「にしても妙ですね」

弥勒が、不意に呟いた。

「犬夜叉、お前五十年前にこの村で奈落の罠にかけられたとのことですが」
「ああ」
「つまりお前は奈落に会ったことがあるのです。」
「…会ったと言っても、桔梗に化けた姿でだ。正体はわからねえ」

犬夜叉の横顔は、どこか遠くに思いを馳せているようだった。
は黙って二人の会話を聞いている。

「それが妙だと言っているのです。お前は奈落を知らない。なぜ恨まれているかも。」

弥勒の言葉を頭で整理し、なんとか理解する。
つまり、犬夜叉は面識のないはずの奈落に恨まれている。それが変だと弥勒が言っている。
言われては、なるほど!とひそかに感心した。

「もっとも、亡くなられた桔梗様は巫女だったという。
 奈落はお前よりもむしろ、桔梗様と関わってたのかもしれませんな。」

新しい可能性の浮上に、犬夜叉は足を止め、驚きを滲ませて弥勒を見た。

+++

「犬夜叉、この傷では闘いは暫く無理じゃ」
「うるせえ、二・三日で塞がる」

楓があきれたように呟きながら、塗り薬を彼の傷に塗っていく。
さすが半妖だけあって、傷口が塞がりつつあったが、それでも痛々しく思えた。
はなるべく犬夜叉の傷口を見ないようにしながら、いろりの周りで楓にいただいたお茶をすする。

「無理だと思うけど」

ボソッと呟いた。

「俺に不可能はない!」

どこぞの皇帝と同じようなことを言う犬夜叉。

「それより楓ばばあ、奈落について思い当たることねえのかよ?」
「わしとて考えていたさ。あの時…桔梗お姉さまが骨と土で蘇って以来ずっとな。」

桔梗は妖怪によって骨と墓土と僅かなかごめの魂で蘇った。
犬夜叉への恨みを抱いて死んだので、犬夜叉が死なない限り成仏ができないと言うのだ。

愛し合っていた二人を引き裂くなんて、奈落はつくづく外道なのだと思う。

「犬夜叉の姿を借りたそやつは、そのまま玉を持って逃げてもよかったのだ。それなのに」

犬夜叉、おまえに村を襲わせ、四魂の玉をつかませるように仕向けた。
そして、桔梗のお姉さまの手でお前を殺させた。

「お前達を憎しみ合わせたかったのか。あるいは…桔梗お姉さまの心を憎しみや恨みで汚したかったのか。」

四魂の玉は桔梗が持つことで浄化されていた。
その桔梗の心が汚れると言うことは、四魂の玉も汚れ、邪悪な力も増すと言うことだ。
どちらの説もありえる。

「そのころ、それを望むものが…ただ一人いたのだ」

楓の発言に、一同は目を見開き楓を見た。
事態は急激に進展を見せる。三人の顔を見渡し、口を開く。

「行ってみるか?そやつがいたところに…」

犬夜叉が静かに頷いた。


草が生い茂る道とは言えぬ道をひたすら進み続ける。
弥勒がに気を使い、錫杖で草を払いながらの前を歩き、歩きやすいようにする。

「ありがとう。弥勒。」
「いえいえ。」

などと言う会話を交わした後、楓が前を行く足を止めぬまま口を開いた。

「そやつは鬼蜘蛛と名乗る野盗でな。隣国で散々悪事を働いて逃れてきたのを桔梗お姉さまが匿っていたのだ。」
「桔梗が、どうして?」
「鬼蜘蛛はまったく動けなかったからだ。」

と、楓が言った後、目の前にまるで何かを飲み込むかのようにぽっかりとあいた大きな洞穴までやってきた。
どうやらここがかつて鬼蜘蛛がいた場所らしい。心なしか気分が悪い。
この場所はとてもじゃないがいい場所とは言えない。

「全身はひどい火傷を負って、顔は特にひどくやけただれていたし…がけから落ちたのだろう。
 両足の骨は砕けていた。」

楓の言葉に、反射的に思考をめぐらせ鬼蜘蛛の様子を想像し、はぞぞっとした。
この時代の医療は現代よりも遥かに劣っていたので、やけどの痛みを和らげる塗り薬や、
骨を元に戻すなんてことできなかっただろう。
痛みに苦しみもだえながら死を待つだけの日々なんて耐えられない、とは思った。

「それでも鬼蜘蛛はいきておった。動けはしなかったが、粥をすすり、話をするほどに回復した。」

だが、やつの性根は…。
楓が苦い顔をする。

四魂の玉を狙う悪党で、やはり彼も四魂の玉を悪いように使おう。と企むのには変わりなかった。
彼は、桔梗の心が汚れ、四魂の玉が悪くなるのを願っていた。
それを知りながら桔梗は鬼蜘蛛を許しておあげ。と楓をたしなめたのだった。

「それからまもなくだ。お姉さまが犬夜叉を殺し、自分も死んだのは。そして数日後わしが訪れたとき、
 洞穴は焼け落ちていた。明かりの火が燃えたのだろうと。
 鬼蜘蛛は逃げる事ができず骨も残さず焼け死んだのだと思っていた。」
「待てよ楓ばばあ。そいつは人間だろ?奈落は妖怪だぜ。」
「確かにな。どれほどに邪悪であってもやつは人間だった…それだけは確かじゃ。」
「入ってみますか。この洞穴…なにかいやなものが残っていそうだ。」

弥勒の言うとおり、もこの先になにかがあると感じて、小さく頷き、ぎゅっとこぶしを握った。
――大丈夫、怖くなんてない!
必死に勇気を奮い立たせて、は誰よりも先に第一歩を踏み出した。

淀んだ空気に嫌悪感を抱くが、足場の悪い洞穴を進む。
先頭を行くは滑らないよう気を付けてと言おうとしたときだった。

「結構足場あやしうわあああっ!!」
「「「!」」」

滑った。
思い切り尻を撃ち、鈍い痛みが襲う。

「大丈夫ですか?」
「い、痛い…」
「全く、気を付けなさい。」

弥勒がの手を引っ張り立たせた。
は素直にはい、と頷いた。そのまま少し下ると、草一つも生えていない場所があった。
長さは2メートルくらいであろうか。と、目測していると、楓が隣で「ここは…」とつぶやいた。

「ここは動けぬ鬼蜘蛛が横たわっていた場所…。」
「え、でも何十年も前だよね?」

何かを敷いてそこに誰かがずっと横たわっていたからって、何一つ生えないことはないだろう。

「聞いたことがあります。妖怪が強烈な邪気を発した跡には何十年も草木一本生えぬことがあると…」
「法師どの、それでは鬼蜘蛛はこの場で」
「妖怪に、取りつかれたのかもしれませんな。」

なんとなく話が見えてきたときだった。




鬼蜘蛛という男