ハンジ生存IF 「おかえりなさいとただいま」の続き ハンジさんとの子どもがいるため、苦手な方はご注意ください……! 登場はしますが、喋ったりはしません。 思い描いていた未来とは違っていたが、わたしたちは自由を手に入れた。壁の外に自由を求めていたけど、まさか壁自体がなくなるなんて、誰が思ってただろうか。“壁”があった場所には草花が生えてきていて、時の流れとともに段々とその境は分からなくなってきている。きっと後何年も経たないうちに、どこに壁があったかなんて分からなくなってしまうのだろう。わたしたちの子どもの世代は、壁があったことや、巨人がいたことだって歴史上の出来事になるなんて、その時代を生きたわたしからしたら不思議な感じだ。 「天と地の戦い」と言われるあの戦いで、“壁”だった巨人たちは列を成して海の彼方へと消えていった。壁のなくなった広大な大地には緑が芽吹き、人類の活動領域が島の全てになった今、家畜の数も増えてきた。それと同時に、近代化の波もどっと押し寄せてきている。鉄道は延伸し、鉄道の停まる駅沿いには新しい街が作られ始めている。他国からの侵略に備えて日々軍備の強化も進められていて、ほんの数年前からでは考えられないような世の中になっている。 そんな世情を横目で見ながら、わたしたちはまるで余生を楽しむ隠居老人のようにのんびりとした時間を生きている。ハンジさんはもっとウズウズと“中央“の様子を見ているかと思ったけど、存外そうでもないようで、我が子と遊ぶ傍ら、ヒィズルから取り寄せた書物を読み漁っている。 『これからは自分の好きなことをやっていたい』 団長になってからは、その立場のために犠牲にしてきたものも多かった。ハンジさんにとって、自分の好きなことをとことん突き詰めることができないのが、どれほど苦痛だったことか。ーーーまあ、団長になる前まではかなり自由にやっていたと思うけど。 ハンジさんは子育てにもかなり精を出していて、かなり助かっている。子どもの予測不能な行動に法則を見出そうとしていたときは、ただただ感心したものだ。さすがハンジさん。 わたしたちの生活は、ヒストリア女王からのご厚意で成り立っていると言っても過言ではない。イェーガー派がかなり幅を利かせている昨今では、わたしたちは裏切り者のような扱いだから、なかなか表立ったことができない。そんなわたしたちに対して、調査兵団としてこの世界の真実を掴み取った功労という名目で、お金を支給してくれて、住む家も提供してくれた。これはわたしたちだけでなく、コニーのお母様や、ジャンのご家族、そしてミカサもだ。 『リヴァイだったら一生分の紅茶を要求しそうだよね』 からからと笑いながらハンジさんが言っていた。リヴァイ兵長ーーー調査兵団という組織はなくなってしまったため、もう兵長ではないけれどーーーは、先の戦いでかなり重症を負ってしまったらしい。アルミンたちと一緒にいるのだろうけど、いつかはこの島に戻ってきてくるのだろうか。ハンジさんなら船を造って、 『さあ、リヴァイを迎えに行くよ!』 なんて言い出しそうだ。最近買った本に、船関係のものがあったような気がするけど、きっと気のせいだよね。先程の届け物も本のようだったけど、まさかね。と、そこでわたしは本をハンジさんに渡すのを失念していたことを思い出す。玄関に置きっぱなしにしていた本を持ち、庭へと急いだ。 庭にある大きな木の下で、ハンジさんが背中を木に預け足を投げ出し読書をしていた。そのハンジさんの足に頭を預けて、わたしたちの子どもが口を開けて寝ている。わたしは起こさないように静かに二人のもとへと歩み寄る。ハンジさんはわたしに気づくと顔を上げて、優しく目元を細めて本に栞を挟み込んだ。 「ハンジさん、お届け物ですよ」 「あぁ、こないだ頼んだ本だ。結構早かったな、ありがとう」 「何の本なんですか?」 渡しながら尋ねる。 「あぁ、ゾウセンについてだよ」 ゾウセンという聞き慣れない単語を頭の中で反芻し、“造船”という言葉に行き着いて、ゾッとした。怖いのでそこから先は聞かないことにした。 わたしはハンジさんの隣に座り込むと、愛しい我が子の寝顔を眺める。気持ちよさそうに口を開けて目を閉ざしていて、ハンジさんに似た栗色の髪の毛が、風でそよそよと靡いている。 「この子は、巨人がいた世界のことを知らないんですよね」 「そうだね。鉄道が走り、海で貝殻を拾うことができる時代を生きる子だ。世界はこれからどんどんと変わっていくだろうね」 わたしたちがかつて海の外で見た景色が、どんどんと再現されている。追いつけ追い越せと目まぐるしく世の中は発展していて、飛空艇がこの島で飛び交う様子も程遠くない未来なのだろう。 「リヴァイは元気でやってるかなぁ」 「わたし、ハンジさんはリヴァイ兵長と一緒にひょっこり帰ってくるかな、なんて思ってました」 「あのときはとにかく一秒でも早くに会いたかったからねぇ、ミカサと一緒にすぐに走り出してたよ」 ハンジさんが大きな怪我もなくわたしのもとに帰ってきてくれて、本当によかった。実のところ、もう会えないんじゃないかなんて不安に思っていたから。ハンジさんは誰よりも責任感が強くて、優しいから。なんて、身内びいきかな。 「……今日は久しぶりにハンジさんのシチューが食べたいです」 こてん、とハンジさんにしなだれると、ハンジさんの手がわたしの頭を包み込むように優しく撫でてくれた。 「いいよ。ほんとはシチュー好きだね」 どれだけ一緒にいても、ハンジさんへのときめきは消えることがない。心臓がぎゅっと締め付けられて、鼓動が高鳴る。大好きです、ハンジさん。 午後の穏やかな日差しが世界には降り注いでいて、草花が風に揺れている。庭の畑で育てている野菜が実をつけだしている。幸せって、今日みたいな何気ない日のことを言うのかなぁ。 「シチューが好きなんじゃなくて、ハンジさんが作るシチューが好きなんです」 「は可愛いねえ」 ふふ、と笑ったハンジさんの揺れがわたしにも伝わってきた。 「愛する妻と、愛する子どもに囲まれて木陰で本を読む。なんて贅沢なんだろうね」 ハンジさんの優しい声に包まれて我が子の寝顔を見ていたらなんだか眠くなってきた。まどろみがゆっくりと広がっていき、瞼が重くて閉じようとする。 「船を造ることができたら、ぜひともリヴァイの顔を見に行きたいなぁ」 「……はい」 「それとも飛空艇を作ってみる? 仕組みさえ分かれば作れそうじゃない? 立体機動をすることももうないから、自由に飛び回りたいなぁ」 「…………うぅん」 「そうと決まったら早速、飛空艇の仕組みについての本を取り寄せよう! あぁ忙しくなるなぁ」 「んん…………」 それからわたしは、ハンジさんに凭れかかったまま寝てしまって、気がつけば日は沈みかけて日差しは橙色に染まっていた。さっきまで寝ていた我が子は、一生懸命畑からじゃがいもを掘り出している。夢の内容は忘れてしまったけど、どうやらわたしはうなされていたらしい。 「じゃあご飯の準備してくるね」 ハンジさんは立ち上がり、お尻の草を払いながら畑で泥だけになっている我が子のもとへ歩いてくと、「おや!」と驚いたような声を出して、手を上げた。視線の先をたどれば、少し離れたところに赤いマフラーを巻いたミカサがいた。 「ミカサ! いらっしゃい、今日は私特製のシチューだよ、食べていくかい?」 ミカサがこくこくと頷いた。 わたしたちの穏やかで幸せな日々は、当たり前のことに感謝しながら続いていく。 |