集合のポイントにはやはりリヴァイ班が先についていて、不機嫌そうに腕を組んだリヴァイはハンジ班が到着するなり「遅い」と眉間にシワを寄せて凄んだ。それに対してハンジは悪びれる様子もなく、「ごめんごめんー」と謝った。両班は成果を簡単に報告すると、今度はリヴァイ班がハンジ班ルートを、ハンジ班がリヴァイ班ルートを辿りながら調査団本部へと戻る。帰りのルートは特に気になるものもなく、遠征終了後に集まって各班が今日の収穫を報告しあったが、ハンジが見つけた爪以外は目ぼしい収穫はなかった。
 解散となったあとに、ハンジにこそっとギタリスト宛の手紙を渡すと、「明日にでも渡しておくね」と言った。ハンジに手渡したギタリストへの手紙を見ていると、書き綴ったときのことを思い出す。どれほどの想いを込めたことか、どれほどギタリストのことを好きだと思ったことか。やはり自分がギタリストのことが好きなのだと改めて感じた。そう、ハンジへのトキメキは一時的なものなのだ。

(吊り橋効果、吊り橋効果……)

 帰り道は念仏のように頭の中で唱え続けた。
 家に帰るとは生徒手帳がないことに気づいた。いつも制服のブレザーの内ポケットに入れていたのに、いつもの場所に入っていないのだ。かばんの中身もひっくり返して探したが、見つからない。どこかで落としたのだろうか、と考えたところで、今日の調査団の遠征を思い出す。迫る巨人から逃げたときに落としたのだろうか。むしろそこしか考えられない。その時の記憶に引きずられて、あのときのハンジを思い出して胸が深く脈打つ。無意識にぶんぶんと頭を振って、その記憶を振り払おうとするが、消えてくれない。

「違う、勘違い、違う違う。わたしが好きなのはギタリストさん」

 自らに言い聞かせるようには唱えると、ばちばちと両頬を叩いた。変に意識してしまうのが続いているが、寝たらこの気持ちもきっと忘れるだろう。遠征による疲れもあったため、その日は早めに寝た。
 翌朝、モブリットと登校している道中で生徒手帳をなくした話をした。

「ねえモブリット、探すの一緒に手伝ってくれない?」

 ひとりであの鬱蒼とした巨大樹の森を捜索するのは怖かったから、モブリットを誘ったのだった。

「ああ、勿論いーーー」

 快諾しかけて、モブリットは一度言葉を止める。一つの考えがモブリットの頭に浮かんだのだった。

「……残念だけど、今日の放課後は予定があるんだ。ハンジ先輩に手伝ってもらったらどうだ」

 モブリットは機転を利かせて提案をする。ハンジ先輩、貸し1ですよ。なんて心のなかで呟くが、対するは昨日のことがあるので、ハンジとふたりきりになるのは嫌だった。なのでモブリットの提案には不服な声を上げた。

「ええっわたしの生徒手帳探すのより大事な予定なの?」
「大事だよ。だからハンジ先輩にお願いしてくれ」
「ううーー」

 恨みがましい視線をモブリットに送るが、モブリットは知らんぷりを決め込む。

「……わかったよ。そうする」

 は渋々頷いた。

「そうしてくれ」
「貸し1だからねモブリット」
「いやなんでだよ!」

 朝からモブリットのツッコミは的確で、はころころと笑った。
 昼休みになり、ご飯を食べ終わったあとにハンジのいる教室へと恐る恐る向かう。普段行かない上級生のいる教室へ行くのは少し緊張してしまう。3年生が賑やかにたむろしている廊下をできるだけ気配を消しながら早歩きでゆく。心做しか、ジロジロと視線を感じる。見慣れない顔が廊下を歩いていたらやはり目立つのだろうか。このどこかにギタリストもいるのだろうか、そう思うと心臓がぎゅっと握られたように締め付けられた。
 やがてハンジの教室にたどり着くと、開いた扉からそろっと覗き込む。の教室と同じ作りなのに、それが上級生のクラスだと急に全く違う場所だと思えてくる。視線を彷徨わせると、窓際の席に、ジャージの上に白衣を羽織った生徒がいた。間違いない、ハンジだ。ハンジは机に向かって熱心に何かを書き込んでいるようだ。

「誰かに用事?」

 クラスから出ようとしていた二人組が、に気づいて声をかけてくれた。

「あ、あの、ハンジ先輩に用事がありまして……」
「ハンジ? ちょっとまってね、おいハンジー、後輩がきてるぞ」

 クラス中に響き渡る声でハンジを呼んでくれたおかげで、ちょっとしたどよめきがクラスに起こる。ハンジはくるりと振り返り、「あれ、!」とこれまた大きな声で叫ぶものだから、の正体はクラス中に知れ渡ってしまった。「ハンジに後輩が会いに来てる?」「しかも女の子?」「ハンジとどういう関係?」「まさか付き合ってるの?」「いやまさかね」などと言うざわめきがの耳にまで届いていて、顔が熱くなる。すっと身を引いて廊下でハンジを待っていると、程なくしてハンジが廊下に出てきた。通りすがる先輩方の視線が刺さり、痛い。

、どうしたの? 昼休みに私に会いに来てくれたなんて初めてじゃない?」

 とてもウキウキとした様子でハンジが言う。昨日ほどではないが、やはりハンジのことを意識している自分がいることに気づいて、なんとなくやり辛い。これは手短に要件を伝えて早く自分の教室に帰らなければ、心臓が持たなそうだ。

「あのハンジさん、実はですね……生徒手帳をなくしてしまいまして、多分、昨日の遠征のときに巨大樹の森で落としたんだと思うんです。それで……その、今日の放課後、探すの手伝ってくれませんか」
「そうだったんだね。勿論構わないよ、行こう」
「ありがとうございます! では、失礼します」
「え、もう行っちゃうの? あがってきなよ」
「いや自分の部屋みたいに言わないでくださいよ。すごく気まずいので帰ります! ではまた放課後に!」

 まるでこの状況は、昼休みに好きな先輩に会いに来た後輩のようだ。通りすがる先輩方の好奇の視線にもいい加減耐えられなくなってきた。は一方的に別れを告げると、逃げるように立ち去った。すると背後から「待って!」と呼び止める声が聞こえてくる。振り返れば、ハンジが追いかけてきていた。

「ねえ、昨日の手紙のことなんだけどさ、今日彼に渡したから。彼、とても嬉しそうだったよ」

 の表情にじんわりと喜びの色が広がっていく。

「ありがとうございます。書いてよかったです」
「彼に会いたいとは思わないの? この階のどこかに彼はいるんだよ」

 ハンジの言葉には少し考える。ハンジの言う通り、この階のどこかにギタリストはいて、同じように学園生活を過ごしているのだ。会いたいかと言われたら、勿論―――

「会いたいな、とは思います。でも……まだその時ではないと言うか……いつかわたしが紹介してくださいと言ったら、紹介してくれますか」

 会ってどうすればいいのだろう。告白する勇気もないし、デートに誘う勇気も、連絡先を聞く勇気もない。その勇気が出るまでは、会いたいとは思っていない。
 じっとハンジの目を見据えれば、一瞬、困ったような、戸惑ったような、寂しそうな、いろんな感情が織り交ざったような表情になって、そしていつもどおりの表情で笑った。

の頼みならもちろんだよ。もう私たちも卒業だしね」

 ああ、卒業か。新緑に覆われていた校庭からはいつの間にか緑は消えて、寂しい色合いで彩られている。冬が来て、再び緑が芽吹き、桜が咲き始めるころには、ギタリストも、ハンジも卒業をしてこの進撃中からいなくなってしまうのだ。わかってはいたけど、改めて突き付けられた事実に、チクリ、細い針が突き刺さったような痛みを訴える。

「ハンジさんも卒業しちゃうんですね」
「そうだね、名残惜しいけど。寂しいかい?」

 たくさんの時間をハンジと過ごしたから、ハンジのいなくなった生物部や調査団が想像できない。それくらい一緒にいるのが当たり前の先輩だ。ハンジのいない学園生活を思うと、何かが足りないような気がした。例えるならば、シロップのかかってないパンケーキみたいな、そんな物足りなさ。

「寂しいです」

 一瞬ハンジは面食らったような顔になったが、すぐにいつもの笑顔になる。

「そんな風に思ってくれる後輩がいるなんて、嬉しいねぇ」
「当たり前じゃないですか」

 卒業すれば今みたいにほとんど毎日顔を合わせる生活はなくなる。はハンジのいない進撃中の生活を送り、ハンジは進学先の高校で新しい生活を送る。これまでの当たり前がなくなってしまうのだ。進学先の高校でもきっとハンジはどこまでもハンジだろう。そこで新しい仲間を見つける。巨人の爪を見つけたと言ってはしゃぐ姿を一番に見せてくれるのが、ではなくなってしまうのだ。“今”が永遠に続けばいいのに、と願わずにはいられない。でもそれは叶わないと分かっている。ずっとハンジと実験をしていられればいいのに。
 と、ギタリストがいなくなってしまうことよりも、ハンジがいなくなってしまうことばかりを考えていることに気づいて、ハッとする。

「えと、じゃあまた放課後に」
「うん。呼び止めて悪かったね、じゃあね」

 今度こそはハンジのもとから立ち去った。