先ほどの風使い、神楽は奈落から生まれたのではないか、と言う結論に至った。奈落と同じ匂い、奈落と同じ蜘蛛の火傷。元々は沢山の妖怪が集まってできたのがあの奈落であり、その一部が切り離されたと考えれば不思議ではないだろう。
 しかし、そんな能力があるのならばなぜ今までやらなかったのかという疑問が残る。やらなかったのではなく、できるようになった。そう考えるのが正しいのだろうか。







 旅の途中、珊瑚が川で竹筒に水を入れていた時に、突然数名の男がやってきて、誰かと勘違いをして珊瑚を襲ってきた。犬夜叉がそいつらを追い払ったが、本当に追われていたのであろううら若い女子が現れて、珊瑚に頭を下げた。その女子が弥勒に気づくと、突然顔を明るくした。

「弥勒様ーーー!!」

 と黄色い声を上げて、弥勒に向かって抱き付く。まさかの展開に周りの時間が止まる。弥勒の知り合いなのだろうか、だとしても抱き付くとはいったいどういう関係なのだろうか。

「おら、小春です」
「おお、あのときの。見違えましたな」

 聞けば、3年前に親子供を亡くした小春は、油長者の家で朝から晩までこき使われていたそうだ。そんな小春に、たまたまお祓いに来ていた弥勒が優しくし、当時十一であった小春にこういったという。

『小春、私の子を産んでくれぬか?』

 ささーっと、たちは引いた。

「弥勒様、子供にまでそんなこと……!」
「ほんとありえない」

 かごめとが口々に非難するが、小春は目を輝かせて「おら嬉しかった」と言うのだった。
 最近その油長者の若様というのが、小春をいやらしい目でみてくるらしく、薪で頭を叩いて逃げてきて、今に至るという。先ほど犬夜叉が追い払ったものたちは、油長者の差し金らしい。

「弥勒様! おらを連れて行ってください!」
「小春……」
「おら行くところがないんです。それに、もう十四です。弥勒様の子だって産めます」

 がしっと弥勒の両手を包み込み、力強く言うのだった。の心臓はドキドキと嫌に早鐘を打つ。幸せそうに、好きな気持ちを溢れさせて弥勒をまっすぐ見つめる小春が、眩しくて、自分にないものを持っていて、思わず目をそらしてしまった。今自分がどんな気持ちを抱いているのか、言葉に表せなかった。


「わかってるよな弥勒、連れていけねえからな」
「はい」
「かといって置き去りにもできないだろう?」

 珊瑚の言葉に、弥勒は頷く。今はかごめが小春に傍についていて、ほかのメンバーで今後の作戦会議を行っていた。

「せめてどこか安全に暮らせる場所を見つけるまではそばについてやらねば」
「だよね〜。仮にも子を産んでくれって言った相手だし」

 珊瑚が冷めた目で弥勒を見る。

「いや〜〜私は出会ったおなごには必ず言うことにしてますから」
「……あたしは言われてないけど」

 しばしの沈黙。

「すまなかった珊瑚。私の子を産んでくれぬか?」
「言わんでいい!!」

 珊瑚の手をがしっと握り、弥勒は言うのだった。
 わたしも言われてないんだけどなあ、なんてぼんやり思ったが、珊瑚の二の舞は嫌だったので何も言わなかった。けれどもなんだか胸がモヤモヤして、それを持て余していた。

「なんだ、体調悪いのか?」

 胸のあたりを摩っていたら、隣に座っていた犬夜叉が心配そうに覗き込んだ。ふるふると頭を横に振り、「大丈夫」と微笑む。

「ほんと、弥勒と犬夜叉って全然違うよね……」
「それはどういう意味ですか
「そのまんまの意味ですよ弥勒。ねえ、弥勒を置いていけば丸く収まると思わない?」
「そんな殺生な……近くの村に立ち寄って、引き取ってもらえるように頼みますので」
「さんせーい」
「珊瑚まで……」

 川沿いを歩いていく。その間もずっと小春は、それはそれは幸せそうな顔で弥勒を見上げて話してるのだ。恋をしているのが一目でわかる。そんな小春の存在が、眩しくて、ちくりと胸が痛かった。胸のもやもやは取れないし、楽しそうに話している弥勒の姿を見ていると、むかむかとしてくる。

「やっぱり男の子はさ、ああやって好き好き! って感じを出してくれるほうがよいものなの?」
「え!? ま、まあ嫌じゃないだろうけどよ……」

 やっぱりそうなんだ……と思いつつも、あんなことを自分はできる気がしない。あんな風にストレートに愛情を表現できる小春を羨ましくも思う。

「よし……犬夜叉さん、わたしを連れて行ってください。わたし、もう子供だって産めます」
「な!?!?」
「どう? やっぱりこういう感じのほうが良い? って、そんな驚かなくても」

 小春のように犬夜叉に言えば、犬夜叉はオーバーなほどのリアクションをするので、思わずは笑ってしまった。

「しししし心臓にわりーだろうが! 本気で言ってるのかと思っただろ!」
「も〜、犬夜叉は面白いなあ」
「禁止だぞ! 俺以外に言ったらだめだからな!!」
「あはは、言わないよ。ていうか、犬夜叉には言ってもいいんだね?」
「……おう」

 だったら、何だって構わない。なんて言葉が浮かんだが、その言葉は飲みこんだ。


+++


 暗くなる前には村に辿り着き、村長に話をつけて引き取ってもらえることになった。小春は、頑なに旅についていくと言うので、弥勒が話をつけることになった。弥勒が座り込み、その足の間に小春が収まる。

「戦いになったらお前の命を守り抜けるかどうかわからん。私のおっている妖怪は、それくらい厄介な相手なんだ。私とてお前と別れるのはつらい」
「だったらおら、ずっと待ってます……迎えに来てください」
「……小春、申し訳ないがそれはできないんだ。私には、心に決めた人がいる」
「え!? そ、そんな……」
「小春もいつか、私と同じくらい素敵な男が現れる」

 自分でもひどいことをいっているのは分かっている。けれど、小春に本当のことを言わなければ、そのほうが彼女に未練を残してしまう。じわりと涙を浮かべた小春。躊躇いつつも頭を撫でれば、いよいよ涙は止まらなくなり、弥勒に縋るように抱き付いた。弥勒も小春を抱きしめた。


「では村長様、小春のことをよろしくお願いいたします」
「もう旅立たれるのか、泊まっていかれても構わんのだが」
「長くとどまれば、それだけ小春につらい思いをさせますので」

 小春は村長の家から見送りに出てこなかった。それが少し気になりつつも、一行は旅立つこととなった。

「今夜くらい別れを惜しめばよかったのに」
「そうもいきません」

 月に照らされて歩いていく。今日はもう少し歩いたら、野宿だろう。隣を歩く弥勒に、なんだかドギマギする。

「本当によかったの?」

 試すように言ってしまい、即座に後悔する。

「小春には、心に決めた人がいると言いました」

 どきっと心臓が深く脈打つ。それってもしかして自分のことだろうか、なんて一瞬頭をよぎる。

「心配かけてしまいましたね」
「別に心配なんてしてないよ」
「おや、勘違いしてしまいました。……勘違いでしたが、心配はなさらないでいいんですからね」

 誰を心に決めたと、確信をつくことは言わないずるい弥勒。が文句の一つでも言おうとしたそのとき、背後から無数の足音が聞こえてきて一同は足を止め、振り返る。すると、村人たちがぞろぞろと、斧や鎌を持っていた。

「殺せ!」

 村人が襲ってくる。犬夜叉が殴りつけると、村人は悲鳴を上げて倒れこんだ。先日の神楽のように、死人を操っているわけではなさそうだった。何かに操られているのは間違いなさそうだが、犬夜叉曰く妖怪の臭いはしないらしい。すると、彼方から最猛勝が飛んできた。つまり、奈落が糸を引いているということ。真っ先に弥勒が村へ戻り、皆もあとに続いた。
 村に戻ると、全員、何かに操られているようで、犬夜叉一行に対して攻撃をしてくる。その何かが分からない限り、どうにもできなさそうだ。
 幸運なことに小春は無事で、犬夜叉と弥勒は原因を探るために二人で操られている村人の中に飛び込んだ。

「あ、あの……おら気を失う前に妖怪を見ました。まだ屋敷の中にいるかも……」

 それが奈落の手下なのだろうか。

「じゃあ屋敷の中を確認してみましょうか。と雲母は見張りをお願い!」
「わかった!」

 かごめ、珊瑚、七宝、小春が屋敷の中を捜索し、は雲母と屋敷に誰も入らないように見張りをすることになった。黎明牙を鞘から抜き、神経を尖らせる。雲母も変化し、臨戦態勢に入る。
 暫くすると、中からただならぬ音が聞こえてきて、雲母と顔を見合わせる。屋敷の中に入ると、村長たちが横たわっていて、その奥で珊瑚が倒れ、かごめが座り込みながら弓を構えていた。かごめが弓で狙う相手は、白いおかっぱの色素の薄い少女で、両手で鏡を持っていた。この少女に皆やられたのか?

「動くな!!」

 精いっぱい、少女を威嚇する。すると、どたどたと後ろから足音が聞こえてきて、少女は屋敷の奥へと駆けて行った。足音の正体は弥勒で、ほっとする。

「皆無事か? 小春はどこだ!?」
「弥勒様……」

 小春がすっと現れた。

「気を付けろ! 小春も操られとる!」
「弥勒様のお仲間にひどいことをしました……おら、申し訳なくて、もう生きていかれません」

 手に持っていた鎌を自分の首に当てる。たまらず弥勒が駆け付ければ、小春はその鎌を弥勒に向けて振り下ろした。弥勒は寸のところで鎌を払いのけ、鳩尾に拳をいれて小春を気絶させた。

「鏡に魂をとられたままなんじゃ。このままではかごめも……」

 弥勒の話だと、どうやら神楽がいるらしい。けれども神楽が操れるのは死人だけで、もうひとり、人を操ることのできる妖怪がいるらしかった。恐らくさきほどの少女だろう。
 気絶している珊瑚を雲母にのせて、弥勒がかごめを背負うと、犬夜叉のもとへと走り出す。

「てことは、さっきの女の子も奈落の仲間ってことだよね?」
「でしょうな」
「犬夜叉は妖怪の匂いはしないっていってたし、妖気みたいなものも全然感じなかった……どういうことなんだろう」
「さっきの妖怪女は、珊瑚の飛来骨を跳ね返しとった! あの鏡に何か絡繰りがあって、跳ね返しているようじゃった! あ、犬夜叉……! 斬ってはならん!!」

 たちが駆け付けると、犬夜叉が神楽に向かって風の傷をお見舞いしているところだった。七宝の叫びが届く前に犬夜叉は振り切って、神楽に攻撃が到達すると、先ほどのおかっぱの少女が神楽の前に現れて鏡を掲げる。その瞬間、神楽に当たるはずだった風の傷が、犬夜叉に跳ね返り、犬夜叉は見るも無残に吹っ飛んでいった。
 砂煙が上がり、それが風で流れると、神楽と少女と、そして奈落がいた。弥勒とは犬夜叉の前に立ち、奈落と対峙した。弥勒が風穴を開こうと数珠に手をかけるが、くくく、と奈落が笑う。

「風穴を開こうなどと思わんことだ。神無の鏡の中にとらわれたかごめや村人たちの魂をもろとも吸い込みたいなら別だがな」
「……なんだその二人は。お前の手下か」
「それを貴様が知ってどうする、もうすぐ死ぬというのに」
「答えろ。その神無という少女にも、貴様やそこの神楽と同じく、背中に蜘蛛の傷跡があるのかと聞いているのだ」
「そこまで察していたか。そのとおり、神楽も神無もこの奈落から生まれた妖怪。風と、無」
「なるほど……匂いも気配も妖気すらない、か」
「神無、の魂を抜きとれ。神楽、犬夜叉の首との首をとれ。こやつらの首を見せてやったら、あの女、桔梗はどんな顔をするかな」
「お前が桔梗の話をするな、奈落」

 体の底から震えるほどの怒り。桔梗の話をされるのが、桔梗の気持ちを乱そうとすることが、たまらなく嫌だった。黎明牙を構える手に力がこもる。けれど相手は三人、うち一人は攻撃を跳ね返してくる。どう戦うべきか。と、そのとき、神無が鏡を構え、の姿を映した。やばいと思った瞬間には体中から力が抜けて、へたりと倒れこんだ。魂が抜かれたのだろうか。けれどもまだ自分の中には意識がある。

「まずは犬夜叉、遠慮なく首を頂くよ」

 神楽の風が犬夜叉を襲う。間一髪で別の攻撃により風が消し飛ぶ。かごめの矢だった。

「魂が…………」

 神無がかたかたと動く鏡を見てぽつりを呟いた。

「どういうこと奈落、どこでそんなに四魂のかけらを」
「そうか、お前には見えるのだったな」

 かごめが弓を構えて問う。奈落が差し出した四魂のかけらは殆ど完成した四魂のかけらだった。

「あの女がなんを考えているかはわからん。だが桔梗は自らの手で、この奈落に四魂のかけらをわたしたのだ。犬夜叉、恨むなら桔梗を恨め。貴様が今そうして惨めに倒れているのも、すべては四魂の玉がこの奈落に与えた力のおかげだ」

 “やらなかったのではなく、できるようになった”。弥勒の読み通り、どうやらそういうことだろう。
 攻撃が跳ね返る危険をおかして、かごめが弓を奈落に向けて放つ。矢は跳ね返らず、神無の鏡に当たり、そのまま飲みこまれていった。鏡の揺れはどんどん大きくなり、やがて鏡にヒビが入り、鏡の中に入っていた魂たちがすべて放出されて、にも魂が戻ってきた。すかさず弥勒が風穴を開くが、奈落たちはすでに消えていた。

「忘れるな犬夜叉、神楽と神無は四魂の玉がこの奈落に与えた力のほんの一部にすぎん」

 ひとまずは、難が去ったようだった。