込み上げる不思議な気持ちはさておき、シャワーを浴びて着替えなくてはならないことを思い出し、は着替えをもち、今度はまっすぐシャワールームまで向かった。もうあの声は聞こえてこなかった。 メイド着はジョースター邸が燃えた際に自分が着ていたもの以外は全部燃えてしまったので、この小さな町にある衣類店でそれらしいものをこさえた。着心地はやはりジョースター邸で支給されたものの方が抜群に良いが、文句を言うほど悪いものでもないし、文句を言える身分でもない。 熱いシャワーを浴びながらも、頭の中で反響を繰り返す女性の嬌声。静まったはずの鼓動がそのたびにまた活発に動き出す。 「ああ……もう……」 きゅっ、とシャワーの栓を閉めて、シャワールームを出る。シャワーを浴びて身体はすっきりしたのに、心が晴れない。この感情がよくわからないのだ。モヤモヤしているのは確かなのだが、なぜモヤモヤしているのかが全く分からない。やがてそんな感情の正体などどうでもよくなり、気晴らしには町に下って行った。冷たい夜風が頬を撫でて、気持ちが落ち着く。 もう何度かこの村をぶらぶらしているので、最初は見慣れぬの姿や、決まって太陽が落ちた頃に町を歩いていると言うことで、好奇のまなざしを向ける者もいたが、最近は“丘の上の館の使用人”として認知を受けているので、馴染みになりつつある。 「ああ、ちゃん。療養中の人の容体はどうなんだい?」 療養中の人――これはディオのことである。前に食材を買っているときに「一体誰が引っ越してきたんだい?」と言う問いに対して、慌てふためき、若干の間をあけた後、「病気の療養のため、ここへやってきました」と説明したことから、すっかりこの町にその噂は広まった。 「ううん……そうですね、少しずつ良くはなってきています。お気遣いありがとうございます」 さらさらと嘘をつける自分に嫌気がさしながらも、頭を下げた。けれども火傷の跡もだいぶ癒えてきたのですべてが嘘と言う訳でもない。 ぶらぶらと町を歩くが、取り立て目を引き付けるものもないし、既に町は眠りに就きかけているので、仕方なしに城へと戻っていく。傾斜を登りきり、陰鬱な雰囲気の城の重い門を開く。買った食材をキッチンに運び、自室に通ずる通路を歩いていると、途中、広間からしゃべり声が聞こえてきた。先ほどの一件があるので何となく気まずいが、好奇心から、ちらり通り掛けに覗くと、広間の椅子に腰かけたディオと、その傍らでひとり男性がいた。ワンチェンではない。何者だろうか? は立ち止まり、じっと見ていると、視線に気づいた男性がの存在に気づき「何者だ!」と声を上げた。 「え、あ……」 突然のことに身体が緊張し、こわばる。 「ジャック!」 ディオが制するように叫ぶ。彼の名はジャックと言うらしい。 「彼女はこのディオの使用人だ。決して手を出すな」 手を出すな――つまり、彼は今ディオの言葉がなければに襲い掛かり害を与えるつもりだったのだ。ぞわっと戦慄が奔った。 「、こっちへおいで」 ディオは、まるで警戒する猫を呼ぶようなやさしい声色でを呼ぶ。はじりじりと距離を詰めると、ディオは立ち上がり、「紹介するよ」と言った。 「ジャック・ザ・リッパー。切り裂きジャックと言ったほうがわかるかな。彼は先日おれの下僕となった」 切り裂きジャック。ついこの間も執事長に気をつけなさいと言われた、あの切り裂きジャック。心配して探しに来てくれたディオも、切り裂きジャックのことを言っていた。あのロンドン中を恐怖に陥れた切り裂きジャックがディオの下僕。改めてディオの力の大きさを知った。 「ジャック、下がるのだ」 「はい、ディオ様」 ジャックは一礼をすると、広間から立ち去った。残されたは気まずい気持ちになり、「ではわたしも」と言ってそそくさこの広間を出ていこうかと考える。 「、ここウインドナイツロットの港には行ったことがあるかい?」 「あ、いえ、ないです」 「そうか、ならば来るのだ」 「ええ?」 来るのだ? 不思議がるの横を通り、ディオはすたすたと歩いていく。呆然とその後姿を眺めていると、扉の近くで立ち止まり、くるりと振り返る。 「どうした?」 「えと、あの」 「置いていくぞ」 置いていくといわれると、なんとなくついて行ってしまう。小走りにディオのあとを追いかけた。 The Moon Longed for The Sun月に愛された男と「どこにいくのですか」 「先ほど言っただろう阿呆。港だ」 「なぜです?」 「行ったことがないのだろう?」 「ないですけど……」 には理解が出来なかった。港に行ったことがないから、港に行く。ならば海底にも行ったことがないのだが、それを言ったら連れていかれるのだろうか。彼に「海底に行ったことがあるか?」と聞かれたら用心して「行ったことがあります」と答えることにしよう。 城の外に出ると眼下に臨むウインドナイツロットの町が月明かりに照らし出されていた。町は既に眠りに就いていて、家々の明かりはちらほらとある程度だったが、それはそれで美しく見えた。ずんずんと進んでいくディオの姿もまた、月明かりに照らし出されていて、歩くたびに揺れるその金色の髪に見入る。ジョナサンが太陽に愛された人だとしたら、ディオは月に愛された男。こんなにも月明かりが似合う人はきっといない。 坂を下り、ゆるゆるとウインドナイツロットの町を行く。ディオは先を行き、それをが続く。二人の間には一定の距離があり、離れすぎず、遠すぎず。ディオは何度か振り返り、がついてきているかどうか確認をしつつ、ついに港までやってきた。港も月明かりに照らされゆらゆら揺れる水面が何と綺麗なことだろう。港に身を寄せて、眠るように泊まっている船がたくさんあった。思わず水辺まで駆け寄っていた。 「わあ……」 想像していたよりもずっときれいな光景が広がっていて、思わず感嘆の声が漏れだした。その様子を眺め、ディオは満足そうに鼻を鳴らす。 「綺麗です、ディオ様……」 くるりと振り返り、ディオと目が合うとドキリと心臓が飛び跳ねた。白い肌、妖艶な紅い瞳、美しい筋肉の隆起。その月明かりを受けた姿は芸術作品のようだった。それと同時に、あの時の声がフラッシュバックする。 『ディオ様……! ん、ディオ様、ディオ様……!』 さまざまな感情が一気に込み上げてきて、その感情をどうにも消化できず、はディオから目を逸らす。 「気に入ったか?」 「はい」 曖昧に微笑むと、ディオが何かを察する。 「どうかしたか」 「いえ、別に」 「あのなあ、」 ディオは呆れたような顔をしてに歩み寄る。 「分かりやすいの機微に気づかないとでも思うのか?」 「わ、分かりやすいですかね……」 「ああ、分かりやすい。今ものすごく落ち込んでいるように見えるぜ。で、どうかしたか。ジョナサンでも思い出したのか」 まるで僻んでいるような言い方になってしまい、ディオは自分で自分の物言いに嫌気がさした。 「いえ、そうではなく」 しかも違うらしい。益々ディオは嫌な気持ちになる。が、ジョナサンのこと以外でこんな落ち込む様子、ディオはなかなか見たことがなかったので、それはそれで興味が湧いた。 「では、どうしたというのだ」 「その、なんて言うか」 とても言いにくそうに口ごもる。言えるわけがない、ディオと見知らぬ女性の情事の声を聴いてしまった、なんて。恥ずかしすぎて口が裂けても言葉にすることはできない。 「なんでもないです」 「言え」 「いやです」 「言え」 「お断りします」 「言えと言っているのだ」 「いやです」 「早く言え頑固者」 「いやったらいやです」 「ゾンビにするぞ」 「……いやです」 「では言え」 「見てくださいディオ様! きれいな景色です!」 「それで誤魔化したと思ってるのか阿呆」 |