は何もすることのないこの古城の中で、読書をしたり、脱出計画を立てたりしていた。ディオもどこかへ出かけていたので脱出には絶好のチャンスなのだが、やはり勇気が出ない。 ディオが人類支配なんて企まず、ここで大人しく隠居してくれるのならばどれだけいいだろう。それならばジョナサンもディオが死んだものとして新しく人生をリスタートできる。それが叶うのならばどれほど幸せなのだろう。そのためならばこの城で一生を終えても構わないのに。二度と太陽を拝めなくても構わない。ジョナサンが幸せになれるならばどんな事でも甘んじて受け入れるつもりだ。 そんなことを考えながらぼんやりと一日を過ごした。 「、ワインでも飲もう。赤と白どちらがいい?」 夕ご飯、と言っても生活のリズムが吸血鬼と一緒のため、世間一般でいう朝ご飯の時間帯に当たるのだが、ともかくご飯をひとりで食べていると、上機嫌そうなディオがふらりとやってきてそう言った。ディオは既にお酒の匂いがする。ここに来るまでに飲んでいたのだろう。はフォークを置く。 「ええ、と。わたしお酒はちょっと―――」 「知っている。飲めない、と言うのだろう。いいから付き合うのだ」 出た、ディオの有無を言わさぬ命令。もうディオのメイドではないというのに、抗う力を持たない自分を呪いたいぐらいだ。 お酒を飲んだことなんて殆どなかった。晴れて法律上お酒を飲める年齢になった時に、ジョナサンとディオと一緒にお酒を飲んだが、それっきりだ。その苦味に特に魅力を感じなかったというのが正直なところである。 ディオは手に持っていたワイングラスをテーブルの上に置くと、地下のワインセラーからワインボトルをもってきて、赤ワインを注いだ。彼が注ぐとそれはまるで血のように見えた。 「さあ、乾杯しよう」 ディオはの隣に座り、にワイングラスを持たせると綺麗に微笑み、グラスを合わせて乾杯した。渡された手前、飲まないわけにもいかず、しぶしぶワインを口にする。酸味と渋みが口の中を支配し、思わず顔をしかめる。 「、不味いか」 の顔を覗き込んでディオが面白そうに言った。 「不味い、です」 「でもだめだぞ、残すのなら口移しするからな」 「へ!?」 口移し!? の頭の中に一瞬でその情景が浮かび上がる。色々と問題がありすぎる。は頭をふり、思い切って赤ワインを飲み干した。 「おい馬鹿、そんな急に飲むと酔いが回るぞ」 「そうなのですか? うう……不味い……」 飲み干したワインが口に広がる。その味を打ち消すために水を飲み干す。 「、タルカスとブラフォードを知っているだろうか」 ディオの実験は成功したのだった。タルカスとブラフォードの墓から骨を掘り起し、吸血鬼のエキスを与えると見事にアンデットとして二人は蘇った。ディオの戦力を増幅させる計画は滞りなく進んでいる。ゾンビたちはの目に触れさせないように城の離れにある別館に収容してあるので、彼女が鉢合う危険性もない。 「勿論知っていますよ! イギリス人で知らない人はいないんでしょうか。それに昨晩も読んでおりました」 「そうだな。そのまま寝ていたようだが」 「あ、ばれてましたか。実は最初の三ページくらいを読んでそのまま寝ていました……あれ」 なんだか動悸が激しいし、顔が、身体が熱い。どうしてだろうか。思考もなんだかふわふわしてきて変な心地がした。明らかに普段とは体調が違う。風邪でも引いたのだろうか。 「フン、。顔が赤いぞ」 「へ?」 ディオはワイングラスを置いて、をじっと見た。 「ディオ様……そんなにわたしのことを見ないでください」 「なぜだ」 「そんな綺麗な顔に見られたら、緊張してしまいます」 とろんとした目でディオを見るは、完全に酔っ払いであった。そんな目で見られては情欲が自然と湧き上がってくる。人間は辞めているが、ディオ自身年頃。彼の欲望はそこらへんでこさえてくるうら若き女性で発散し、序に食事もしているわけだが、年頃の男と言うのは発散しても発散しても無限に湧き出てくるものだ。 (しかしコイツか欲してくるまでは絶対に手を出さぬと決めたのだ。絶対に) 「ディオ様……人類を支配下に置くなんてやめましょう、ここで静かに暮らすのではだめですか……?」 「その願いは聞けないな」 「ここで静かに暮らすのなら、わたし、ずっとお傍にお仕えしますから」 「静かに暮らさないのなら、どうするというのだ」 「ううん……わかりません、でも、そんなのだめです、ディオ様のこと、許したいのに……、ジョナサン様……」 ジョナサン、その名前にディオの中に衝動が奔る。身体の奥底から突き上げられるその衝動をそのままに、ディオはの肩を掴み此方を向かせる。滅茶苦茶にしたかった。その白い首筋に牙を立て、血を吸い上げたかった。 「ディオ様?」 ぽやんとした顔のが、虚ろな瞳でディオを見る。その酔っぱらいの顔にディオは冷静さを取り戻す。ふう、と息をついて肩を掴んでいたその手で脇腹に持っていき、のことを持ち上げ、担ぎ上げる。 「酔っぱらいめ。もう寝るぞ」 「もう寝るのですか〜?」 「寝る。今日はいろいろやって疲れたのだ」 「いろいろってなんでしょうか?」 「いろいろ、だ。死者を蘇らせたり、移植をしてみたりな」 「う〜ん、よくわからないです」 「知っている。ほら、ついたぞ」 ベッドルームにたどり着き、ベッドにをゆっくりと寝かせる。 「まだメイド着のままだが仕方ないな」 はもう、半分くらい舟を漕いでいて、既に規則正しい寝息を立て始めていた。身を捩り、んん、と吐息をつけば、彼女は一筋涙を流した。 「ジョナサン様……」 寝ても覚めてもはジョナサンのことばかり考えている。今度は先ほどのような衝動はおこらなかったが、もちろんいい気はしない。ディオは流れた涙を舐めあげると、ふん、と鼻を鳴らし、の横に身を滑らせ、腕で包み込んだ。どうしてこんなにもこの女はジョナサンのことを好きなのだろう。出会った時から今まで、その気持ちが揺らいだことが一度もない。気に入らない。 「お前はどうすればおれのことを求める?」 情けない質問が思わず口をついて出たことに、自分自身で驚く。どうやら自分も少し酔っているようだ。 はこの腕の中にいるのに、その心はいつだって遠く離れたジョナサンのもとにある。ゾンビを操れるようにの心も操れればいいのに、とたまに思うが、仮に操って、ディオのことを好きにならせたとしても、それはもう、ディオの気に入っているではない。 ひたむきにジョナサンを想っている姿、その姿に魅力を感じるわけで、それを操ったところで何も嬉しくはない。のベクトルがジョナサンからディオに、彼女の意思で向かせたいのだ。 The moon longed for the sunベクトルの行方目が覚めるとディオの姿は既になかった。は大きく伸びをすると 自分の服装を見て驚く。パジャマに着替えていない。どうしてこうなったのかを、昨夜の記憶を順繰りに思い出す。昨夜はご飯を食べて、ディオとワインを飲んで、そのまま寝てしまったようだ。はシャワーを浴びようと思い、部屋を出てシャワーを浴びに向かう。薄暗い廊下をごしごしと目をこすりながら歩いていると、遠くから何やら女性の声が聞こえる。この城でディオとワンチェン以外の声が聞こえたのは初めてのことで、は自然とその声のするほうへ歩いていた。 近づくにつれてその声が悲鳴のように聞こえてきて、は訝しむ。 (まさか……いま、ディオ様は人間を殺しているのでは……) 浮かんだ疑惑を払拭できず、の心臓が早鐘を打ち始める。けれど好奇心を抑えることが出来ず、は一歩、また一歩と歩みを進める。すると、は異変を感じ始める。 (え、ちょっとまって……) 悲鳴、ではなさそうだ。これは、その、何と言えばいいのだろう。 声のする部屋へはあと少し。はこの女性の声の種類の、正解を見つけ始めていた。声のする部屋は扉が開け放たれていて、声は鮮明に聞こえる。その扉の近くで立ち止まり、は生唾を飲んだ。 「ディオ様……! ん、ディオ様、ディオ様……!」 所謂、男女の営み、と言うやつだった。女性は甘美な声をあげ、何かをせがむようにディオの名を呼ぶ。は女性のそんな声を生まれてこの方聞いたことがなかったので、とんでもなく刺激的であった。心臓の音が二人に聞こえてしまうのではないかと思うほど、煩く動くし、なんだか緊張して喉がカラカラだ。 ちょっと覗き込めば二人の様子が見えるのだが、はそんなことできず、くるりと踵を返してそろそろと部屋へ戻った。 (どっ、どうして、こんなことに……わー、もう、わー、ディオ様も男なのですね……!!) 部屋に戻ったはベッドに寝ころび、ばたばたと足を動かし、湧き上がる興奮を放出していた。その興奮も時間の経過とともにおさまり、逆になんだか複雑な思いがこみあげてきた。けれどなぜこんな複雑な気持ちになるのかはよくわからなかった。同じ屋根の下で暮らしてきた年の近い人の、“男”の一面を見たからだろうか。 (んん、この気持ちは、なんでしょうか) 上体を起こして、胸に手を当てて首を傾げた。 |