お腹が満たされるということはこんなにも幸せなのか。と、ぼんやりと思った。満足な食事をさせてもらえず、しかも食事といえるほどたいそうなものではない、そんなものを食べていた日々を思い返し、再び夢のような今日にひたる。

「俺、片付け手伝うからの様子を見てきてくれよ。」
「うんわかった。」

  は階段を上がり、 の寝ている寝室へ向かった。扉を開けたら相変わらずは気持ちよさそうに寝ていた。ベッドに座り込んで、寝顔をじっと見つめる。

ーはやく起きて。なんだかさみしいよ。」

 声をかけてもから返事はない。なんだか急に、このままずっと目覚めないんじゃないかと不安に思った。

……起きるよね?」

  の頬をつねる。すると の眉が寄せられる。不快なようだった。 ……なんだかおもしろい。

ー起きなきゃもっとひどいことするよ。」

 とりあえず鼻をつまむ。するとはますます不快そうな顔をして、の手を払いのけた。ちょっと痛い。

「ん……。」

 ちいさく声が漏れる。起きるかと一瞬思ったが、しかし再び規則正しい寝息が聞こえてくる。さみしいし、悲しいし、なにより怖かった。

「なんだよー……早く起きてヘンリーを茶化そうよ。ねえねえ。」

 静かに涙が伝う。

「無視しないでって呼んでよ。」
「……………」

寝言なのだが、は確かにの名を呼んだ。涙はぴたりと止まり、ただただまたたきを繰り返す。しかしは起きなかった。

「お…れ……の……。」

 それまで仰向けで寝ていたは寝返りを打ってのほうを向いた。気になる寝言はそれ以上発されることはなかった。

「起きないんならひどいことするから。」

 すやすやと気持ちよさそうなの顔に、自分の顔を近づける。端正な顔立ちに吸い寄せられるかのようだった。
 キスなんてものは生まれてこの方したことがなかった。ヘンリーとたいていの遊びはしてきたが、キスごっこはしたことがない。けれどやはりも年頃の女の子で、そういうものに興味があるわけで。
 小さいころ読んだ絵本にのっていた、王子様とお姫様の誓いのキス。

は王子様ではないけれど、自分はお姫さまではないけれど、でも。

「ん……。」

 目の前に漆黒の闇が二つ目の前に現れた。は一瞬頭が真っ白になったが、反射的に身体を引っ込めた。

!?」

 一生開かないかもしれないと思っていたの瞳が、虚ろながら確かに開いている。嬉しさや喜びよりもまず、驚く。次に自分のしようとしていたことを思い返し、恥じた。

……。」

 ぬっと腕が伸びて、はいとも簡単に抱き寄せられる。

「一緒だ。」
「なっなにが???!」
「天国にこれたんだ。」
「(わあああ……揃いも揃って恥ずかしい……ていうか、何この状況!!)、ちょっと、しっかり!」

 ベットに上体だけ持っていかれてあわあわとし、から反射的にはなれようとするが、寝起きとは思えないほどぎゅっと抱きしめられていて、なかなか離れられない。
 男の女の力の差を痛感しつつ、けれどこの状況に幸せすら感じる。

「天国じゃないよ、わたしたち、生きてるんだよ。」
「ん……。生きて、る?」

  の力が緩んだ隙にすっと逃れる。頭に血が上っているせいもあるが、顔が真っ赤だ。頬に手を当てて顔の熱さを確認しつつ、ふい、と顔をそむけて顔が赤いのを隠す。
 落ち着け自分、落ち着け自分、と呪文のように心の中で繰り返す。

、俺たち、生きてるの?」
「ん、そう。ここは修道院で、ヘンリーもマリアさんも生きてるよ。」

 顔をそむけたままこたえる。

「よかった……生きてるんだ。」
「生きてるよ。」
「どうしてそっち向いてるの?」
「え、と……ああ! ヘンリーたちに知らせてくる!!」

  に背を向けたまま走り去ろうとするが、急に手首をつかまれてそれは阻止された。

「もうちょっと、二人でいたいな、なんて……。」

 恐る恐る振り返ると、の頬もなんだか赤くって、は硬直してしまった。

「死ぬかもと思ったから、いろいろ覚悟していたんだけど、生きて今日を迎えられたのがすごくうれしいんだ。」

 ゆるゆるとベッドに再び座り込む。今度はと向き合って。

「言いたいこともあった、やりたいこともあった。それが叶うからすごくうれしい。」
「そうだね。わたしもだよ。」
「だから、んーだからっていうか、こんな時間、迎えられると思わなかったから、もうちょっと、ごめん。」
「ん……。」

  は何を考えてるんだろう、わからない。そしてわからないからこそ胸の鼓動が加速する。




僕らの世界が終わる前に