さまざまな、本当にさまざまな感情が昨日のわたしの中にありました。それをひとつひとつ思い出そうとすると、心がずきりと、真新しい傷のように、痛みます。
 ジョナサンさまに、好きな方ができました。あの時はそう、鈍器で思いっきり殴られたような衝撃でした。覚悟はしていたのですが、やはり、現実に起きるとつらいですね。いつかは終わらなければならない恋だったのですし、ジョナサンさまが誰かを好きになることは自然の流れです。仕方がないことなのですが、その現実を受け入れようとすればするほど、脳が拒否反応を起こすのです。

 いやです。エリナさんじゃなくて、わたしを見てください……!

 そうやって言えたらどんな気持ちになるのでしょう。―――きっと、後悔します。ですので言いませんし、第一そんな勇気わたしは持ち合わせていません。ジョナサンさまが困る様子が目に浮かびます。
 ジョナサンさまを困らせたいわけじゃあありません。むしろ、幸せになってほしいのです。ですので喜ばなければいけないのです。けれど、なんというか、ジョナサンさまの幸せに、わたしが関わりたかったというのが正直なところです。わたしが、ジョナサンさまに幸せをもたらせればよかったのに。使用人としてではなく、一人の女性として。支えたかったな。


 ああ、それから、ディオさま。
 あの時、はじめて”ジョナサンさまの言っていたディオさま”の片鱗を見た気がしました。優しく、紳士だったディオさまから一変、まるで別人のように激昂しました。怖かったです。が、何より、その行為が理解できませんでしたし、ショックでした。
 だってわたし、ディオさまとキスしてしまいました。キスって、将来を誓い合った恋人同士がするものではないのですか? それに怒ってしまったのなら、暴力に出るほうが理解できます。
 けれどわたしが好きでキスをしたわけではなさそうでしたし、あのキスは一体、なんだったのでしょうか。それなりにショックを受けているのは否めません。だって初めてのキス、だったのに。お嫁にいけるのでしょうか、わたし……。

 ああ、そろそろ起きなくてはお仕事に遅刻してしまいますね。正直仕事に行きたくありませんが、そういうわけにもいかないですからね。どうかお二人を目の前にしても、狼狽えることのありませんように。
 ディオさまにいただいたリボンで髪をきゅっと結んで、よし、と呟いて立ち上がりました。




The moon longed for the sun
ひまわりの苦悩



  
「おはよう

 さっそく廊下で、すれ違いました。朝食に向かうジョナサンさまと、朝食の準備を終えて、掃除を始めるわたしはいつもすれ違うので、覚悟はしていましたが。

「あっ、お、おはようございますジョナサンさま」
「え、なんかすごい目がはれてるし、クマができてるよ! 大丈夫かい?」

 優しいジョナサンさま。心配そうにわたしを見るその視線が、今はつらいです。ジョナサンさま、優しくしないで。どうか冷たくしてください。そうじゃないとわたし、諦められません。勝手なことを思っているのは承知なのです。ですが、思わざるを得ません。ああほら、泣きそうです。大丈夫? なんて聞かないでください。大好きです、大好きなんです、ジョナサンさま。大好きだから、突き放してください。

「大丈夫、です。それでは失礼します」

 にこっと、なんとか笑って逃げるように立ち去りました。ああでも、いつも通りでしたらこの後……。

「………」

 やっぱりです、ディオさまと会いました。目と目が合って、わたしは動けなくなりました。先ほどとは違って、なんだか気まずいです。わたしは何も悪いことをしていないし、寧ろ被害者なのですが。



 名前を呼ばれました。

「はい、おはようございます」

 先ほどみたいにすっと通り過ぎようとしましたら、すれ違いざまに腕をつかまれました。慌ててディオさまを見ますと、ディオさまは何とも言えない顔をしていました。怒っているような、困っているような、もどかしいような、とにかく何とも言えない顔をしていました。

「なん、でしょうか……」

 今すぐ立ち去りたいのに。なんなんでしょうか。どういうつもりなのでしょうか。

「昨日のこと、なんだが」
「あ、はい、でも、わたし気にして―――」

 気にしてません、と言ってやろうと思ったのに、ディオさまはそれを遮って

「気持ちのないキスなんて、ただ唇と唇が触れただけのことだ。勘違いするなよ」

 と言いました。それだけ言うと、ディオさまはわたしの腕を離して、歩き出しました。
 ……どういう意味、でしょうか。取り残されたわたしはディオさまの言葉の意味を頑張って理解しようとするのですが、どうにも難しく、やがてわたしも歩き出しました。その言葉の咀嚼は、掃除をしながらすることにしましょう。
 兎にも角にも、朝の難関をどうにかこなしました。