「ねっねっ、新一。今週の土曜日暇?」
「わりー、その日人形劇の合宿なんだ」
「人形劇? 合宿?」
「おー。なんかこども会でやるんだと」

 夕方の阿笠邸、目の前でいかにもつまらなそうな顔でアイスコーヒーを飲む小学生、コナン。

「なるほどね。でも楽しそうじゃん。どこでやるの?」
「霧ヶ丘高原」

 霧ヶ丘高原。夜になると物凄い霧が立ち込めることからその呼び名がついている。近くに川も流れてて、夏は避暑地としても有名なペンション地帯である。

「随分本格的な出し物だね、合宿に霧ヶ丘高原って! いーなーー楽しそう、わたしも行きたい!」
「本気で言ってんのか? 高校生にもなって人形劇って、頭が痛いぜ」
「わたしは見守る係だもん。そういえば引率の人とかいるわけだよね?」

 霧ヶ丘高原は米花町から車で暫く行ったところにある。当然引率者はいるはずだ。

「三丁目に越してきた海部っていう男が引率をしてくれるみてーだ」
「ふーん? じゃあその海部って人に伝えといてよ、女子高生も同行するってさ」
「……本気か?」
「うん。そうすれば土曜日も一緒にいられるでしょ?」

 つまらなそうなコナンが、少しだけ嬉しそうに口角を上げた。


 

File.165 少年探偵団消失事件




「へー、海部さんって学生時代に人形劇をされていたんですね! すごい、プロですね」
「プロだなんて、少しやってただけですよ。それに台本も演出もしたことがないので、素人同然だよ」

 車の運転をしながら海部が朗らかに言った。仕事の関係で米花町へ越してきたという海部 肇。助手席で、だんだんと田舎へと景色が映っていく様を眺めながら、は感心したように頷いた。
 メンバーはいつもの少年探偵団と、三丁目に住んでいる小学生たちで、車内は子供たちの楽しそうな声が終始響き渡っていた。哀は、そういうのは好きではない、と言うことで今回は不参加らしい。恨めしそうにコナンが言っていた。ちらっとルームミラーで後ろに座るコナンの姿を見ると、彼だけはなんだか不機嫌な様子であった。
 途中で川辺に立ち寄り、水遊びを少しだけすると、それからはあっという間にペンション村にたどり着いた。海部がチェックインを済ませ、ペンションに入ると、子供たちは嬉しそうにはしゃぎまわった。

「そういえば最近、ペンション荒らしが流行ってますけど、大丈夫ですかね……?」

 そんな喧騒の中、が自分よりも背の高い海部を見上げて、眉を顰める。最近発生している連続ペンション荒らしは、各所で被害が報告されている。

「ああ。宿泊客や管理人にも被害が出てる事件だよね。戸締りは十分気を付けないとね」

 海部とは一頻り頷き合った。

(んだよあいつ、土曜日も一緒にいられるでしょ? なんて可愛い事言ってたくせして、海部にデレデレしやがってよ)

 そんな様子をコナンは面白くなさそうに眺める。真面目に会話する姿ですら、コナンには苛立つ光景であった。自分と一緒にいるためにきたはずなのに、いつの間にか引率の海部といる時間のほうが長い気がする。心底小学生になってしまったことを恨んだ。
 一同は荷物を部屋に置き、ロビーに集まると早速人形劇の練習が始まった。皆で円になりそれぞれの人形を手にはめ、渡された台本を読みあわせる。その円から少し離れたところで海部とは隣同士で椅子に座り、台本と、子供たちの様子を眺めていた。
 海部の作った台本のタイトルは【そして君だけしかいなくなった】。アガサ・クリスティの【そして誰もいなくなった】と言う作品のオマージュ作品らしい。初めて作ったと海部は言っていたが、非常に高い完成度であった。

「きっと、この中に殺人犯人がいるに違いない」
「ダメですよコナンくん、探偵役なんですから、もっと威厳と言うか、貫録を出さないと! ですよね、先生?!」

 光彦がくるりと振り返り、キラキラとした顔で海部に尋ねた。光彦がなんだかいつもより張り切っている。歩美曰く、海部と光彦は近所同士で、引っ越してきた海部と仲良くなった光彦が今回の台本も海部の手伝いをしたということで、熱が入っているのだろうとのこと。

「先生はよそうよ、台本は僕も初めてなんだから。うん、でも確かにそうだね。じゃあコナンくん、もう一度やってみようか」
「はあい。きっと、この中に殺人犯人がいるに違いない!」

 先ほどよりかはいくらかましになったコナンのセリフ。しかし光彦は納得がいってないらしく、人形の動きがなあ、などぶつぶつ文句を言いながらも、海部と顔を突き合わせ、指示を仰いだり、感想を聞いたりしながら、子供たちを取り仕切っていた。きっと、大好きな近所のお兄さんにいいところを見せたいのだろう。は微笑ましく見守っていた。

「よし、ここまでにしよう。一時間後、夕食の後に練習をしよう。さん、夕食の準備を手伝ってもらってもいいですか?」
「はーい、わかりました」
「あ、それなら僕も―――」
「コナンくんはだめです! 特訓ですよ!!」

 手を挙げて夕食の手伝いに紛れようとしたコナンだが、光彦に肩を掴まれて、阻止された。楽しそうに会話をしながら、キッチンのほうへといざなわれていく海部との後姿を眺めながら、コナンは深いため息をついた。

+++

 夕飯を食べた後、また稽古、ということだったのだが、海部や、三丁目の子供たち、そしての姿が見えない。海部だけでなくがいない、ということで妙な胸騒ぎがする。窓の外には深い霧が立ち込めている。そして三丁目の子供たちが劇で使っていた人形までも、なくなっていた。

(あいつ……海部とどこにいってやがる)

 心中穏やかではないコナン。頭の中に広がる想像は、海部とがこの霧の中を楽しそうに散歩する様。あくまで想像だが、あまりにリアルでむかむかする。

「ねえ、海部先生とねーちゃんみなかった?」
「みてないよ」

 ペンションでトランプをしていた子供たちにコナンが尋ねるが、首を横に振る。

「あ、人影が!」

 光彦の言葉通り、人影が窓の外を歩く様子が見えた。慌ててコナンたちがウッドデッキに駆けつければ、霧で遠くは何も見えないが、ウッドデッキ下の土に、大人の靴の跡があった。何者かがこのペンションの辺りをうろうろしていたのは間違いないだろう。
 室内に戻ると、先ほどまでトランプをしていた子供たちの姿が消えていた。またも、人形ごと。人形と共に人がひとり、またひとりと消えていく。今回の人形劇の原作である、一人殺されるたびに、人形が一つずつ消えていく物語、【そして誰もいなくなった】を彷彿させた。歩美が不安そうに涙をにじませると、刹那、裏口のほうで扉の閉まる音がしたのでそちらへ駆け寄ると、裏口にも無数の靴の跡があった。殆どが子供の靴のあとであったが、大きな靴のあともいくつかあった。

「誰の足跡だ?」
「さっきの人と同じですかね?」
「いや、さっきの足跡とは大きさも、靴の種類も違う」

 窓のほうにあった足跡も、裏口の足跡も、大人の足跡であることは間違いないが、全く種類が違う。

「このあたりのペンションで、人がいるのはここだけだと言っていました……」
お姉さん……大丈夫かなあ」

 歩美が心配そうにポツリと呟く。

「わかりました、これはきっと例のペンション荒らしの仕業ですよ、きっと。皆をどこかに閉じ込め、ここらへんのペンションを根こそぎ荒らすつもりなんですよ!」
「よし、俺たちでペンション荒らしをひっとらえるしかねえな! 姉ちゃんをたすけねーと!!」
「賛成! またまた少年探偵団の活躍ね!!」

 三人は顔を突き合わせて燃えているが、コナンはいまいち腑に落ちなかった。ペンション荒らしの仕業だとして、なぜ子供たちだけでなく、人形まで持っていたのだ? と、疑問が残る。
 少年探偵団で犯人をひっとらえようとしてるところ申し訳ないが、ひとまず警察に知らせようとコナンは電話をかけようとするが、受話器を握っても何の音も聞こえなかった。電話線が切られているらしかった。

……無事だよな?)

 正直、ペンション荒らしが犯人である可能性は低いと睨んでいるが、やはり心配である。
 ここで待っていても仕方ないということで、管理事務所に行こうと思ったのだが、懐中電灯などが一つもなかった。この濃霧の中では懐中電灯なしでは迷ってしまう、と言うことで結局このペンションの中で何か手がかりを探すことになった。正直期待はできそうにないが、何もしないよりかはましだろう。元太と歩美にはロビーで待機してもらい、光彦とコナンは二階を捜索することになった。
 海部たちの宿泊部屋に行くと、海部の荷物が置いてあり、そこから折りたたまれた紙が覗いていた。不躾ではあるが紙を拝見させてもらうと、ここら辺一帯の地図があり、建物に×が書かれている箇所がいくつかあった。更に荷物の中には、人形劇には不釣り合いな工具箱も入っていた。

「まさか……」

 光彦がショックを受けたようにつぶやく。と、そのとき、歩美と光彦の悲鳴が下から聞こえてきた。弾かれたように階段を駆け下りると、二人の姿は忽然となくなっていた。人形と共に。とうとうコナンと光彦の二人だけになってしまった。

「ペンション荒らしの犯人は……海部先生だったんです。この霧ヶ丘のペンションを荒らすために、尤もらしく人形劇の稽古を! ぼくたちまでだましてたんです、許せません……!」
「ちょっと待てよ光彦、子供だけじゃなくて人形まで消えてるんだ。単なるペンション荒らしとは思えないけどな……」

 確信を得たように光彦が熱弁する。光彦は海部を犯人としてひっ捕らえる気が満々らしい。けれどもやはりコナンは腑に落ちなかった。
 とにかく元太や歩美を探そう、と言うことでペンションを出ると、すぐ近くに同じようなペンションが建っていた。そのペンションから明かりが漏れているので、人がいるということだ。コナンと光彦はそのペンションへ行くと、カーテンの隙間から中の様子がうかがえた。
 中には海部がこちらに背を向けて立っていて、その横でが同じように立っているのだが、彼女の両手は身体の前にあり、手を拘束されているようにも見える。そして二人の前で子供たちが座り込み、手を後ろで縛られたような様子で何かをしゃべらされている。

……無事なようだな)

 ほっとしたのも束の間、海部がこちらの気配に気づいて窓際へ近寄ってきた。慌てて二人は窓際から離れて様子をうかがうが、彼はカーテンの隙間から外の様子をうかがい、そしてカーテンを閉めなおした。海部が窓際から離れたことを確認すると、カーテンの隙間からもう一度中の様子をうかがう。すると中には誰もいなくなっていた。ペンションの中に入るとやはり人の気配が感じられない。まるで神隠しにでもあったようだった。
 電話があったので先ほどと同じように電話を掛けようとすると、やはりうんともすんとも言わない。とにかくこのペンションの中に人がいるのは確かなので、コナンは光彦を置いて二階を捜索しに行った。二階の宿泊部屋の扉を開けると、急にペンションの電気が落ちる。と同時に一階から光彦の悲鳴が上がる。急いで踵を返すが、通路に出たところで無数の人形たちが闇に浮かび上がってくる。まさかの光景にコナンは絶句すると、背後から肩を掴まれる。

「何するんだ!!」
「コナンくん!?」
「に、逃げろ! 光彦ーー!!」
「コナンくんてば、しーっ」

 急に聞こえてくる間の抜けた声。この声は間違いなく彼女、の声であった。どういうことなのだ? 全く状況についていけなかった。振り返れば暗がりでよく見えるないが、肩を掴んだのは海部、そして海部の横にはやはりがいた。

「どういうことなんだ?」

 もう一度前を向きなおれば、消えたはずの子供たちが人形を手にはめてそこにいた。もちろん歩美と元太もいる。

「実はね、この別棟で人形劇に特訓をしていたんだ。君たちに知らせるのを忘れてしまってね」
「そういうことだったのか……」
「ごめんねー、遅いなーとは思ってたんだけどさ」

 大して申し訳なさそうでもない様子でが謝罪した。

「とにかくあとは光彦君だけだね。迎えに行ってくるから、みんなは練習を続けてください」
「待ったー! あいつ、今日一日威張ってばっかだったから、脅かしてやろうぜ」
「そんな、可哀想だよ」
「でも、お芝居の練習になるかもしれないし」

 元太の案に、海部は困ったように眉を下げるが、歩美までも賛成らしい。皆口をそろえて賛成、と言うので、不本意ながらも海部は少しだけ光彦を脅かす、と言う形で迎えに行った。

「でも電気まで切らなくてもいいじゃねーか」
「あ、違うんだよ、わたしたちのせいじゃないよ、急に停電になっちゃってさ」

 困ったようにが言う。たちのせいではないというのか。でも雷もなっていたのに停電とは一体どういうことなのだろう。

「なー光彦の驚いてるところ見に行こうぜ!」
「うんいこいこー!」

 元太と歩美がノリノリでペンションを飛び出していったので、コナンともついていくことにした。

「心配したんだぞ」

 楽しそうなふたりの後ろをとぼとぼ歩きながら、コナンがチラっとを見ながら言う。は嬉しそうに、えー、と声を漏らす。

「嬉しい、新一ってば心配してくれたのね。最近ペンション荒らしが流行ってるしね」
「それだけじゃねーよ」
「?? どゆこと」
「海部だよ、ずーっと仲良さそうにしやがってよ」
「海部さん? え、何、やきもちやいてたってこと?」
「わりーかよ。俺は大人な海部と違ってお子ちゃまだからよ」

 ぶすーっとした顔で前方を見つめながらコナンが言う。

「ダメだな、余裕ねえ」
「ねえ、そんな余裕ない新一のことが、好きなんだよ?」
「……

 立ち止まり、視線と視線がぶつかり合う。はにかむと、照れた様子のコナン。と、そのとき、この雰囲気には不釣り合いの海部の悲鳴が聞こえてくる。何事かと駆け寄ると、光彦に突き飛ばされて倒れこんでしまったらしい。皆で駆け寄り海部が立ち上がるのを手助けすると、光彦は不思議そうな顔をした。

「……みんな?」

 ポカンとした様子の光彦。海部が事情を説明すると、光彦が脱力して、聞いてませんよー! と叫ぶ。地図に書いてある×のマークは、迷わないためのもので、工具箱は本格的な舞台装置を作るために持ってきたものとのこと。

「ひどいですーー!」

 光彦がたまらず走り去っていった。

「でもなんで電話線まで切ったりしたの?」
「なんのことだい?」

 コナンの問いに海部が首をかしげる。何かがおかしい、コナンが思案し、一つの可能性が浮かび上がってきたその時、今度は光彦の悲鳴が聞こえてきた。まずい、とコナンは走り出した。
 少し先でコナンの危惧通り、光彦が男に抱えられていた。恐らくあれは、ペンション荒らし。電話線や、懐中電灯が消えていたのは恐らくこの犯人のせいだろう。

「来るな!!!」
「光彦くん……!」

 が悲鳴のように光彦の名を呼ぶ。

「みんな! 僕にかまわずつかまえてください……!」
「うるせえ!! ッ!?」

 わーわー喚く光彦の口を塞ごうと、ペンション荒らしが光彦の口に手をあてがおうとすると、光彦は暴れながらも思い切りその手に噛みつく。ペンション荒らしは痛みに悲鳴を上げ、一瞬怯む。その隙をコナンは見逃さなかった。キック力倍増シューズで近くにあった切り株を蹴り上げ、見事にペンション荒らしに命中させて、光彦は解放されてペンション荒らしは倒れこんだ。

「捕まえろーーー!!」

 元太の言葉にみんなで取り掛かり、見事ペンション荒らしはお縄についた。海部や元太がペンション荒らしを押さえつけている間にが警察に通報し、あっという間に警察に連行されていった。
 ひと段落つき、ペンションに戻る道のりで、とコナンは並んで歩いていく。前では興奮気味の光彦と元太、そして歩美が先ほどのペンション荒らしを捕まえた時のことをしゃべっている。

「ねえ新一」
「ん……?」

 何となく先ほどの会話の続きのような気がして、意識してしまう。

『ねえ、そんな余裕ない新一のことが、好きなんだよ?』

 先ほど言われた言葉が脳裏をかすめる。

「わたし、」

 が立ち止まり、コナンもそれに倣い立ち止まる。

「絶対人形劇見に行くからね!」

 清々しいほどの満面の笑みでが言った。コナンはずるっと力が抜けるのを感じたが、らしい、と言うことで納得した。
 結局人形劇は歓声に包まれ、大成功だった。何よりの楽しそうな笑顔が見れて、それだけでコナンにとっては大満足であった。