弥勒のことを好き、なんだろうか。好きだと言えば、弥勒とは恋人同士になる。では弥勒と恋人同士になり、接吻がしたいのかと聞かれれば、はい。とは言えない。何かが引っかかっているような気がするのだ。それがなんだと言われれば、は思考が霞がかってしまう。恋人になれば、接吻をして、そしてその先だっていつかはする。その覚悟がまだできていないのだろか。それとも弥勒以外の誰かを―――?
 けれど弥勒が誰かと恋人になるのは、嫌だと思う。小春のように弥勒を慕う女の子がいて、その子と弥勒が恋人同士になったら、ショックを受けるのだと思う。しかし、誰かにとられるのが嫌だから恋人になるのと、弥勒と恋人になりたくて恋人になるのとでは、意味が違うように思えるのだ。
 様々なことを考えていると、弥勒が大きく息を吐いた。

「……すみません、急かし過ぎましたね。戻りましょうか」

 弥勒は薄く微笑むと、屋敷へと戻っていった。その笑顔が儚げで、寂しげで、は胸が痛んだが、賭ける言葉が思い浮かばなかったため、結局は口をきゅっと結んで、弥勒のあとに続いたのだった。弥勒は分かっている、がまだ答えを出せていないことを。

「ごめんね」

 弥勒の背中に投げかけると、弥勒は立ち止まり振り返ると、困ったような顔をしてふわりと笑んだ。

「こう見えて、優しいんですからね」
「はいはい、そうね」

 おどけたように言う弥勒に、はつられて笑った。
 朝の気配が漂い始めているも、起きて活動するにはまだ早い時間だ。少しだけ寝ようかなと思って横になって暫くすると、丁度かごめがやってきた。、弥勒、珊瑚はかごめを囲んで心配の言葉をかける。
 かごめは現代から包帯や化膿止めなどを持ってきてくれた。しかし元気がなさそうで、は気がかりだった。薬だけおいてそそくさ帰ろうとするため、は一緒に井戸まで行くことにした。

「かごめ、なんだか元気がないように見えるけど大丈夫?」
「……そう、ね」

 喧嘩中、苛々した様子はよく見るが、元気がないということはあまりない。もしかしたら、とは犬夜叉と桔梗の逢引現場を思い出す。

「―――もいたから、きっとわかってるだろうけど、犬夜叉と桔梗が一緒にいたところを見ちゃって」
「うん……」
「それ見て思った。あたしはやっぱり犬夜叉のことが好きで、でも犬夜叉は桔梗のことを想っている。――あたしは、傍にいちゃいけない」

「わたしはね、犬夜叉は過去に囚われていると思うの。桔梗を死なせてしまったことを悔いていて、それがずっと犬夜叉の中にある。だってわたしも桔梗を放っておけない。それはきっと、の気持ちが残っているからだと思うんだけど、だから犬夜叉の気持ちがなんとなく分かるの」

 今度こそ桔梗を助けたい、救いたい。そんな気持ちなんだと思う。贖罪ともまた違うが、あの時できなかったことを、犬夜叉はしたいのだと思う。自分を追って死んだ桔梗。その負い目が確かにある。

「でね、犬夜叉にとってかごめは未来なの。前を見て歩き出すための存在。傍にいるのはつらいかもしれないけど、でも、必要なんだと思うの。上手く言えないんだけど……」
「……それを言うなら、がそういう存在だと思う」

 犬夜叉にはにしか見せない顔がある。穏やかで、安心したような表情。それを見ているからこそ、かごめは胸がずきずき痛みながらも、淡々と告げる。

「ううん、わたしは過去だよ」

 やけにきっぱり言うの顔は、とても穏やかで、それでいてどこか憂いていた。



「犬夜叉は、どうしようと思っているの?」

 の問いに、隣にたっている犬夜叉は複雑な顔で押し黙った。夕刻、楓が畑作業をしている近くでぼんやりと立ち尽くしていた犬夜叉を見つけて、話を切り出したのだった。

「かごめに桔梗と逢っているところ見られちゃったんだよね。かごめはきっと、戻ってこないと思う」
「……それでいいんだ」

 桔梗を守ると決めたから。そして犬夜叉はかごめの気持ちに気づいている。だからこそ、別れなくてはならない。一緒にいられない。ということなのだろう。

「犬夜叉の気持ちね、わたし少しわかる気がするの。だってわたしも、桔梗のことを守りたいって心の底から思ったから。そしてかごめの気持ちを思えば一緒にはいられない。でね、わたしには何が正しいのか分からない……」

 には桔梗を放っておけとは言えない。けれど桔梗の為に過去に縛られて、未来を諦めるのは違うとも思う。
 それまで黙っていた楓だが、畑をいじりながら、犬夜叉はそれでよいのか、と問う。

「今の桔梗お姉さまは骨と土で創られたまがい物。この世のものではないと言うのに……本当にそれでよいのか。所詮この世では一緒になれない。桔梗お姉さまの望みはお前と共に死にゆくこと」

 楓はそういうが、桔梗をかたどるそれがまがい物だとしても、その中にある魂は紛いもなく本物だ。

「―――いいさ。桔梗の望み通り俺は一緒に地獄にいってやる」
「なら、せめてきちんとかごめに別れを言うべきだよ。わたしは犬夜叉の決意を否定しない。桔梗を選ぶのならば、それでいいと思う。それは犬夜叉の自由だから。勿論、かごめとお別れするのが不本意なのはわかってるよ。好きって気持ちは、必ずしも誰かひとりに向けられるものではないと思うから桔梗への好きとかごめへの好きが同居しているってのも、わたしは理解してる。でも、一緒にいるのが正しくないと思うなら、それはちゃんと伝えないと」
「俺は……」

 それきり犬夜叉は黙った。

(それを言うなら俺は、のことを―――)

 無意識に考えてしまい、犬夜叉ははっと思考を止める。はきっと気づいていない、その気持ちがへも向けられていることを。けれどそんなことを言ったらきっとは困るだろうから、犬夜叉はこの気持ちを再び胸の奥底に仕舞い込んだ。



 村に逗留している間に、弥勒の友人の狸、ハチが奇妙な噂を耳にして教えに来てくれた。なんと、城が魔物の爪でえぐられたかのようにごっそり消えて、更には無数の羽虫が飛んでいったとか。もしかしたら奈落の手掛かりがあるかもしれない、ということで、翌朝村を発つことになった。犬夜叉も当然行く気だったが、その前にかごめとケリをつけてこいと弥勒に言われて、犬夜叉は井戸へと向かっていた。言わなくては、かごめとはもう会えない、と。
 色々考えながら歩いて井戸に辿り着くと、そこにはかごめが井戸の縁に座り込んでいた。思いがけない展開に犬夜叉の心臓がギュッと締め付けられる。かごめは犬夜叉に気づくと、立ち上がって犬夜叉に向かい合う。

「向こうにいる間ずっと考えていた。犬夜叉と桔梗と、そしてあたし……」
「かごめ、俺は―――」
「わかってる、犬夜叉の気持ちがわかったから、あたしはもう同じ場所にはいられないと思った」
「俺はお前に会うまで、誰も信じられなかった。だけどお前は俺のために泣いてくれた。いつもそばにいてくれた。かごめといると楽しい。でも、俺は楽しんだり笑ったりしちゃいけないんだ。俺は桔梗に命がけで応えなくちゃならねえ」
「あたしは桔梗には敵わない。―――生きているから。桔梗のこともいっぱい考えた。桔梗とあたしは全然違う。あたしが桔梗の生まれ変わりだっていう話でも、だからって私は桔梗じゃない。心はあたしだから。だけど、一つだけ桔梗の気持ちが分かった。あたしと同じ、もう一度犬夜叉に会いたい」

 桔梗も自分と同じ気持ちなのだと思ったら、少し気持ちが楽になった。だから勇気を出してかごめは犬夜叉に会いに来た。

「あたし、犬夜叉と一緒にいたい。忘れるなんてできない」

 犬夜叉は、かごめの気持ちにどう向き合えばいいのかわからなくなってしまった。何とかごめに言えばいいのか、ぐるぐると頭の中で考え込む。

「勿論、犬夜叉がのことも想ってるって言うのもわかってる。犬夜叉の中には、桔梗と同じくらいがいる。―――でもね、ひとつだけ聞かせて」

 かごめは一拍置いて、犬夜叉の目をまっすぐに見た。犬夜叉は目をそらさない。

「一緒にいていい?」
「いて……くれるのか?」
「うん……」

 かごめは決めたのだ。犬夜叉が誰を想っていても、傍にいたいという気持ちに従って彼の傍にいるのだと。楽しんだり、笑ったりしていいんだと伝えてあげたい。

「行こう」

 かごめが微笑み、歩き出した。