![]() ![]() 伊黒が問う。 『うん? 今はいるはずだけど』 『冨岡も会議のあと、予定はないであろう』 『……』 『沈黙は肯定。貴様のような奴は私生活の予定など皆無だろう。俺に考えがある』 「ちゃん聞いて!!」 興奮気味に帰ってきた蜜璃。今日は確か、柱合会議の日だったはず。が慌てて玄関まで向かい、おかえりなさいと迎え入れれば、あのねあのね!! と蜜璃は興奮をそのままに話し出した。 「冨岡さん! 連れてきちゃった!!」 「……え?」 今なんて? 「これから上がってもらっていいかしら?」 「え!? あ、え? あ!!」 言語を忘れてしまったかのように、何も言葉が出てこなかった。 いいよね? と蜜璃が首を傾げたのと、扉ががらがらと開いたのは、ほぼ同時だった。扉からは伊黒と、そしてもう一人の男。その男の姿を捉えた瞬間、の心臓がぎゅっと鷲掴みされた感覚に陥った。思わず心臓に手を当てる。特徴的な半々羽織に、深い静けさを湛えた藍色の瞳。 「あ……伊黒さま………」 「、息災そうだな」 殆ど無意識に床に座り込み、三つ指をついて頭を下げた。 「伊黒さまも息災そうで……!」 「顔を上げろ。冨岡を連れてきた」 そんなことを言われても、実のところ顔をあげたくないのだ。この上なく恥ずかしくて堪らない。何が恥ずかしいのかはよく分からないが、とにかく、かの男の視界から今すぐにも消え去りたいような衝動に駆られた結果、顔を伏せたのだった。だが伊黒に顔を上げろと言われた以上、これ以上伏せているわけにもいかない。じわじわと体勢を元に戻したが、顔だけは伏せたままで、自分の太ももの上に固く握っている両こぶしを見つめた。 「あのぅ、あがりませんか? お茶を出しますよ」 「お茶を出してまいります!!」 すっと立ち上がり、は台所へ走り去った。残った蜜璃と伊黒は顔を見合わせてしばし沈黙するも、客間へと向かった。 『柱合会議のあと、俺と冨岡で甘露寺の屋敷へ行き、と引き合わせる。それなら問題ないだろう』 『まあ! それは名案よ伊黒さん! ぜひぜひうちの屋敷へきて!』 男一人が女二人暮らしの屋敷にあがるのは問題で、男二人が女二人暮らしの屋敷にあがるのは問題ではないというのは滅茶苦茶な理論であるが、蜜璃は伊黒が自宅に来てくれるのが嬉しいため何の違和感も感じなかったし、冨岡はもはや、なんでもいい。と思っていたため、ぼんやりと産屋敷の庭を眺めていた。 そんなわけで急遽、男二人が、甘露寺邸にやってきたわけだ。 (どどどどどどうしよう……間違いなくあの人よ、やっぱり冨岡さまがわたしの恩人様よ……) 震える手でティーポットに紅茶の茶葉を入れる。の頭は既に爆発寸前だった。 「ちゃん、突然でビックリしちゃったわよね」 「みっ、蜜璃さま! そうですね、その……混乱しています」 「あ、あら!? 茶葉入れ過ぎて溢れ出てるわよ! ちゃん、お茶は私が淹れるから、お部屋でお洒落してらっしゃい」 「ああああれ!? すみません蜜璃さま……」 言われてティーポットを見れば、茶葉が山のようになっていた。穴があったら入りたいとはまさに今の状況だ。蜜璃に背中を押されて、台所を追い出されてしまった。お洒落といっても、に出来るお洒落なんて、殆どない。今度一緒にモダンガールの恰好をして町を歩きましょうね! と言われて蜜璃に買ってもらった着物や帽子、髪飾りがあるが、屋敷でひとりモダンガールの恰好はかなり浮いてしまう。それに相手は隊服を着ている。 悩みに悩んだ末、結局は髪飾りを付けることにした。鏡台の引き出しにはあの時の手拭いが宝物のように丁寧にしまってある。 「これを返す日が来たのね……」 この手拭いを見ているだけであの日の夜のことを思い出して胸が締め付けられた。でももうお別れだ。さようなら、と呟いて、はいよいよ客間向かった。 客間には冨岡がひとり着座していて、紅茶が二人分置いてあった。蜜璃と伊黒の姿はない。の想定では四人でお茶を飲む予定だった。想定と違う。 蜜璃さまはどこ? 探す? でも冨岡さまを一人置いてまた出ていくのは失礼よね? どうしよう、覚悟を決めて入るべきだよね……? 一瞬の間で色々な考えが頭を巡って、結果、 「し、失礼します」 冨岡の前に座った。椅子に座り、視線を上げれば、冨岡と視線がかち合った。顔に熱が集中するのを感じる。 「改めまして、と申します。先日は大変お世話になりました」 「冨岡義勇だ」 どきどきと自分の心臓が煩くて、冨岡に聞こえているのではないかと少し怖くなる。全集中の呼吸をしているときよりも、しんどい。 「申し訳ございません、お礼の一つでもお渡ししたいところなのですが、なにぶん、準備をしていなくて……」 「礼など必要ない」 「いえ、必ずお礼はさせていただきます。それからあの時の手拭いをお返しいたします」 手拭いを差し出せば、冨岡は、結構だ。とぴしゃりと言い放った。 「あ……そうでしたか」 「不要だったら捨ててくれて構わない」 「不要ではありません! 絶対に捨てません!」 差し出した手拭いを反射的に引っ込める。 「わたしにとっては宝物です」 「……そうか」 なぜ手拭いが宝物なのか、冨岡は理解が出来なかったが、とりあえず呟いた。 「冨岡さまがこの手拭いをいらないと仰るのでしたら、わたしがもらっても構いませんか? わたしにとっては、この手拭いは冨岡さまとの思い出なんです、大切な宝物なんです」 きゃあー! という蜜璃の絶叫がどこかから聞こえてきた。冨岡の耳には入ったが、夢中で喋るの耳には入ってこなかった。 「……構わない」 手拭いが思い出で、宝物。おおよそ冨岡にとっては理解しがたい話ではあったが、と言う女にとってはそうらしい。不思議な女だ、と冨岡は心中で思う。 「責任をとれと言われた。どう責任をとればいい」 「はい……責任ですか?」 “冨岡は言葉が足りない。”冨岡をよく知るものにとっては当たり前で、周知の事実ではあるが、はそのことを知らない。だからこそ、急に責任の話になり、困惑した。なんのことだ。何の責任だ。 「の腕を怪我させた責任だ」 「ええ! いいえ! 自分一人の任務でしたし、ケガをしたのは自分が未熟だったせいです。冨岡さまがいなければ、今頃わたしは死んでいました。で、でも!!」 これは、もしかすると好機かもしれない。 「わたしは冨岡さまのことをもっと色々知りたいです。話しかけたり、お手紙をお送りしてもよろしいでしょうか」 「……そんなことでいいのか」 「は、はい!! もちろんです。わたし、冨岡さまとお近づきになりたいと思っていましたので……!」 変な女だ、と冨岡は困惑する。そもそも誰かが自分に対して興味を持つこと自体が、よく分からなかった。自分は興味を持つに値しない人間だ。 「だが俺は話すのは好きではないし、筆まめでもない」 「うっ……ほどほどにいたします。嫌がることはいたしません。それから、今度お屋敷に、お礼の品をもっていってもよろしいでしょうか」 が踏み出した一歩はとどまることを知らずに駆け続ける。後で振り返った時に、こんな積極的にぐいぐいと迫っていることを大いに恥じるのだろう、と頭の隅の冷静な自分が思うが、今はまだ勢いのまま駆け抜けたかった。 「礼は不要だ」 「わたしの気が済みません。そこだけは何卒、ご容赦願います」 「……好きにするといい」 冨岡が折れた。やっと掴めた冨岡との接点は、かろうじでまだ繋がり続けてる。また、冨岡と会える。そのことが嬉しかった。 |