![]() ![]() 「でも私、継子をとるなんて思わなかったなぁ」 任務も終わり、甘露寺邸への帰り道。蜜璃がポツリと言う。 「あの時のことを思い出したら、なんだか恥ずかしくて……でもあの時しつこく頑張ったから今があると思うと本当に頑張ってよかったです」 は三顧の礼よろしく、足繁く甘露寺邸に通いつめ、ついに恋の呼吸を学ぶことを認めてもらい、ひいては継子の座を勝ち取ったのだった。 すべてはこの恋柱の甘露寺蜜璃にが一目惚れをしてしまったのがはじまりだ。 もともと炎の呼吸を使っていたは、蜜璃の存在をおぼろげながら知っていた。甘露寺蜜璃という可憐な女性が炎柱の煉獄杏寿郎の継子になったと。さらに男顔負けの剛力とも言われていて、はその結びつきようのない情報に、甘露寺蜜璃の想像がうまくできなかったのを今でも覚えている。 その甘露寺蜜璃が炎柱の勧めもあり継子をやめて、独自の呼吸を極め始めたと聞いたときに、再び甘露寺蜜璃について思い出し、興味が湧いた。それから彼女は程なくして、恋柱になった。 柱になれる人間は一握りで、誰よりも呼吸を極めてその高みまで登り詰めなければなることができない。そんな存在に、わずか数年で甘露寺蜜璃はなったのだ。しかも独自の呼吸で。 そして運命の日がきた。は偶然にも蜜璃と同じ任務に就くことになり、そこですべてを根こそぎ持ってかれた。特殊な日輪刀、すらっとして華奢な身体なのに女性らしい体つき、まん丸で大きな瞳、にじみ出る優しさ。もうこれは恋の呼吸を極めるしかないと勝手に誓ったのだった。 無事に任務を終えて、お礼もそこそこには、あの。と口火を切った。 『恋柱様、ぜひわたしに恋の呼吸を教えてくれませんか』 『ええっ!? えっと、さんは炎の呼吸を使っているのよね? あの……結構、恋の呼吸って、特殊みたいで、その……』 遠回しに断られている。は涙が出そうなほどの悲しみに打ちひしがれるが、こんなことで諦めるではなかった。普段、押しは弱い方だ。断られたらあっさりと引き下がる方だ。けれど、今回は違った。どうしても蜜璃の教えを受けたかった。 『急なお願いをいたしまして、申し訳ございません。でも、わたし、諦めません! 甘露寺さまに認めていただけるその日まで、何度でもお願いします』 蜜璃自身、このときは弟子を持つ程の自信を持てずにいた。自分に教えられるのだろうか、この子の隊士として力を伸ばすことができるのだろうか、恋の呼吸を教えたことが巡り廻って鬼に殺されてしまうような結果にならないだろうか、と考えれば不安はいくつも出てきて、柱になりたての蜜璃は首を縦に振ることはできなかった。 しかし、宣言通り甘露寺邸に時間を見つけてはやってくるに、とうとう蜜璃の胸はときめいたのだ。 『ちゃん! 恋の呼吸を教えます!!』 『ほんとですか!?』 このときの胸の高鳴りは、忘れられない。ほの暗い洞窟を抜けた瞬間、眼前に色とりどりの花々が咲き誇る花畑が現れたような、そんな素敵な気持ちだった。 恋の呼吸は炎の呼吸から派生したこともあり、理央は奇跡的に恋の呼吸とも相性が良かったわけだが、兎にも角にもは恋の呼吸を教わることになったのである。 蜜璃と出会い、炎の呼吸から恋の呼吸を極め始め、そして水柱と出会った。色々あったなぁ、とこれまで辿ってきた道に思いを馳せる。決して平坦な道ではなかった。蜜璃の言うとおり、恋の呼吸は特殊であることと、蜜璃の教え方が“考えるより感じろ派”であるため、会得には相当苦労した。けれど、蜜璃に少しでも近づきたい――その気持ちが原動力となり、ついには継子と言う座まで上り詰めることが出来た。 「あのとき、何度も私のところに来てくれてありがとうちゃん」 優しく目元を細めて蜜璃が言うので、は胸が苦しいほど温かい気持ちでいっぱいになる。 「お礼を言うのはわたしのほうです。蜜璃さま、わたしに恋の呼吸を教えてくれてありがとうございます。継子にしてくださってありがとうございます。今後ともよろしくお願いします」 立ち止まり、ぺこりと頭を下げると、蜜璃も立ち止まり、「こちらこそ!」と頭を下げる。ここから暫く、お辞儀の応酬が続いたとか。 +++ ついに待ち焦がれた時がやってきた。太陽が昇りきったところから徐々に地表へと近づいていく午後の昼下がり、甘露寺邸の中庭で日輪刀の素振りをしていると、の頭上に影が差し、通り過ぎていく。何の気なしに見上げれば、手紙を携えた鴉がふらふらと飛んでいるではないか。あの年を召した鴉は、見たことがある。間違いない、冨岡の鴉で、名前は確か――― 「寛三郎さん!!」 思わず呼べば、鴉はの存在に気づいて、滑空して近づいてくる。は日輪刀を鞘に仕舞い込むと、寛三郎は携えていた手紙を、の手元から微妙にズレたところに落とした。手紙は無情にも地面に着地する。 「手紙ジャ……」 寛三郎の言葉を聞きながらは慌てて手紙を拾い上げ、縁側に置く。お礼にはならないだろうが、おやつとして食べようと思って縁側に置いていたビスケットを一枚砕き、それを左手に乗せて寛三郎に見せる。 「配達ありがとうございました。お召し上がりください」 「感謝スル」 の右手で羽根を休めると、小さなくちばしでビスケットを啄む。半分くらい食べると、寛三郎は帰っていった。するとどこからともなくの鎹鴉がやってきて、残りのビスケットを食べ尽くしていった。 ぱんぱんと手を叩いてビスケットの粉を払うと、は縁側に座り込んで真っ白な封筒を掲げる。この中には冨岡からの文が入っている。そう考えるだけで心臓が忙しなく動き出す。震える手で封を破り、中から便箋を取り出すと、文面に目を通した。 いつも通り文は簡潔で、鮭大根を食べに行く日について、三日後はいかがだろうか、とのことだった。三日後は今のところ任務はなかったはずだ。勿論、急遽任務が入ることはお互い大いにあり得るが、その時はその時だ。 すぐに返事をしたためるか、訓練が終わったあとのお楽しみにとっておくか迷うも、後に取っておいたら、気もそぞろになってしまい、訓練に身に入らない気がする。そのため、すぐに返事を書いて、さっぱりとした気持ちで訓練に挑むことにした。自室で呼吸を整えて、できるだけ綺麗な文字で文字を連ねる。こうして手紙を書いているときはいつも、頭の中が冨岡でいっぱいになる。 (手紙を書くとき、冨岡さまもわたしのことをちょっとでも考えてくれたかな) 冨岡の頭の中に少しでもの存在が浮かんだと考えると、身体の芯が甘く痺れるような心地になる。手紙を書く手を止めて、心臓に手を当てて大きく深呼吸をする。落ち着け、落ち着け。恋の呼吸の弐ノ型は“懊悩巡る恋”だが、まさしく今そんな状態な気がする。 恋の呼吸を使うときは、心が燃えるような、熱い血潮が身体中を巡るような、そんな生き生きとした情熱が駆け巡る。それこそ、恋しているときのような状態だ。恋する気持ちと恋の呼吸は、きっと底の方で繋がっているのだと思う。だから、冨岡に恋をしてからと言うもの、恋の呼吸がより身体に馴染んだような気がしている。あくまで自論だが。 手紙を書き終えて訓練を再開し、あっという間に日が暮れる。夕食の時間、蜜璃に三日後に冨岡とお出かけする旨を伝えると、頬をリンゴのように赤く染めて、歓声を上げた。 「第二回デートなのね! キュンキュンしちゃう!! どうしましょう、お洋服は何着る? それから髪型は? もう、目いっぱいおしゃれしないと!!」 よりも蜜璃の方が楽しそうで、は自然と頬が緩むのを感じる。のことを、自分のことのように喜んでくれる蜜璃が大好きだ。きっと小芭内も蜜璃のこういう純粋なところに魅力を感じるのだろう。 「本当に蜜璃さまは素敵な女性ですね。わたしが男だったら、何回フラれても一生蜜璃さまのこと好きでいると思います」 「ええ、急にどうしたの? すっごく照れちゃうわ。私もちゃん大好きよ」 キュンを通り越して、ギュンと心臓が締め付けられた。伊黒には申し訳ないが、これは継子の特権だ。目元を優しく細めて、慈しむように言う蜜璃は、女神そのものだった。 |