※恋人になる前のお話です。
 星が綺麗な夜だった。自室の窓ガラス越しにぼうっと眺めていたのだが、外で見たいと思って外へ出た。外は思ったより寒くて上着を着てこなかったことを少し後悔するが、戻るほどではなかったのでそのまま兵舎の中庭へ向かった。
 中庭ではたまに恋人たちが束の間の時間を楽しんでいる姿を見るが、今日は誰もいなくて、わたしは一人ベンチに腰掛けてじっと星空を眺めた。
 流れ星が流れているわけでもない。ただそこで星が瞬いているだけだが、最近寒くなってきたからか、よりくっきりとその姿を夜空に煌かせている星々を見ていると、自分まで星空の中に入り込んだような錯覚に陥った。壁の中とか、壁の外とか、そういう次元ではなくて、空の一部になったような、どこまでも自由な感覚だった。

「こんなとこでなにしてやがる」
「わっ! リ、リヴァイ兵長」

 夜空に没入していたら急に声をかけられたので、わたしは心臓が飛び出るかと思った。ふと横を見れば、いつの間にかリヴァイ兵長がいた。反射的に立ち上がり、飛び出しかけた心臓を捧げる。

「星空を眺めていました」
「……直っていい、座れ」

 言いながら兵長はわたしの隣に座り込んだ。言われた通りわたしもすとんと座る。

「テメェにこんな趣味があったとはな」
「趣味と言うほどのことではないんですけど、星が綺麗だったのでつい眺めてました」
「兵舎内とはいえ、女が夜の暗がりに一人でいるのは危険だ」
「そう……ですかね、すみません気を付けます」

 リヴァイ兵長に心配されている……? わたしのことなんて誰も気にしてませんよ、なんて浮かんだ言葉は呑みこんで素直に謝る。上官、ましてやリヴァイ兵長に口答えなんて命知らずにもほどがある。はいかイエスのどちらかだ。

「それに寒くねぇのか」
「寒いです。しかし上着を取りに行くのが億劫でして」
「それで風邪ひいちまったら元も子もねぇだろうが」
「はい、すみません……」

 先ほどからリヴァイ兵長からのお説教が続く。しかしどれもこれも本当のことだから反論の余地もないし、あったとしてもわたしが反論できるような人物ではない。

「これを着とけ」

 と言う言葉と一緒に、温かいものがわたしの肩にかけられた。リヴァイ兵長が来ていた上着を、わたしにかけてくれたようだった。

「い、いえ! そういうわけには」
「うるせぇ。虫よけくらいにはなるだろうよ。気が済んだらクソして寝ろ。じゃあな」

 そのままリヴァイ兵長は行ってしまった。虫よけとは……? よく理解が出来ずリヴァイ兵長の後姿をじっと眺めたが、答えは分からず、再び夜空を見上げた。

(リヴァイ兵長って、優しいよなぁ)

 ハンジさんと喋っているときからは想像がつかないくらいの優しさにわたしはいつも戸惑ってしまう。
 実はハンジさんに向ける態度が特殊なだけで、わたしに接するときのリヴァイ兵長が普通なのかもしれない。

?」

 暫くまた星空を眺めていたら、今度は聞きなれた声がわたしの名を呼んで、胸が苦しいくらいのときめきを訴える。

「ハンジさん」

 大好きな、ハンジさんの声だ。横を見れば、先ほどリヴァイ兵長がいた場所にハンジさんがいた。ハンジさんはまだ兵団服を着ていて、そのことからお風呂に入っていないことが読み取れる。まだ仕事だったのだろうか。

「こんなところで何してるの? 部屋に行ってもいないから探しちゃったよ」
「すみません、星空を眺めていました。何か急用でしたか?」

 なんと、ハンジさんがわたしの部屋を訪ねてくれたなんて……! しかも探してくれた? 何か急ぎの仕事でも舞い込んだのかと心配になる。

「閲覧資料が回ってきたから持って行ったんだ。見るのは明日でいいからね」

 すとん、とハンジさんがわたしの横に座る。

「こんな服持ってたっけ?」

 リヴァイ兵長に貸していただいた上着の裾をつまんでハンジさんが首を傾げた。よく見てるなぁハンジ分隊長。

「実はリヴァイ兵長から先ほど貸していただいました。寒いだろうって」
「ふうん……」

 ハンジさんの表情が一瞬曇った、気がする。

「リヴァイには私から返しておくからこれを着て」

 わたしの返事を待たず、勝手にリヴァイ兵長の上着を回収して、ハンジさんが着ていた兵団服を代わりにかけられた。

「あ、ありがとうございます」

 ハンジさんの上着だ。うわぁ、嬉しい。嬉しすぎる……! リヴァイ兵長の優しさにも感動したけれど、やっぱり好きな人から優しくされるのって言葉に出来ないくらい幸せだ。

「他の男から話しかけられたりした?」
「? いいえ。リヴァイ兵長にしか会ってません」
「夜に女の子が一人でいるのは危ないから、今度からこういう時は私を呼ぶこと。いいね?」
「先ほどリヴァイ兵長にも危ないよって言われました。……お言葉に甘えて、ハンジさんをお誘いしますね」
「必ずいけるとは限らないけど、出来る限り行くからさ。とりあえず声をかけるんだよ」
「ありがとうございます……」

 プライベートでもお誘いしてもいいってこと……だよね? たまには星を眺めてみるもんだなぁなんて、自分の気まぐれに感謝する。やばいどうしよう、心臓が高鳴りすぎて破裂しそうだ。

「あぁ……面白くない」

 高揚するわたしの横でぽつりと呟かれた言葉の意味を、わたしはすぐに理解できなかった。え? と聞き返す前に、ハンジさんの表情を見てどきっとする。珍しく怒ったような表情をしていたのだ。

「リヴァイに先を越されてばかりだ」

 ハンジさんが何を考えているのかうかがい知れない。先って、何をだ?

「私のほうがをずっとたくさん見ているのに」

 勘違い、してしまいそうだ。勘違いして痛い目を見るのは自分だ。でも、愚かなわたしの頭が、自分の都合の良いように解釈してしまいそうなのだ。

「ハンジさん……?」
「……部屋まで送るよ」

 沈黙ののち、ハンジさんは先ほどまでの表情を引っ込めて、にこりと微笑んだ。大好きな人との星空観賞の時間はあっという間に終わってしまった。立ち上がったハンジさんに倣いわたしも立ち上がって、そのままハンジさんのあとに続いた。道中、ハンジさんは何も喋らなかったけど、わたしの部屋の前に着き、「おやすみなさい」と頭を下げて部屋のドアノブに手をかけた時に、「」と名を呼ばれた。

「はい」
「……」

 この雰囲気は、もしかして、もしかする? ハンジさんが緊張したような面持ちで何か言いたそうにじっと見るのだ。その瞳に魅入られて、急激に心臓の動きが早くなり喉まで乾いてきた。
 いやでもそんなまさか、ハンジさんがわたしのことなんて―――頭の中が期待と不安でいっぱいになる。

「……おやすみ、。風邪ひかないように温かくして寝るんだよ」

 ぽん、と頭にハンジさんのしなやかな手が置かれた。そしてハンジさんは立ち去って行った。
 ハンジさんが角を曲がってその姿が見えなくなるまで見守り、その後わたしは自室に入ってへたへたと地面に座り込んだ。

(き、期待した!! いやでもまさかそんな訳ないよね、わかってたことだよね……)

 高鳴りを抑えるように胸に手をやり、深く息を吐いた。
 ―――このとき、実はハンジさんがリヴァイ兵長に嫉妬し、勢いに任せて告白をしようとしていたのだということを知るのは、まだ随分あとの話。