれたのかはわからないが、とにかく囲碁の上達のために三谷が気にかけてくれているということだ。なんと嬉しいのだろう。何回お礼を言っても伝わりきらない気がするが、これ以上言うと怒られそうなので、ここらへんで勘弁しておく。 |