琥珀は自分がしたことを――自らの手で父を、仲間を手にかけたこと――思い出すのを拒んでいる。だから奈落に囚われたままだ。けれどいつかは過去と向き合わなければ、最後は奈落に四魂のかけらを取られて、終わりだ。 と弥勒が雲母に乗って追いついたときには、犬夜叉が琥珀に、記憶を取り戻せと迫っていた。しかし神楽が琥珀を拾い上げて大きく浮上する。 「自分が何やったか思い出したら、このガキぶっ壊れちゃうぜ。何もかも忘れたまま死なせてやるのが親切ってもんだ」 神楽と琥珀は彼方へと飛んでいた。 「また、繰り返す……」 珊瑚が力なく膝から崩れる。彼女は真っ暗な絶望の海にずんずんと沈んでいる。たった一人になってしまった肉親が、戻ってきたと思ったらするりと腕の中からすり抜けていく。責任感の強い珊瑚のことだ、自分の弟が仲間を傷つける様を見て、彼女の心も深く傷ついているだろう。 「ったく。世話のかかる姉弟だ。奈落は琥珀に、かごめを殺して四魂のかけらを奪えと言った。だけど琥珀は殺さなかった。それは人の心が残っているからだ。だから琥珀を殺しちゃいけねえ。生きたまま取り返すんだ。いいな」 そんな彼女を、犬夜叉なりの言葉で鼓舞する。生きていていいのだと、力強く伝える。有無を言わせぬ犬夜叉の言葉に、珊瑚は涙を浮かべて頷いた。 「琥珀はね、迷ってるみたいだった。だからわたしも大した傷じゃないんだ。琥珀も自分の中で戦ってるんだと思う。だからもう謝らないで珊瑚、こんなことは大したことじゃないんだよ」 知らぬが仏なんて言う言葉もある。神楽の言う通り、自分がしたことを知らないほうが琥珀の為なのだろうか。どちらが良いのかは誰にもわからないだろう。 琥珀も自覚はないかもしれないが苦しんでいる。思い出そうとする自分と、思い出したくない自分の間で揺れているのだ。どうか珊瑚がこれ以上自分のことを、琥珀のことを責めないように。は珊瑚の涙を見ながら願わずにはいられなかった。 君の背を守りたい 毒を喰らった弥勒と背中に傷を受けたと、二人が負傷したため今日は移動せず、近くに身を寄せられるような場所がないか、かごめ、犬夜叉、珊瑚の三名で方々捜しに行く。七宝と雲母は何かあった時のためにと弥勒の傍にいて、七宝は「おらがしっかりせねば……」とひたすらこぶしを握っている。 は集中が続く限り妖怪に変化した。そうすることにより痛みがやわらぐのだ。同時に妖怪に変身する練習にもなり、一石二鳥と言う訳だ。かなり集中力を使うためしんどいが、痛いよりかはましだ。段々と痛みの感覚が遠のいているのは治っているのか、痛みに慣れてしまったのか、分からない。かと言って自分の傷口を触る勇気もない。 「、傷は痛みますか」 「今はそんなに痛くないかな」 「全く、お前からは本当に目が離せません」 弥勒の顔色も幾分よくなってきたようだ。かくいう弥勒とて最猛勝の毒を吸い過ぎてもはや免疫ができるのではないかと言うくらい吸っているはずだ。仲間の危機を救うためとはいえ、身を挺して毒虫を吸うというのは、かなり勇気がいることだろう。そしていつもその弥勒に勇気に助けられている。 「弥勒だって、最猛勝を吸って助けてくれたんでしょう? お互いさまってことで」 「そうですな。まあしかし、おかげでと二人きりになれました」 「七宝もいるよ」 と言っては隣に座っている七宝を見やるも、相変わらず自分の拳を見つめて「おらがしっかりせねば」と呟いている。相当気負っているらしい。申し訳ない気もするが、可愛いのでしばらく放ってくことにする。いざとなればが戦う心づもりだ。それくらい傷や痛みは気にならない。 「の妖怪姿も見慣れてきましたね。こんな可愛い妖怪は日本中探してもくらいですな」 「はいはい」 いつもの軽口を叩けるくらいには調子が戻ったようだ。 「の背中は私が守りましょう。夜もお任せください」 「……弥勒が言うと、なんかいやらしいんだよね」 「そうおっしゃらずに。ほら、寝ているときに無意識に寝返りを打ったら傷が痛むでしょう? 私がすぐ傍にいて、寝返りをしようとしたら私が支えますから」 確かに寝返りを打った拍子に傷口に触れたら痛そうだ。想像すると背筋に冷たいものが奔り、震える。 「こんな風に」 と、弥勒が不意にの肩を抱くように横から手を置く。堪らず弥勒を見つめれば、妖艶に目を細めている。この表情は二人きりの時だけに覗かせる、弥勒の男性の一面。(正確に言えば二人きりではないのだが)そして弥勒を見つめ返すの表情も、普段見せない熱に浮かされたような表情だ。 しかし、はまだ決意できていないのだ。弥勒との間に引かれた赤い線を飛び越えられない。はいつかは元の時代に戻るかもしれない上に、妖怪になることがある女だ。仮に恋人になって、旅の途中で別れることになったら? あるいはどちらかが死んでしまったら? 考えるとどうしたって飛び越えられないのだ。 「やい弥勒!!」 突如犬夜叉の怒声が聞こえてきて、の肩が大きく震える。毎度のことながらタイミングよく犬夜叉がやってきて、弥勒をから引っぺがす。 「病人だと思って大目に見れば、調子に乗りやがって!」 「お前は本当に鼻が利きますね」 程なくして珊瑚とかごめが戻ってきた。近くにあるお寺が一部屋貸してくれることになったとのこと。早速向かえば、弥勒が法師と言うこともあり、かなり良い対応をしてくれた。こういう時、弥勒の職業は人の信頼を勝ち得るのにもってこいだ。 仕切りを置いて男女で別れると、かごめはの背中の手当てをしようと薬箱の用意をする。その間は着ていた上の服を脱いで、膝を抱えるような体勢になる。着ていた制服は背中がざっくりと切り裂かれて、そこを中心として血が赤黒く付着していた。今となってはもう痛みをほとんど感じないが、やはり傷は深いのだろうか。自分の背中を見ることが出来ないので、分からなかった。制服を縫うか新しい服を買うかしないといけなそうだ。 「消毒するわね」 消毒液を付着させた脱脂綿でかごめが傷口付近をちょんちょんと消毒していく。傷口に触れた瞬間の鋭い痛みを恐れて身体を強張らせるが、ひんやりはするもいつまで経ってもその感覚は訪れなかった。 「やっぱり……傷が殆ど直ってるわ」 「ほんとに? 集中が続く限り妖怪になるようにしたからかな」 「かもな。妖怪の身体の作りは人間とはちげーからな」 仕切りの奥から犬夜叉が言う。は恐る恐る傷口に手を伸ばすと、傷口と思しきところが窪んでいる。触っても痛くなくて、もう皮膚が再生をしているよいだった。これが人間だったら傷口を縫わないといけないくらいの傷だったに違いない。 「妖怪って……すごい」 ぽつりと呟く。これなら寝返りを打っても問題なさそうだ。寺から修行僧用の簡易な着物をお借りして着替えると、は近くの川に出向いて制服についた血痕を落とした。その後、かごめから裁縫道具を借りて簡単に縫い付けると、乾かす。明日には乾いているはずだ。それにしてもやはりこの時代の着物は慣れない。胸元がすかすかするし、歩きづらい。わたしが珊瑚だったら一日中退治屋の服着てるけどなぁなんて思いつつ着物姿の珊瑚を見る。 その後、夕食も寺の方で用意してくれて、まさに至れり尽くせりだった。食べていると、やたらと犬夜叉がこちらを見てきて、首を傾げてしまう。 「どうかした?」 堪らず問いかけると、犬夜叉の頬に朱が差して目を見開く。 「べっ、べつに!!」 明らかに様子の可笑しい犬夜叉に益々の疑問は深くなる。 「差し詰め、が普段着ていない服を着ているので気になって仕方ないのでしょう」 「ちがっ―――」 「おすわり」 弁解の隙すら与えられず、かごめが魂鎮めの言霊を口にする。犬夜叉が地面にものすごい勢いで叩きつけられた。 談笑もそこそこに、早めに就寝に着く。犬夜叉は柱に凭れかかりいつも通り寝て、かごめ、珊瑚、、弥勒の順に布団に入る。宣言通りにの布団に忍び込もうとした弥勒だが、犬夜叉に見つかり、失敗に終わった。それを残念に思う自分がいて、布団の中でドキドキと高鳴る胸を持て余していた。 |