様は姉上たちとともに旅をして、奈落を、四魂の玉を滅ぼしたお方だ。もともとは人間で、未来の世に住んでいるのだが、訳あって今は妖怪としてこの時代を生きている。 俺はと言うと、今は妖怪退治屋の頭として少しずつ退治屋の仕事を広げている。様は長い旅路で身に着けたそのお力を退治屋にお貸しくださっている。妖怪退治屋に妖怪がいるなんて変かなあ、なんて眉毛を八の字にしていた様だったが、退治屋の中では抜きんでて強いし、彼女がいなければ退治できなかった妖怪だって沢山いる。依頼があれば率先して退治に出向いてくれるし、なくてはならない存在だ。とはいっても妖怪について詳しいのは俺なので、俺が指示をしてそのとおりに動いてもらっている。様の生国の言葉でいうと、俺たちの関係は“バディ”とやららしい。 そして俺は、その様のことを密かに想っていた。 「琥珀くん、次の依頼なんだけどさ」 俺の家の縁側で並んでお茶を飲みながら様がこちらを見る。俺はぼうっと様に見入っていて、視線が合ったことでどきりと心臓が跳ねた。様は訝しげに眉を顰める。 「今ぼうっとしてたでしょ」 「あ……はい、すみません」 俺は素直に謝る。 様は美しい。姉上もかごめ様も綺麗だけど、様は浮世離れしているような美しさがあった。造形美と言うよりかは、人間であり、妖怪でもあるその不思議な存在が相まって美しいのだと思う。あとは単純に、俺が素敵だと思うから。どちらかと言うと後者の方が大きいかもしれない。だからこうして見惚れてしまうことがある。妖怪退治屋が妖怪に惚れるなんて、何の冗談かと笑われてしまうだろうか。 「それで、なんですか様」 「大した話じゃないからいいの。それより、いい加減その様付けやめてよね」 「様こそ、くん付けはやめてくださいよ、照れ臭いです」 「だって琥珀くんは琥珀くんだもん、可愛い弟でしょ」 そう、様は俺のことを弟としか思っていない。確かに年齢はいつまで経っても追い越せない。彼女は妖怪だからこれから先も同じ容姿でずっと居続ける。だから見た目こそ追い抜いても、実年齢はいつまで経っても追い越せないから、俺はいつまでも様の弟だ。俺だっていい大人だから、この関係性を崩して一歩進もうとすればどうなるかなんてわかる。だから絶対にこの関係を崩さない。姉と弟であり、退治屋の仲間で、バディだ。 「では様は様です。俺にとっては姉上のようなものです」 そんなこと思ってもないくせして、俺は心を殺して言う。 「じゃあ、わたしが琥珀って呼び捨てにしたら、って呼び捨てにしてくれるの?」 まさかこんな提案が出てくるとは思わず、面食らう。そして心臓がドキドキと忙しなく動き出した。しかし今更様のことを呼び捨てなんて―――と、そこまで考えて俺は気づく。様は、俺が呼び捨てに出来ないと分かっていて提案しているのだ、と。悔しいが習慣とは恐ろしいもので、確かにできそうになかった。しかし、これはまたとない好機ではないだろうか。 「勿論です」 案の定、様は俺の反応に目を見開いた。そしてすぐに悪戯っぽく笑み、頷いた。 「わかった、じゃあ琥珀って呼ぶね。―――琥珀」 琥珀、と初めて呼ばれた。呼び捨てにされた、ただそれだけなのに、もう破壊力が凄い。心臓が忙しなく動いて、顔に熱が集中するのを感じた。照れが伝染したように様は目をぱちぱちと何度か瞬いて目を逸らす。その頬は林檎のように赤くなった。そんな顔しないでください、俺はどうにかなってしまいそうだ。 「俺もって呼びます」 「様付けしたら、罰ゲームだからね」 「ばつげーむとは?」 未来の世での言葉だろうか。聞きなれない単語に俺は首を傾げる。 「んーとそうだなあ、わたしの言うことなんでも聞いてもらうってことかな」 「わかりました。ではも俺のことを君付けしたら、俺の言うこと何でも聞いてくれるんですね」 「……勿論よ。何でも言ってよ」 一瞬躊躇うように目を泳がせるも、様は頷く。言ったな、様? 俺だって男だよ。知らないですよ。様は茶を一口飲むと息をついた。 「俺もう決めました」 「へえ〜何々?」 「俺と逢引してください」 なけなしの勇気を振り絞って言う。女性を逢引に誘ったのなんて生まれて初めてだ。姉上が聞いたら、どんな顔をするのだろか。しかし、様は顔を顰めている。まずい、俺はやってしまったのだろうか。 「合挽?」 様が何を想像しているかは分からないけど、多分、勘違いしている。 「合挽って何……わたしと琥珀で、ひき肉を……え……」 「、違います。逢引と言うのは、女性と男性が会うことです」 「会うこと? わたしと琥珀が二人でってこと?」 「はい。ダメですか?」 無意識にぎゅっと膝の上で拳を握っていて、手汗が滲む。関係性を崩しちゃいけないんだと分かっていたのに、たがは簡単に外れて、そこからはもう止まることなく雪崩れてゆく。俺は今、とんでもない一線を越えてしまった気がする。沈黙が痛いくらい俺を突き刺してくる。でももう、超えてしまったからには後戻りできないのだ。俺は真っすぐに様を見つめる。様は手元の湯呑をじっと見つめている。そして、 「いいよ」 消え入るような声で言う。俺は無意識に立ち上がる。 「ほんとですか……っ!?」 「うん……。でもわたしが君付けしちゃったら、だよ」 そうだ、なんかもう逢引に行けるような気持ちになっていた。俺は急に恥ずかしくなり、すとんと座り込んだ。様がくすくすと笑う。穴があったら入りたい。 「逢引しようか、琥珀“君”」 様は狡い。いや、狡くない。可愛い。可愛すぎる。今、ワザと君付けしたのだ。試すような笑顔で様は俺を見ている。 「まさか、妖怪退治行くとかじゃないよね」 「……少し時間をください」 肝心な行き先を全く考えていなかった。様は俺のことをどう思っているんだろうか、少なくとも逢引してもいい相手とは思っているということだ。いや、琥珀、男らしくないぞ。様が俺のことをどう思っていようが関係ないではないか。俺が様をお慕いしているのと、様が俺をどう思っているかは別の問題だ。 「楽しみにしてるね」 様は湯呑を置くと、俺の拳の上に自分の手をそっと重ねた。湯呑を持っていたからか、様の手はとても温かかった。手はすぐに離れて、「稽古してくる、お茶ご馳走様!」と言って、ぱたぱたと庭から走り去っていた。 残された俺は呆然と様が走り去っていった方を眺める。逢引では……手を握ってもいいのだろうか。俺は様を想っていてもいいのだろうか。急に動き出した世界の果てに、俺と様の関係に、夫婦の二文字は入るのだろうか。ああ、先走り過ぎだ俺。落ち着け俺。 妖怪と退治屋の話 |