“新兵が巨人になった”。にわかには信じ難いその話が耳に入った時、一番最初に思い浮かんだのは、ハンジさん興奮するんだろうなあってことだった。案の定、ハンジさんは悲鳴とも歓声ともとれる奇妙な声を上げていた。
 新兵の名前はエレン・イェーガーというらしい。そのエレンを交えてソニーとビーンの実験をしたいと言い出したのは、すぐのことだった。わたしとモブリットさんは顔を見合わせて、やっぱりな。みたいな顔になった。
 エレンは特別兵法会議ですったもんだあった末、身柄は調査兵団に託された。そして、何かあったらすぐに対応できるように、リヴァイ兵士長及びその直下の通称リヴァイ班が監督を受け持つことになったのだった。

「あ〜もう最ッッ高に滾る!!!! 今からエレンに会えるなんてさぁ〜〜〜!!」

 夜道を馬で旧調査兵団本部に向かいながら、ハンジさんが涎を垂らす。目的地に着いたら拭いてあげよう。
 リヴァイ兵長が古いお城を改築した旧調査兵団本部を根城に選び、エレンを監督しているとのことなので、今からお邪魔してリヴァイ兵長にエレンの実験への参加のお許しをいただきに行くところだ。一応、お礼の品はなんとか用意した。

「エレンはソニーやビーンとコミュニケーションとれんのかなぁ!? クッソ楽しみ!! 何しよう! やりたいこと次から次へと出てくる!」

 ハンジさんの好奇心が掻き立てられ今のように興奮状態になると、その日の夜はその、興奮をぶつけるかのように激しい。エレンが巨人になれるという話を聞いた日なんかはそれはもう凄かった……。って、何を思い出しているんだわたしは変態か!! 馬に揺られながら自分の頬をぺしっと叩いた。

「リヴァイ兵長、許してくれるといいですね」
「リヴァイのことだ、どうせ今日も明日も班員総出で一日中掃除でしょ。それにリヴァイ班には待機命令も出てるし、問題ないでしょ」

 それにしても、あの古いお城を埃ひとつない状態に持っていくのはどれくらいかかるのだろうか。前にペトラに聞いた時は、潔癖症がゆえ、とにかく文字通り埃ひとつ落ちていない状態までもっていくとか。ハンジさんとリヴァイ兵長は腐れ縁とはいえ、全くタイプが違うなあと思う。きっとリヴァイ兵長は、ハンジさんの汚部屋には何があっても入らないんだろうなあ。目の当たりのした瞬間、蕁麻疹とか出ちゃうかもしれない。
 そんなこんなで古城につき、馬を置いてハンジさんを見れば、涎は既に乾いていた。

「ん? 私の顔に何かついている?」
「あ、いえ。行きましょうか」
「あ〜〜〜〜!!」

 急に叫び声をあげてわたしはハンジさんに抱きしめられた。多分、こういうところがリヴァイ兵長に奇行種と言われる所以だと思う。

「どうしよう! 私の心臓の音聞こえる? 今すっごくドキドキしてる!」

 耳をハンジさんの胸板に当てれば、確かに鼓動が早い。でも多分、わたしもすごくドキドキしてる。夜の古城で恋人に抱きしめられているって、仕事中とはいえドキドキしても仕方ないと思うの。ハンジさんに包み込まれてハンジさんの匂いがして、ハンジさんの鼓動を感じて……。

「ん? なんかもドキドキしてない? それとも私の鼓動かな」
「ええ!? あははぁ。ハンジさんのですよ〜もう。ってことで、行きましょう!」

 無理やり身体を離して古城の入口へとつかつかと向かった。ハンジさんも「いこいこ!」と声を弾ませてわたしの横に並び、あっという間に入り口についた。

「こんばんはぁ〜〜!」

 エントランスは真っ暗で、ハンジさんの挨拶は闇へと溶けていった。周囲を確認すれば、地下室へ続く階段に灯りがともっていたため、それをなぞる様に地下へと降りていく。

「こんばんはぁ〜リヴァイ班の皆さん!」

 扉を開けると奥に灯りが燈っていた。距離があるためお互いの顔は認識できないが、恐らくリヴァイ班がいるのだろうし、向こうも今の挨拶で、ハンジさんだと認識しただろう。

「お城の住み心地はどうかな?」

 歩みを進めれば、やはりリヴァイ班がいて、紅茶を飲んでいるところだった。夜の古城で紅茶……なんとお洒落なの。ハンジさんはエレンの前に腰かける。わたしはハンジさんの隣に立ち、こんばんは。と一礼した。

「ハンジ分隊長」
「やぁエレン! 隣の子は私の班のだ。よろしくね。さあもお座り」

 言われた通りハンジさんの隣に座った。

「よろしくお願いしますさん」
「こちらこそよろしくお願いします、エレン」

 エレンは意志が強そうなきりっとした眉に、大きな緑色の瞳の男の子だった。見た目はどこにでもいるような普通の新兵で拍子抜けした。巨人になるというイメージが先行していたが、冷静に考えればそりゃあそうか、と妙に納得した。

「私は今、街でとらえた2体の巨人の生態調査を担当しているんだけど、明日の実験にはエレンにも協力してもらいたい。その許可をもらいに来た」
「実験……ですか。オレが何を」
「それはもう……最ッ高に滾るヤツをだよ……」

 ああ、ハンジさんがまた興奮状態に。ハンジさんのこの持病を初めて見たエレンは不思議な顔をしたが、ちらっと一瞬リヴァイ兵長へ目を馳せた。

「あの……許可については自分では下せません。自分の権限を持っているのは自分ではないので」

 心なしか怯えたような様子は、きっとリヴァイ兵長から躾けられたからだろう。ハンジさんからさらっと聞いたが、なかなか凄かったと言っていた。ハンジさんがそういうってことは、つまり物凄かったのだろう。

「リヴァイ、明日のエレンの予定は」
「……庭の掃除」
「ならよかった決定! エレン! 明日はよろしくぅ」

 がっとハンジさんがエレンの手をとり、ぶんぶんと振った。

「しかし、巨人の実験とはどういうものなんですか?」

 あ、聞いてしまった。エレンの隣に座っているオルオが小突くが、エレンはその真意を理解できない。どうしよう、わたしがハンジさんを連れ帰るべきかな。でもハンジさんスイッチ入っちゃったしな……。オルオが次にわたしを見る。その目は確かに、『連れて帰れ』と言っていた。

「ハン――」
「ああ……やっぱり……聞きたそうな顔をしていると思ったぁ……」

 ごめんなさいリヴァイ班の皆さん。遅かったみたいです。こうなってしまったら、わたしはもう待つしかないのだ。リヴァイ兵長が席を立ったのを皮切りに、みな続々と席を立った。わたしもそれに倣い、申し訳ないけどハンジさんをエレンに任せて地下室を後にしたのだった。

「こら! ハンジ分隊長のアレ、始まっちゃったじゃねえか」

 階段を上がっていく途中、オルオに責められる。ごめんごめん〜。とオルオの背中をバシバシ叩く。オルオたちはわたしよりも入団が遅く、年だってわたしの方が上だけど、何かと関わる機会が多く、友達のような付き合いをしている。同僚、先輩後輩を超えた付き合いができて嬉しくもある。

「エレンが実験について聞いてしまった時点でもう避けられなかったわよ」

 ペトラの言葉に救われた。

「ありがとうペトラ。ハンジさんもすごく嬉しそうだったから、つい遮れなくて……」
「やだ惚気? も〜ったら。でも大変ね」
「おい、クソメガネをちゃんと連れて帰れよ。どれくらいかかりそうだ」
「そうですね……実験の話だったら1、2時間くらいかと思います」

 何をして時間をつぶそう。あ、そうだ、渡さなければいけないものがあったのだった。階段を上りきったところで、兵長、と声をかける。

「突然のお願いにもかかわらずエレンをお貸しいただきありがとうございます。少ないですが紅茶ですので、もしよかったら」

 差し込んだ月明かりに照らされたリヴァイ兵長の目が一瞬見開かれた。いらねえ、と言われるかもしれないと思ったが、兵長は無類の紅茶好きだ。すんなりと受け取ってくれた。

「……手持ち無沙汰なら、俺の部屋で話が終わるまで待っていればいい。この紅茶を淹れよう」
「ありがとうございます! わたし、淹れてきますよ」
「いや、結構だ」

 わたしとしてもリヴァイ兵長のほうが絶対美味しい紅茶を淹れることが出来ると思っているので、手間をとらせて大変恐縮だがそっちの方が好都合だ。それに、仮に私が淹れた紅茶をリヴァイ兵長が飲み、その瞬間に顔が顰められたらと思うと、失神しそうだ。 なので、ここは大人しくリヴァイ兵長に淹れてもらうことにした。