目が覚めた時には、薄暗い部屋のベッドに横たわっていた。部屋にはベッドと鏡台があるくらいで、ほかにめぼしいものはなかった。扉はあけ放たれていて、扉の先も薄暗かった。なぜこんなところにいるのだろうか、と記憶を巡らせるが、思い出せない。若干記憶が飛んでいるようだった。上体を起こして、んん……。と唸り、覚えていることから順にたどることにした。 (まず、ディオさまの裏切り、そしてジョースター邸が燃えてなくなり、ジョナサンさまを病院につれていって、それから宿を探して、それから……そうだ! ジョースター邸にいって、そこで襲われたんだ!!) と、いうことは、ここはおそらくあの時ジョースター邸にいたもの関連の場所ということになる。段々と思いだしてきた記憶を手繰り寄せると、あのとき確か、、と名を呼ばれた。さらに、ディオと言う名も聞こえてきた。つまりこの館の主は、ディオと言う可能性もある。 仮にディオだとして、なぜ連れ去られたのだ? それに、どうして生きているのか。疑問がいくつも浮かんでくる。けれどもここにいてもきっと答えは見つからないだろう。本当ならおとなしくしている方がいいのだろうが、この薄暗い部屋にいつまでもいるのもなんだか怖い。あの薄暗い扉からゾンビが入ってきたらどうしよう、考えるだけで恐ろしい。ならば動こう、考えて立ち上がったその時、開け放たれていた扉からちいさな中国人が入ってきた。ディオに毒を売っていたあの中国人だ。反射的に身構える。 「目覚めたね? 来い。ディオさま呼んでるね」 「……やっぱりディオさまは生きているんですね」 おとなしく中国人の後についていく。部屋を出て廊下を歩いていくと、広間に出た。壁にかかった燭台に火が灯っており、この部屋だけは他と比べ明るかった。広間の椅子には一人の男性が座っていて、こちらに気付くとすっと立ち上がった。 「目覚めたか? 」 「ディオさま……!」 やはり、ディオは生きていた。 「ワンチェン下がっていろ。さあ、近くにくるんだ」 「お前、ディオさまに喰われるね。光栄に思うね」 ぽつり、中国人――ワンチェンが呟いて立ち退いた。喰われる? だいぶ穏やかではないことを言われて、歩き出そうとした足が、まるで重りをつけられたように動かなくなる。 (ここまできたら、どのみち逃げ道はないのです……それに殺されるなら、あの時ジョースター邸で見つかった時に、殺されてたはず) 覚悟を決めては歩み寄る。正面で対峙すると、ディオも完治しているというわけでもなさそうだった。ところどころ皮膚に火傷が残っていて、吸血鬼の回復力を持ってしても、手こずっているようだ。けれどもまだ意識の戻らないジョナサンと比べれば、改めて彼は人外になってしまったのだ、と思い知る。 「、会いたかったよ」 ニヤリ、不気味にディオが微笑む。 「……お!?」 不意に腕を引かれ、引き寄せられると、ディオに抱きしめられた。 「怖いか?」 「怖くありません」 「……ほう?」 ディオはの髪を結わいているリボンを愛おしげに触れる。これは昔、自分がにあげたもの。あの事件のあとでも使ってくれているのが意外であった。ディオは体を離すと、すとんと椅子に座り込んで足を組んだ。 「どうしてここに連れてこられたと思う?」 「……わかりません」 「おれに一生仕えてもらうためだ」 「いやですと、お断りしたはずです……」 「きみに拒否権はない」 きっぱりと言い放たれる。彼の赤い瞳はやっぱり妖艶で、昔ならその瞳に心臓の一つでも跳ね上がっていたが、いまは恐怖すら感じる。けれどこの恐怖に屈するわけにはいかない。 「……どうして、あのようなことを」 「最初から決めていたのだ。すべて奪うとね」 「すべてって……?」 「ジョースター家の財産さ。すべてを乗っ取ろうとね」 ジョースター家の財産を奪う? の中で違和感が生まれた。なぜなら生前ジョースター卿は財産に関して好きに使えと言っていた。そのジョースター卿を毒殺したところで、財産分与はジョナサンとディオとで二分されるはずだ。すべてなんて奪えない。その後ジョナサンを殺そうとしていたのだろうか。そこまで手をかけてまですべての財産を奪うことは重要なのだろうか。 「目的はそれだけですか?」 思わず口をついて出た。案の定ディオは怪訝そうな顔でを見る。 「それだけ?」 「いえ、その、援助は惜しまないと、ジョースター卿が言っていたのを思い出しまして……殺す必要はあったのかと思いまして」 「それじゃあジョースター家を乗っ取ることができないだろう?」 「……では、わたしのことも、ジョースター家を乗っ取る一環でしょうか。ジョースター家でメイドをしていたわたしを今度は自分のメイドにと」 「そうかもなあ」 「では今までのディオさまはすべて、つくられたものだったんですか……? 7年前にやってきたあの日から、ずっとジョースター家を乗っ取るためにいい子の仮面を被っていたのですか……?」 「ああそうさ。不思議な話だが、仮面を被ったことで仮面を取ることが出来たってわけだ」 ディオが喉の奥で小さく笑った。 「今までわたしに向けていたすべても、偽りだったと?」 「そうさ」 本当にそうなのだろうか。この間雪の中探しに来てくれた時も? あんなに切羽詰まった顔で見つけてくれたのも、あれも自分を欺くための演技なのか? リボンを贈ってくれたのも? ジョナサンに失恋をした時に慰めてくれたのも? ……キスを、したのも? 自分が鈍感で見抜けないだけかもしれないが、どれもこれもが演技だったなんて到底思えない。 「生まれながらの悪とはよく言ったものだ。確かにそうかもしれないな」 「……わたしはそうは思いません。生まれながら悪い人なんているわけないんです」 性善説だとか、性悪説だとか、そういうことは置いておいて、現実的に考えて生まれたときから悪い人間なんていない。誰でも赤ん坊の時は無垢で、環境によって悪いことをしっていく。 と、そこで、そうか。と、の中に考えが浮かぶ。 「ディオさまは、」 環境が起因しているのではないか? ディオの生まれは貧しい。貧しい出身のものがお金持ちに対して野心を抱くことはありえないことじゃない。つまるところ、ディオは同い年のジョナサンとの”生まれ”という決定的に覆せないことに対して劣等感や、やるせない気持ちを抱いていたのではないか。生まれながらに貧しい自分と、生まれながらに豊かなジョナサン。生まれながら何も持たない自分と、生まれながらにすべてを与えられることを約束されたジョナサン。 自分がエリナに劣等感を抱くのと一緒だ。生まれながらに決してジョナサンと結ばれることのない運命にある自分。数えきれないくらいこの身分を悔やんだ。そんな自分だからこそディオの気持ちがわかる気がする。あくまで想像ではあるが。 「ジョナサンさまに嫉妬していたのではないですか」 ディオの顔から表情が消えた。 「だから奪おうと考えたんではないですか? ジョナサンさまへベクトルを向けているすべてを。取り囲むものすべてを。―――ジョナサンさまを好きな、わたしのことも」 だからあのようなことをしたのではないか? 「それは違う。メイド風情がわかったような口を利くなッ!!」 ディオが初めて声を荒げた。けれど不思議と怖くなかった。今となっては彼に対して不思議な連帯感すら感じるのだ。 「ディオさま、わたし、あなたのことを許せるわけがありません。大切に育ててくださったジョースター卿を殺め、ジョースター邸を陥落させ、大切なジョナサンさままで瀕死に追い込みました。なのに、あなたのことを許したいって思っている自分がいるんです。だって、ディオさまの気持ちがわかる気がするんです。同じような人生を辿っていたら、同じように道を踏み誤っていたかもしれません。それに、あなたがわたしに向けてくれたすべてが”偽”であるとは思えないから」 「すべて演技だ。勘違いするな、貴様とのすべては所詮ひまつぶしだ。部屋に戻れ、おれは食事をする」 「……わたし、仕えませんからね。失礼します」 「逃げようなんて考えるな。理性のないゾンビになりたくなければな」 質問には答えず、ぺこりと頭を下げて、もと来た道を戻る。彼に背中を向けている間はいつ殺されても可笑しくない状況に背筋がひやりとしていたが、部屋に戻るまで結局指先一本触れてくることはなかった。 月と館と結論 |