広大な草原で二人きり、と桔梗が座っていた。そしてそれを見ている。すがすがしい風が吹いて草がそよぐのだが、生憎には何も感じられなかった。これは、の記憶の中であろうか。 「巫女というのは、大変なのですね」 辛そうな顔で桔梗を見た。桔梗は遥か彼方の空を見ながら、「ああ」と言った。が知っている桔梗よりも、心なしか幼さが感じられた。 「誰にも弱さを見してはいけない。妖怪につけこまれてしまう」 空を見る目は、どこか悲しそうだった。 「四魂の玉を守るためには、そんなに強くならなくてはならないのですか」 「ああ。尤も、がいてくれるお陰で最近では妖怪もちょっかいを出さなくなってきているから助かっている」 「ですが玉を清く保つためには、私がいくら妖怪から守っても、桔梗の心次第なのですよね」 「ああ」 「誰かを慕うことすら許さない、と」 「……うん」 邪な者が持てば玉は穢れ、清らかな者が持てば玉は浄化される。誰かを好きになるということは心に乱れが生じ、清らかな心のままでいられなくなる、ということなのだろう。 「しかしそのような気持ちと言うのは自制できるようなものではないのでは」 「ああ、だから困るのだ」 苦々しい桔梗の表情。察するに、桔梗はすでに犬夜叉に惹かれているのだろう。いけないとは思いつつもやはり慕ってしまう。恋する気持ちは理不尽に自分を支配する。 「ねえ、桔梗。四魂の玉をなくす方法、ないのでしょうか」 「玉に一点の穢れもない清らかな願いをかければ、あるいは」 「一点の穢れもない清らかな願い……」 は桔梗の言葉を反芻する。 (そんな願い……あるのかな?) 願いと言うのは欲を満たしたいという思い。果たしてあるのだろうか、穢れもない願いなど。は考え込むように視線を落とし、黙り込んだ。 (どのような願いだって、私利私欲を伴ってしまいます) 耳を通してではなくて、頭に直接音が放り込まれてきた。声から察するに、たぶんの声。もしかするとこれはの心の声かもしれない。 (欲を伴うとは即ち、穢れを伴うこと。しかし――) 「桔梗には何か考えがあるのですね」 「ん……まあ、漠然とだが」 (犬夜叉と桔梗…。二人ならばきっと、玉をなくすことができなかったとしても守っていけるでしょう。私は必要ありませんね……) 「そうですか。よく、考えてみると良いでしょう」 「ああ、そうする」 (二人の幸せを祈っています) は穏やかな笑みを浮かべ、空を見上げた。 『こんにちは、』 気づけばいつもの赤い橋の上に立っていた。 「今の記憶は……」 『ええ、桔梗との記憶です。犬夜叉と桔梗、この二人に四魂の玉を託して私はいなくなった訳です。早まらず、もう少し彼らと共にいればこのような事態にはならなかったと思うと……死に急いでしまったと悔やまれます』 の死後、鬼蜘蛛が現れ、そして奈落が生まれた。 「起こってしまったことは仕方ありませんよ」 相変わらず穏やかで、それでいて憂いていた。なぜ自殺したの? 喉まで出かかった問いの言葉をなんとか呑みこむ。 「……今日、桔梗と会いました」 『そのようですね』 「わたし、桔梗のこと凄い、守りたいって思ったんです。これってきっと、の気持ちですよね」 『そうかもしれないですね……結局私は桔梗を守ることが出来なかった。未練みたいなものが、に残っているのかもしれません』 悲しげな表情の。 『、頼み事ばかりで申し訳ないのですが、桔梗のこともよろしくお願いします。ああ、死者の自我と言うのは本当にもどかしいですね。何かしたくても何もできない』 「……どうして、自殺なんてしたんですか」 呑みこんだ言葉があふれ出てきた。ずっと聞きたかったこと。けれども、聞けなかったこと。死のうとした理由なんて聞くべきことではない。けれども彼はわたしの前世であるし、彼のその理由を聞かなければいけない気だってするんだ。こんなのは正直、自分のエゴだ。けれど――― 『それは……』 ドキドキ、心臓が早くなる。 『秘密です』 ずこっと、芸人張りにこけそうになる。全く、なんてチャーミングな妖怪なのだろう。 『大した理由ではないのです。ただ、色のない世界で生きていくのが私にはできなかった。それだけです』 「色のない世界……?」 『ええ。では桔梗のこと、頼みましたよ』 いつもいつも核心をつけそうなところでするりと逃げてしまう。上手いなあ、なんて思いながらもまどろみだした世界。としばしのお別れをしなければいけない。じゃあね、。 刀々斎あらわる 桔梗が奈落に捕まっていて、それを探そう、なんていう話になっていたのだが、その桔梗に四魂のかけらをすべてとられていまった。桔梗は奈落と結託していたのだろうか。いずれにしろ追及する術はないので真相は闇に包まれたままである。ただ一つの事実は、今犬夜叉一行は、四魂のかけらを持っていない、と言うことである。 「とにかくみんな命は助かったんだ、四魂のかけらはまた探せばいい」 「うん……ごめんね」 犬夜叉らしくない物言いに、かごめは相変わらず落ち込んだように頷いた。 「犬夜叉らしくないね。なんであんな物分かりがいいの?」 ヒソヒソと珊瑚。 「そりゃあ四魂のかけらを奪ったのが桔梗さまだからでしょう」 ヒソヒソと弥勒。 「惚れた女の犯行ではのう」 ヒソヒソと七宝。 「でももしかしたら、奈落になんか弱みを握られてたのかもしれないよ」 ヒソヒソと。なんだかんだ桔梗をかばってしまう。 犬夜叉とかごめが少し先を歩く中、後ろで珊瑚と弥勒、七宝とが言葉をかわす。 「なんだかごめ、お前も、俺が桔梗を庇ってるっていうのかよ」 「違うの?」 「ばっ、おめえなあ!」 と、その時、空から何やら音が聞こえてくる。なんだ? と空を見上げた瞬間にはまばゆい光が物凄い轟音と共に落ち、地表に何かが舞い降りた。三つ目の牛と、その上に乗る大きな目に髪を一つに縛り上げた、とぼけた表情のよぼよぼおじいさん。敵か、味方か、判断する前におじいさんが口火を切る。 「わが名は刀々斎。抜け、犬夜叉」 刀々斎と名乗るおじいさんは、犬夜叉の名をなぜか知っていた。どうしようか迷っているうちに、刀々斎が軽々牛から舞い上がり、 「抜かないならこちらからいくぞ」 と言い携えていた金槌で犬夜叉に襲い掛かる。犬夜叉は鉄砕牙を抜き応戦するが、なんと犬夜叉が刀々斎に押される。刀々斎は見かけからは考えられないほど力があるらしかった。 刀々斎は鉄砕牙を押し切るとふわりと舞い上がり少し距離をとる。 「ふん、まだまだ音が濁っとる」 「なっ、なんなんだてめえは!!」 犬夜叉が鉄砕牙をかざし、刀々斎に斬りかかろうとすると、刀々斎は懐から皮を取り出して、それで鉄砕牙を受け止める。皮で受け止めるなんて、この人は一体何者なのだ。 「刀々斎、もうよかろう」 「冥加じじい!?」 相変わらずどこからともなくピョンと現れ、冥加が刀々斎に語り掛ける。二人は知り合い、ということは犬夜叉の父の家臣の一人なのだろうか。 一行は少し丘を登り、木陰までやってきて腰を下ろし話をすることになったのだが、腰を下ろした途端刀々斎が狼狽える。 「うおおお前、か!? なんだお前死んだんじゃなかったのか」 「え、あ、ええと……」 「なんじゃ刀々斎、気づくのが遅いのう」 冥加がの前で跳ねながら言う。 「いやでも冥加、は死んだだろ、ちいと前に西国のほうで」 「なんとはの生まれ変わりなのだ」 「生まれ変わり? ほー……よく見れば黎明牙だなそれは」 刀々斎の視線がの腰元にいき、黎明牙を捉える。 「あやつ、生前から『死ぬときは親方様の牙で貫かれたいんです』なんて酔狂なことを言ってたんだが本当に親方様の牙で造った黎明牙を胸に突き刺したんだから大したもんだ」 刀々斎が頭をポリポリかきながら言う。酔狂、確かにその通りだ。しかし嬉しそうに言うの顔を想像することは容易い。 「黎明牙は犬夜叉のお父さんの牙で造ったんですか?」 「そうじゃ、そして犬夜叉様の鉄砕牙も、この刀々斎が造ったのじゃ」 「へええ!」 冥加の説明にとかごめは感心したように声を上げた。 「で、そいつが何の用だよ、刀でも研ぎに来たのかよ」 突然襲われて、機嫌もよくない犬夜叉がぶっきらぼうに問う。 「ああ、お前がまことに鉄砕牙にふさわしい使い手ならな。ただし、資格なしとなれば鉄砕牙はわしの手で叩き折る」 「てめえ、おれを試そうってか」」 ますます犬夜叉の機嫌が悪くなる。今にも飛びかかりそうだ。 「うむ、わしゃ命を狙われておる」 「あ?」 「鉄砕牙に匹敵する刀を打て。さもなくば殺すと、無茶なことを言う馬鹿者がおってな」 そんなことを言うのはひとりしか思いつかない。 「そやつからわしを守ってみい」 腕を組んで犬夜叉に頼む。 「あのなじじい」 犬夜叉がむんずと刀々斎の顔を掴み、 「守・っ・て・く・だ・さ・い・だろ?」 と凄むのだが、相変わらず刀々斎は飄々としたままであった。 「来た」 掴まれたまま刀々斎はぽつりとつぶやく。反射的に空を見上げれば、やはり先程頭に思い浮かんだ人物、殺生丸が双頭の竜のような妖怪に乗ってこちらにやってきていた。 殺生丸はふわりと地上に降り立つと、犬夜叉と対峙する。 「、久しいな。今日こそ犬夜叉を倒して連れていく」 「はあ……」 「なあに、あいつ」 珊瑚は初対面であった。ひそりに聞いたので、「犬夜叉のお兄ちゃんだよ」と小さく耳打ちした。 「なんでのこと連れてこうとしてるの?」 「わたしの前世の妖怪と仲が良かったみたいで」 ふうん、と珊瑚は腑に落ちたような、落ちてないような表情でつぶやいた。 「おじいさんの命を狙ってるのって……」 「いかにも殺生丸じゃ」 かごめの問いに、刀々斎が冷や汗を流しながら頷く。飄々とした刀々斎が焦る姿を初めて見る。 「犬夜叉、なぜ貴様が刀々斎とつるんでいる」 「知れたこと、貴様を成敗するためよ!」 刀々斎が犬夜叉の陰に隠れながら言う。 「よほど、死に急いでいるとみる」 パキッ、と殺生丸が手を鳴らす。 「いやっ、犬夜叉を倒したら新しい刀を打ってあってもいいかなーと……」 先ほどと全く話が違う。 「刀々斎、今の言葉忘れるなよ」 その麗しい顔に妖しい笑みを浮かべて殺生丸が言った。 |