同じ空間にいるだけでわたしの意識はすべてその人へと行ってしまう。いつもいつも不思議に思っているが、これが憧れという感情なのだろうと思った。同性でありながら分隊長として隊を導き、前線で戦い、指揮能力だけでなく身体能力も高い。着眼点や、洞察力が優れていて、巨人の研究のために、もはやこの兵団になくてはならない存在だ。 「どうしたの、」 ナナバさんの言葉にふっと意識が戻り、一気に食堂の喧騒に包まれた。またわたしはハンジさんを見つめていたらしい。ハンジさんはモブリットさんと一緒にトレーを持って食堂の列に並んでいて、わたしの視線は、たった今まで、蜜に吸い寄せられる蜂のように、ごく自然に、本能的に吸い寄せられていた。 「なんでもありません」 「口、半開きだったよ」 くすくす、とナナバさんが笑う。わたしは顔に熱が集中するのを感じながら黙り込んだ。すると、ミケさんとゲルガーさんがトレーを持ってきた。ゲルガーさんはナナバさんの隣に、ミケさんはわたしの隣に座った。 「リヴァイ、食堂にいるなんて珍しいな」 ミケさんが言う。その言葉にわたしは弾かれたようにミケさんの視線を辿る。視線と先にはリヴァイ兵長が神経質そうな三白眼でミケさんを見ながらトレーを持って立っていた。とても珍しい光景だった。 「エルヴィンにたまには食えと言われてな」 もう一人、そばにいるだけでわたしの自由を奪う人がいる。その人のことは憧れという綺麗な言葉だけでは言い表せない。異性として恋焦がれている。もちろん、叶わない恋だということは分かっているから、どうこうしようなんてことは考えていない。小柄で、粗暴で、口も悪い。けれど誰よりも優しくて真っ直ぐな人、リヴァイ兵長だ。 +++ 雨のシトシトと降る今日は、屋外の訓練は午前中で終わり、午後は休暇となった。すっかりと濡れ鼠になってしまったので風呂で体を温めて着替えると、わたしは図書室にやってきた。図書館特有の本の匂いと静けさが、わたしは好きだ。特に目的の本があるわけではなかったので、ひとまず一番奥の本棚までやってくると、先客がいた。その姿を認めた瞬間、ぎゅっと心臓が掴まれたような感覚になった。片足体重で立ち、真剣な表情で本を立ち読みしている。ハンジさんはわたしが来たことに気づいていないようだった。わたしはどうしようかと考えあぐねる。声をかけるべきか、別の書棚に行くべきか……。と、そのうちに、ハンジさんがわたしに気づいて、視線を本からあげた。 「あぁ、どうしたの? もしかしてお邪魔だった?」 「あ、いえ。たまたま通りかかっただけです。何読もうかなって考えてまして」 「そっか。それじゃあ私のおすすめを紹介してあげようか」 「是非お願いします」 それからハンジさんが巨人に関する本を熱く紹介してくれた。本棚を移動してはその本を手にとってパラパラとめくり、内容を紹介してくれた。正直、本の内容よりも、熱心に話すハンジさんの顔にばかり意識がいってしまう。高い場所にある本も、ハンジさんのスラッとした長身ならば難なく取ることができる。 何冊目かの紹介で、それは図鑑のようなものだった。近くにあった長椅子に二人で座り込み、ハンジさんが本を手に持って、二人で同じ本を覗き込む。 「―――ね、だから巨人の研究をする必要があるんだよ」 そう言いながら、ハンジさんがわたしを見た。その視線に気づいてわたしもハンジさんを見て、わたしたちの視線がひとつに重なった。瞬間、雷に打たれたかのような衝撃がわたしを襲う。改めてハンジさんとの距離の近さを感じる。こんなに間近で見るのは初めてで、その美しさに、その瞳の熱に、わたしは吸い寄せられる。頭の中がハンジさんで一杯になって、心臓が物凄い速さで動く。どうしてわたしはこんなにドキドキしているんだろう。 と、そのときだった。 「な! ……にするんですか」 突然のことだった。ハンジさんの顔がこれ以上にないくらい接近して、そして、唇が重なった。勢いが良くて、歯が当たるような荒いものだった。わたしは咄嗟に仰け反って、距離を取る。一瞬大きな声を出してしまうが、ここが図書室であることを思い出して、声を潜める。 ハンジさんに、キスをされた。その事実を認識した瞬間、なんとも言えない背徳感に襲われる。 「ごめん。私はが好きなんだ」 謝りの言葉とともに、ハンジさんは申し訳無さそうな顔でとんでもないことをさらりと言ってのけた。好き? 好きって? 「好きって、その、わたしたちは女性同士で……」 ハンジさんは女性だ。憧れてるし、かっこいいと思ってるけど、キスしたり、身体を求めたいとは思っていない、はずだ。 「私は、男とか女とか関係ない。が好きなんだ、だから好き、だからキスした」 「わ、わたしだって、ハンジさんを……好きですけど」 「いいや、君はリヴァイが好きなんだろう?」 的確な急所を突くような言葉に、わたしの身体が嫌に冷えていくのを感じる。知られたくない事実を白日の下に晒されたかのような感覚だ。バレていた、ずっと心に閉まっていたこの想いは、ハンジさんにはお見通しだった。わたしは何も返せないでいた。 「もう一度言うけど、私はが女性だろうと男性だろうと、好きだ。貴方と私の好きはこんなにも違う」 想いを込めた瞳は熱を孕んでいて、わたしは泣きたいような、逃げたいような、そんな気持ちになる。そんな想いを抱かれていたなんて、考えたこともなかったし、少し怖くも感じた。 「でもごめん、勢いに任せて同意なくキスをしてしまった。忘れて。大丈夫、もう二度とこんなことをしないし、どうこうなりたいなんて思ってないから」 勝手にキスをしておいて、忘れろと言う。ハンジさんは相変わらず勝手だ。距離を空けるような言葉にわたしの胸にぽっかりと穴が空いてしまったかのように寂しい気持ちになった。そしてそんな自分に戸惑いを隠せない。この動揺を見透かされたくなくて、わたしは「失礼します」と告げて、その場を立ち去った。 自室に戻ったわたしはベッドに倒れ込むと、目をつぶった。すると何度も何度もハンジさんの顔が出てきては、熱のこもった瞳に見つめられ、キスをされる映像が繰り返される。ドキドキと心臓は高鳴り、この言いようのない感情を持て余した。 わたしはリヴァイ兵長が好きなのに、でも、ハンジさんにキスをされて、されたときは抵抗があったけど、けれど、今は…… あんなことがあったけど、時間は何事もなかったかのように過ぎていく。雨でもともと暗かった外の様子は、夜になると真っ暗になった。お腹が空いてきたので、わたしは食堂へと向かった。 雨はまだまだ止みそうにない。しとしとと降る雨の音を聞きながら、食堂の前でわたしは立ち竦んでいた。この中にハンジさんがいるかも知れないと思うと、とても入りづらかった。けれどいつかは入らないと、そろそろお腹も限界だ。 「入らねぇのか」 後ろから掛けられた声は、身体の真ん中が熱くなるような感覚がした。振り返らなくたってわかる。 「リ、リヴァイ兵長……お疲れさまです。入ります。珍しいですね、お昼も食堂に来て、夜もいらっしゃるなんて」 「食堂の飯も悪くねぇと思ってな」 わたしたちは並んで食堂へと入った。扉を開けた瞬間、ガヤガヤとした喧騒に迎え入れられる。殆ど反射的にハンジさんがいないかどうか探すが、幸か不幸か、ハンジさんはすぐに見つかった。モブリットさんと並んで、この食堂を出ていくところだった。ハンジさんもなにかを感じ取ったかのようにこちらを向いて、わたしたちの視線は混じり合った。わたしは気まずい気持ちになるけど、なんで被害者であるわたしが気まずい気持ちを抱かないといけないのだと考え、気を持ち直した。あと少しでわたしたちはすれ違う。ドキドキと嫌に心臓が早くなる。 そしてわたしたちがすれ違うときに、ハンジさんはわたしを見ながら、人差し指を一本立てるとそれを唇の前に持っていき、妖艶に笑んだ。これは「秘密」のサインだ。 「何だ今の、クソメガネ」 「なんでもないよー」 事情を知らないリヴァイ兵長がハンジさんが言うが、ハンジさんは飄々と答えて去っていった。 +++ くちゅくちゅと、いやらしく粘りっけのある水音だけがこの部屋を支配している。脳が溶けていくかのような快感が全身を包んでいて、身体の真ん中が熱くて仕方ない。 「……はぁ、ねえ、本当にいいの?」 顔を離したハンジさんの顔が窓から差し込む月明かりに照らされている。ベッドの上に座り込んだわたしたちは向かい合って深いキスを交わしていた。ハンジさんの仄白い首筋がとても美しくて、わたしはハンジさんの問いには答えずに、そこに顔を埋めて啄むようにキスをした。 「はは、積極的じゃないか」 余裕そうなハンジさんはわたしの腰に手を回す。それだけで触れられた場所にビリビリとした衝撃が奔って、わたしの身体を切なくする。わたしは顔を離すと、ハンジさんと向かい合った。 「わたしもハンジさんが好きです。女でも、男でも、そんなのどうでもいいです。ねえ、わたしたちの好きは一緒でしたよ」 「君はリヴァイが好きだったじゃないか」 「リヴァイ兵長が好きでした。でも、そんなの忘れてしまうくらいハンジさんが好きです」 こんな世界があるなんて知らなかった。あの日あの時ハンジさんにキスされなければ一生気づかないでいた感情は、今は自分の中には留めておけないほどの質量と熱量に膨らんでいる。わたし、こんなにハンジさんのこと好きだったんだ。 「全部ハンジさんのせいです、責任取ってください」 「当然そのつもりだよ」 今度はハンジさんはわたしの首元に顔を埋めると、唇を落としていく。 |