芸術作品の中には、“欠けているからなお美しい”。そんなものもあると聞いたことがある。その時は、特に感想も抱かなかったが、今になって身に沁みて分かった気がした。 ハンジは片目を失った。命は無事だが、今は視力を失ってしまった片目に眼帯を巻いている。半分の視界が奪われるというのは、それだけでなく平衡感覚も失われてしまう。最初のころは真っすぐ歩くことも困難で、ふらふらと歩いていたが、今はだいぶ慣れてきたようだった。心も体も深い傷を負ったが、それでも時は待ってくれない。進み続けるしかないハンジは、ボロボロになりながらも足を止めなかった。 月明かりがカーテンの隙間から差し込んでハンジの顔に一条の薄明かりが差す。隣で寝息を立てているハンジを見下ろして、寝ているときくらいは安らかな気持ちになれているだろうか、とは思案する。 「美しいですね……」 届くことのない呟きは闇へと溶けていく。 片目を失ったハンジは息を呑むほど美しい。不謹慎だと思われるかもしれないが、確かにそう思った。そして先ほどの言葉――“欠けているからなお美しい”――を思い出したのだ。 隻眼になる前のハンジも、勿論美しかった。けれど眼帯を巻いてからは、芸術作品のような美しさが垣間見えるのだ。それにはハンジの心情の変化も関係しているのかもしれない。世界はめまぐるしく変化し、それまでの常識が一変し、真実の輪郭が見えてくるようになった。道を進むたびに屍が積み重なり、その度ハンジは笑うことが減っていき、反比例するように、疲れた、と零すことが多くなっていった。 はハンジの漆黒の眼帯を通して、その屍たちが見えてくる気がした。屍が積み重なって、ハンジの命は繋がって、今ここにいる。それを眼帯から思案させるのだ。なんと残酷で美しい命の襷なのだろうか。 そしてハンジの心がどんどんと固く、縮こまっていくのが傍で見ていてよく分かった。の力ではその心を解すことは、叶わない。それほどハンジの背負ったものは大きくて、残酷だ。好きなことに没頭し、ただひたすらに真実を追い求めていたあの日々が、なんだか遠い昔に感じる。 『傍にいてくれるだけでいいんだ、ずっと……傍にいてくれ』 零れるように出てきたハンジの言葉が脳裏に蘇る。 「わたしが……いますよ」 ぽろぽろとの瞳から涙の粒が落ちて、毛布にシミを作っていく。背負ったその重圧を少しでも減らせられるように、また日常を取り戻せますように。祈りが届きますように。そう祈らずにはいられない。 ハンジは組織の人間としての責任感は人一番強いと思う。だからこそ、もがき、苦しみ、自分を殺している。本当だったらかつてのように何も気にせず興味のあることへの研究に明け暮れたいだろう。かつて、巨人から自由を取り戻した後は、壁の外の生態系を研究したい、と言っていたことをは覚えている。 『そのときは一緒に行ってくれるよね?』 『勿論です!! 楽しみですね』 あったかもしれない未来。けれど現実は、壁の外の自由を手に入れた結果、より残酷な現実が待ち受けていた。 ハンジ以上に団長と言う立場に適任な人はいない今、どうしても皆を率いて束ねる必要があった。ここに来るまでの道のりでの犠牲が多すぎたのだ。ハンジが背中に背負った自由の翼は、羽ばたくことなく重く閉ざされている。いつの日か、この重荷から解放できる日はくるのだろうか。 ―――いいや、その日は必ずやってくる。あったかもしれない未来ではなくて、この先で待っている未来だ。それを掴み取るために今、踏ん張っているのではないか。そうでなくては、これまでに捧げた心臓は、報われない。 「わたしが守ります」 古参新参問わず、調査兵たちはその尊い命を、心臓を公に捧げ、そして散っていった。しかしまだは、ハンジは生きている。きっと、何か天命があるから生かされているはず。まだやるべきことがあるのだ。辛くても、痛くても、歩かなくてはない。ハンジが解放されるその日まで、命を賭してハンジを守り続ける。かつてモブリットがそうしたように。きっと命の襷はに託されたのだから。自由の翼を大きく羽ばたかせるその日がやってくると信じて。 BEAUTIFUL DREAMER (2021.03.18) 海を見た後からのハンジさんは、とても辛い立場で、本当に大変だったと思います。同時にアオヤマもこの時期からのハンジさんについてはとても書くのが辛くて……でもどうしても眼帯巻いたハンジさんの美しさをどうしても表現したくて。。とにかく、ハンジさんには好きなことをやって生き急いでほしいです。 |