巨人の捕獲をするために必要な要素は幾つかあるが、その中でも連携はかなり大事だ。方々から連鎖するように巨人を攻撃し、自立不能状態まで持っていき、そして捕獲を試みる。言葉にしてみれば簡単だが、実際は容易ではない。班内でどの様に動けばいいのかを瞬時に判断し、相手の動きに合わせて自らも動く。腱を切り裂くもの、視界を奪うもの、注意を引くもの、役割はさまざまだ。巨人の捕獲のみならず、巨人討伐において、班員同士の連携は必要不可欠である。
 そして調査兵団の生存率は他兵団と比べると著しく低い。仕事の内容を考えれば仕方のないことだが、そういうわけで班員の入替わりも度々ある。ともすると、連携というものは育ちにくいのだ。連携の重要性が分かる例として、リヴァイ班があげられる。そもそも個人の能力が高いと言うのもあるが、息の合った共闘で抜群の生存率と討伐率を誇っている。
連携の向上は即ち兵士たちの生存率の向上にも繋がると考えたエルヴィンは、班内の連携を養うための試行的な訓練の実施をハンジに任じた。エルヴィンから訓練の内容を聞いたハンジは、全て聞き終えたあとに感心したように息をついた。

「相変わらず面白いことを考えるねぇ。分かったよ。……その対象は、私が決めていいんだよね?」
「そうだ。期間は一週間。よろしく頼む」
「はいよ」

 ひらひらと手を振ってハンジは団長室を後にした。廊下を暫く歩き角を曲がったところで、ハンジは妖しい笑みを浮かべて、拳を強く握った。

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 が見慣れた扉を叩けば、扉の奥の執務室の中から、どうぞー。と返事が聞こえてきたので、は扉を開ける。執務室内では執務机に向かって座っているハンジが書類に目を通していたようで、の来訪に気づくと書類から顔を上げて、笑みを浮かべた。

「失礼します。です。わたしを探していたと伺ったのですが」

 先程モブリットから、ハンジがを探していた旨を聞いて、慌ててハンジの元へやってきたのだった。ハンジは最近異動した先の上官で、が密かに想いを寄せ続けている相手だった。仕事だろうとなんだろうと、ハンジからの呼び出しには胸が締め付けられる。

「うんうん! 実はね、エルヴィンから特別な訓練が課せられてね」

 さ、座って。と言われてハンジから目の前の椅子を手で案内されたので、はその通りに執務机の前に備えてある椅子に座り込む。それでね、とハンジは話を続ける。

「何をするのかというと、一週間可能な限りずっと一緒にいて行動を共にすることなんだ」

 の思考が一瞬で止まった。

「訓練の目的は、班内連携の醸成にある」

 そこからハンジは説明を続ける。巨人を捕獲するには、息を合わせて巨人の動きを封じる必要がある。そこで、可能な限り行動を共にすることにより、相手との連携がより高まるのではないか。すると、共闘での技術の向上が見込まれると推察される。その仮説の証明のための、試験的な訓練とのことだった。

「だから明日から一週間私と可能な限り一緒にいてほしい。……?」

 停止していたの様子を見かねてハンジが訝しげに名前を呼ぶ。その声ではっと我に返ったは、すっかり動きが鈍くなった脳を稼働させ、なんとか言葉を探し出す。

「一週間、わたしとハンジさんが、一緒に過ごすってことですね」

 ハンジの言葉を少し言い回しを変えて復唱した。それが今のの精一杯だった。沢山の疑問や戸惑いが水沫のように浮かんでは弾けて消えていく。

「さすがにお風呂とかトイレは別々だけど、朝起きてから夜寝るまで、基本的にはずっと一緒ね」
「ええと……すると、同じ部屋で寝るということでしょうか」
「そうなるね。さすがに同じベットっていうのはアレだからさ、別々のベッドだけどね」

 の頭には一瞬でハンジと同じベットで寝る様が浮かんで、心臓が早鐘を打つ。今の自分の気持ちがどうなっているのか、当の本人がわからなかった。嬉しいのと、戸惑いと、不安と、とにかく色々な感情が渦巻いていた。

「引き受けてくれる? それとも、少し考える?」
「あ……と」

 そんなの、ハンジとずっと一緒にいたいに決まっている。それに団長直々のご指名とあらば、受けないなんて言う選択はない。
 ―――と、は考えているが、団長直々のご指名とは言われていない。のご指名はハンジからなのだが、勝手にが話の文脈から思い込んでいるだけだ。

「はい、お願いします」
「ありがとう! それじゃあ明日から訓練開始でいいかな。今日の夜にでも荷物をまとめて、明日の仕事終わりから私の部屋においで。今日はもう上がっていいからね」
「わかりました、それではお先に失礼します」

 そこからフラフラと自室に戻り、気がつけば自室のベッドに座り込んでいた。
 ―――そもそも仮にも男女が昼夜問わず行動をともにするというのは、いかがなものなのだろうか。なにか過ち的なものは起こらないのだろうか。にとってはむしろ過ちが起こったら僥倖なのだが、相手ならば間違いなく過ちを起こさないと思われているからだろうか。それともエルヴィンにとってハンジは無性別なのだろうか。男でも女でもない、ハンジ。だからそういう考えは全く微塵もないと。……分からなくもない。
 大事なのは、連携、共闘力の強化だ。この訓練が成功すれば調査兵団の生存率が上がるかもしれない。ともすれば、これはとても重要な訓練だろう。だからそんな浮ついたことを考えてはいけないのだ、そうわかってはいても―――

「あ〜〜〜〜!!!! 緊張するッッッ!!!!! どうしよう!!!!!」

 顔を手で覆い、ベッドに横たわり、固い枕に顔を押し付けて思いの丈をぶちまける。にとってはとんでもない神展開だが、ハンジにとってはただの部下なのだ。これは調査兵団の連携力強化のための大事な訓練。わかっている、わかってはいるが、どうしても感情が抑えきれない。段々息が苦しくなったので枕から顔を離す。

「ハンジさん、どうしよう、一緒に寝るって……」

 いびきとか歯ぎしりとか大丈夫かな、寝顔とんでもないブスだったらどうしよう、と今度は急速に不安になってくる。ワクワクしたり、不安になったり、感情の起伏が激しいが、ふと冷静になり、荷造りをしなければならないことを思い出す。荷造りと言っても、必要な荷物はそう多くない。着替えくらいだろうか、と考えて、一気に顔に熱が集中する。

「着替えも一緒!?」

 それは、まずいんじゃないだろうか。心臓がとんでもない速さで動き、様々な想像が脳裏を駆け巡る。好きな人に下着姿を見られるのはさすがにまずい、対する自分はと言えば、ハンジの生着替えが見れるとしたら、その日一日どころか一年くらいは思い出して悶えてしまいそうなくらい幸せだ。
 兎にも角にも、着替えやタオルなど必要なものをカバンに詰めて、あっという間に準備が完了した。もし忘れ物をしても取りに戻ればいいのだから気楽なものだ。明日から一週間、ハンジとの共同生活が始まる。心の準備を整えるには短い時間だが、かえってそのほうが良いかもしれない。一ヶ月後開始だったとしたら、その間ずっとこのソワソワした気持ちが続くと考えたら身が持たない。間違っても嫌われることだけはないように気を付けないと、深く頷いた。その日はご飯を食べ終えると早々に風呂に行き、なんとなく念入りに体を洗った。
 翌日、朝の打ち合わせで、ハンジから訓練のことが告げられてハンジ班の中にどよめきが生まれた。中でもニファとモブリットはの気持ちを知っているため、驚き半分、心配半分な顔でとハンジとを見比べる。

「にしてもすごい訓練考えますね、エルヴィン団長も」

 ケイジがメガネの位置を直しながら感心したように言う。

「さすがとしか言えないね。まあ確かに、連携は重要だからね。この訓練の効果が確証されたら君たちだってやるかもしれないから、覚悟しておくといいよ。さて、今日の訓練だけど……」

 ハンジがいつも通り今日の業務を確認を始めた。ハンジは班員の顔を見ながら喋っていく。いつもと変わらないことだが、視線がかち合うたびにはいつも以上に緊張してしまう。気づかれないようになるべく平静を装うも、その日一日は気が気でない一日を過ごした。

「よし、今日はここらへんで終わりにしようか」

 キリのいいところでハンジが声をかければ、机にかじりつく勢いで報告書や次の研究計画書等をかきあげていたハンジ班の面々が顔を上げる。窓の外の景色はとっくに暗くなっていた。ということはつまり、訓練の開始が目前に迫ってきている。今日はずっとドキドキしていたが、そのドキドキがここにきて加速した。
 後片付けをしているところで、ハンジが近づいてきて、「」と名を呼んだ。心臓が口から飛び出そうだ。思わず生唾を飲み込む。

「はい」
「このあとから例の訓練が開始だけどいいかい?」
「はいっ、あの、あの、えっと、不束者ですがその、よろしくお願いします……!」
「ははっ。なんかお嫁に来るみたいだね。そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。もう荷物まとまってる?」
「はい、カバンにまとまってます」
「それじゃあ後片付けが終わったら取りに行こうか」

 ガチガチに緊張しているに対して、ハンジはいつも通りといった様子だ。そうだ、ハンジにとってはただの訓練の一つで、さして意識するようなことではないのだ。だから自分も緊張することはない……というのは無茶なことだ。だって、今から一週間、好きな人とずっと一緒にいることができるのだ。片時だって気が抜けない。ああ、透明人間になれれば一方的にハンジを観察できるのに。と何度思ったことだろうか。
 片付けの途中、ニファが寄ってきて小さな声で「頑張って」と声をかけてくれた。言いたいことや聞いてほしいことは山ほどあったが、ひとまず口をキュッと結んで、神妙な面持ちで親指を立てた。
 片付けが終わると、班員は実験棟から宿舎へと戻りだす。

「よーしじゃあ行こっか」

 ハンジにぽんと肩を叩かれ、は固い顔で頷いた。二人は宿舎への道のりを最後尾で歩き、も喋らなければハンジも喋らない。自分の心臓の音だけが聞こえていて、なんならハンジに聞こえてしまうのではないかとヒヤヒヤする。

、今更ながら、嫌だったら、断ってくれていいんだよ」

 隣を歩くハンジが、心配そうに言う。

「い、いえ! 団長の指名とあらば、喜んでやらせていただきます!」
「あー……と、でも、もし抵抗があれば他の班員に変更したっていいし」

 他の班員!? ニファとハンジが二人仲良く一週間生活する様が一瞬で想像できて、胸がザワザワとした。それは、嫌だ。誰かがハンジと一緒に密着して一週間過ごすなんて、そのほうが耐えられない。殆ど無意識に首を横に振る。

「嫌です、わたし、ハンジさんとがいいです……!」
「へっ!? そ、そっか。うん……それじゃあ、改めてよろしく」
「よろしくお願いします」

 ハンジは目元を細めると、の頭をくしゃっ撫でた。
 ―――モブリットとケイジにやらせたってよかったんだよ。
 そんな言葉はハンジの胸に仕舞い込んだ。

「それじゃあ荷物持ったら私の部屋に来てね」
「はい、すぐ行きますね」