![]() ![]() 『頑張って……生きて帰ってくるのよちゃん』 『情報だとそこまで強い鬼ではないらしいので、大丈夫ですよ師範。明日の朝には帰ります!』 『わ〜〜っ! 私もついて行っちゃだめかしら……?』 『うふふふ。お気持ちだけいただいておきますね』 蜜璃と今朝がた交わしたときの情景が脳裏によみがえる。ああ、あんなことを言ったからだろうか。情報よりも幾分強い鬼に、追いつめられている。血気術の使い手―――異形の鬼だった。 「恋の呼吸、弐ノ型……懊悩巡る恋!」 この鬼は固くて駄目だ。頸を斬りたいのに、何度斬りこんだって頸は繋がったまま。腕や足は斬れるのに。 斬撃の合間、鬼が拳を繰り出してきての右腕に衝撃が走る。これは間違いなく、折れてしまった。宙を舞い、鬼と距離をとる。 (これはまずい……師範、帰れないかもしれません) 死を意識した。敵前逃亡も頭をよぎった。でも……そんなのは絶対いけない。この鬼は人間を何人も食べている。ここで、なんとしてでも倒さなければ。自分がダメでも、この後来るであろう応援の隊士がきっと倒してくれる。少しでも弱らせておかないと。自分は誇り高い鬼殺の隊士なのだから。 「死ねェ……小娘」 鬼が、決着をつけようとこちらへ走り出した。怖い、怖い、死んでしまう。 「陸ノ型!! 猫足―――」 蜜璃さま―――― 「よく頑張った」 凛とした声が背後からすっと聞こえた。次の瞬間には、の頭に振りかぶっていた鬼の腕を造作もなく斬り、次の斬撃で、あれほど苦労した頸をこともなさげに斬り落としていた。 (たす、かった……?) 鬼は絶命した。突如現れた鬼殺の隊士によって。月明かりに照らされたその顔は、なんとも美麗であり、命を救われたことも相まって、には神さまのように見えたのだった。男は髪をひとつに縛り、特徴的な半々羽織を着ていた。 「大事はないか」 「はい……。ありがとうございました」 こんなに強く素敵な人が鬼殺隊士の中にいたなんて、全く知らなかった。深い蒼を湛えたその瞳は、深海を思わせた。こんなに強いのならば階級も相当上だろう。 「怪我は」 「右腕が損傷していますが、問題なく帰れます」 男の瞳がちらとの右腕を捉えた。 (ああ、蜜璃さまを悲しませてしまう。蜜璃さまを悲しませることだけはしたくないのに……。修行しなくては) 「夜明けまでまだ時間がある、念のため一緒にいこう」 「あ……はい」 言われてみれば、月の位置から言って夜明けまではまだまだ時間がかかりそうだ。今鬼に襲われたら、間違いなく倒せないし、最悪死ぬだろう。とんでもなく申し訳ないが、ここは男の言葉に甘えることにした。 「ありがとうございます」 早速歩き出した男の背中に慌ててお礼を言うが、彼は立ち止まることも、振り返ることも、返事をすることもなかった。ちょっぴり残念だが、彼のあとをついていく。 男は時々振り返っては、がきちんとついてきているのを確かめる。何回目か振り返った時に、ぴたりと立ち止まり、そのまま無言でまで歩み寄った。 「折れているのか?」 「はい、おそらく……」 「なぜ早く言わない」 「すみません……」 怒られた。無表情で言われるとすごく心に突き刺さった。男は長めの布を羽織から取り出した。 「簡単だが固定をする。触るので痛むが、我慢できるな」 「頑張ります!」 男はの折れた腕をとり、その布を使って固定をしてくれた。触ったり動かしたりするたびに焼けるような痛みが走り、思わず声を出しそうになるが、我慢だ。恋柱の継子は強いのよ! と心の中で自分を励ます そして、当然ながらすごく近い距離で処置をしてもらえるものだから、呼吸するのも躊躇ってしまう。鼻息がかからないようにと意識すると、息をするのを自然と止めてしまい、ともすると痛み途端に広がるので慌てて全集中の呼吸をする。それを繰り返していた。 「終わった。戻ったらきちんと治療を受けるといい」 「何から何までありがとうございます」 それからの道中、変わらず何もしゃべらなかったけれども、やはり時折振り返ってはを気にしてくれているところや、彼が骨折を処置をしてくれたという事実がの心を温かくした。勿論右腕は焼けるように痛いが、なんだかそれすら愛おしく感じる。 帰路の途中、藤の家紋を掲げた屋敷があったため、男はそこで一休みするように言ってくれた。ここでお別れなのは寂しいが、男の言う通り藤屋敷で休むことにした。 男の後姿を、姿が見えなくなるまで見守った。 「あ、お名前を聞けばよかった……」 いなくなってからはっと気づく。半々羽織の美しい男の方、次またお会いできれば嬉しい。男の顔を思い浮かべれば、胸がぎゅっと締め付けられた。 屋敷では、それはそれは丁寧におもてなしをいただいて、まだ夜も明けぬというのに医者まで呼んでもらい、案の定、骨折の診断が下された。暫くは何もできそうにない。添え木とともに、がっちがちに右腕は固定されて、痛み止めを処方された。 「宮さん宮さんお馬の前にヒラヒラするのは何じゃいな」 痛み止めはすぐ効かず、痛くて眠れそうになかったため、縁側で黎明時の空を見上げて歌を口ずさむ。左手には男が巻いてくれた布がある。布は、手拭いのようだった。 「トコトンヤレ、トンヤレナ」 蜜璃の姿が思い浮かんで、はっとする。もしかしたら蜜璃が心配するかもしれない。鎹鴉に、ひとまずは無事の旨と、帰るのが少し遅れる旨を伝えてもらうべく、甘露寺邸に向かわせた。しかしの鴉はボケボケなところがあるので、上手く伝えられるか心配だ。鎹鴉がきちんと甘露寺邸の方向に飛んでいったのを確認し、ひとまず胸をなでおろした。 そして改めて、手に持った布に視線を落とす。 「なんて名前なんだろう……」 無意識に手拭いに顔を寄せてどんな匂いがするのか嗅いだ。お日様の匂いだ。どきん、と胸が深く脈を打つ。と、次の瞬間には自分のしていることに羞恥の念を抱く。何を匂いを嗅いでいるのだ! 変態のやることよ!! と慌てて手拭いを顔から離す。 けれども、この布を返すいい口実が出来たのでは? と考えが浮かぶ。名前も、何の呼吸の使い手かもわからない。わかっているのは半々羽織と、深い蒼の瞳、一つに結んだ髪の毛。この布を頼りにまたお会いすることが出来たら、きっと今度は名前を聞こう。 きっとあの方からしたら、この手拭いなんて渡したことすら記憶にないくらいの小さな出来事だろう。でもにとっては、大切なきっかけだし、大切な思い出になった。何よりにとっては命の恩人だ。 気が付けば右腕の痛みも和らいできた。痛み止めも効いてきたのだろう、そろそろ寝られそうだ。寝返りをしないように気を付けよう。と思いつつ、布団に入った。 半々羽織の命の恩人 (2020.08.09) 本当はもう少しあとに出会おうと思ってたのですが、冨岡連載と名乗る以上、 早めに出会わねば……と思いとりあえず登場しました冨岡さん。 |