ここは天国だろうか。あれだけ人のために働いて天国に行けないわけがない、なんていう考えが生前からあったものだからこれで天国じゃなかったらジャッジした人に文句をつけようと考えていた。
 けれどここはきっと天国だと思った。なぜなら真っ白の天井に、外からの風にあおられる純白のカーテン。そしてカーテンの狭間から見えるのはどこまでも透き通った青い空。

「……天国にも、空はあるんだ。」

 空に手を伸ばすと、見違えるほど綺麗になった自分の肌。よく見れば服が奴隷のときのそれと変わっている。

「あら、さん! お気づきになられたんですね!?」

 反射的に声のしたほうを向くと、天使のようなマリアがいた。マリアは天使になれたのだろうか。行いがよかったんだろうな、と心の中でほめる。

「まださんもヘンリーさんも目覚めていらっしゃいませんの……。」
「みんな天国に行けたんですね。」
「えっ? さん、何を言っているんですか。」

 くすくす、とマリアさんが楽しそうに笑う。何が楽しくて笑っているんだろう。

「ここは天国ではありませんよ。」
「……じゃあ、どこでしょうか。」

 眩暈がしそうだ。こんなに天国のような雰囲気なのに、天国じゃないなんてあんまりだ。

「ここは名もなき修道院。私たちは、生きて今日という日を迎えられたのです。」
「わたしたち、生きているの?」
「ええ。」
「……! とヘンリーのところへ案内してください!」
「はい、こちらです。」

 マリアのあとに続いて、二人の寝ている部屋に案内される。彼らは仲良くベッドに寝そべっていた。

「ヘンリー! !!」

 まずヘンリーのベッドに駆け寄り、すやすやと寝ているヘンリーの頬に手を添えた。彼もまたと同様、泥なんかついていなかった。きっとこの修道院の人が拭いてくれたのだろう。すっと手を滑らせて、次にを確認する。
 の寝顔はあどけなくて、昔のを見ているようだった。

『大丈夫!』

 励ましてくれた。それ以降の記憶はないが、きっとずっとのことを励ましてくれていたに違いない。それを想像すると、胸がぎゅっと締め付けられて、にやっとしてしまう。

(起きないかなあ。)

 つん、と頬に指を押し付ける。ぷに、とやけに柔らかい頬の感触。なんだかそれが面白くて、ぷにぷにと連続して押し付ける。ふと顔を上げてヘンリーのほうを見ると、マリアがヘンリーのそばに立って、愛おしそうにヘンリーを見つめていた。

(ふふ……。きっと、両思いだね。)

 けれど少し、さみしい。小さいころからずっと一緒だったヘンリーが、自分とは違う女性と、自分とは違う道を行ってしまうのか。そして自分も違う道を行くのか。誰と、だろう。

「あら、ヘンリーさんが目覚めましたわ!」
「ほんとですか!?」

 あわててヘンリーのもとへ駆け寄ると、彼はおぼろげに目を開いていて、次の瞬間にはぎゅっと目をつぶり大きく伸びをした。

「ん……、ここは天国か。」
「(わあ、同じ環境で育ったからかな……恥ずかしい……。)違うよ。わたしたち、生きてるんだよ。」
「……ほんとか!俺たち、自由なんだな!!」

 それまでずっとぼんやりとしていたのに、急にがばっと起き上がっての手を取ると小躍りを始めた。

!俺たち自由だ!!!!」
「うん!!自由!!!」

 二人で笑いあいながらも、 の頭はだんだんと自由を喜ぶことはできなくなっていた。なぜなら自分たちには帰る場所がない。自由になったところでやりたいこともない。 けれどそれを口にしては、この複雑な気持ちが大きくなってしまいそうだったから、口にはしなかった。それはきっとヘンリーも一緒だろう。
 二人で嬉しそうに踊る姿を見るマリアの目は、確かに切なさをはらんでいた。




憧れの今日




 マリアの案内で院長のもとへやってきた。聖母のような人で、どこから流れてきたなんて聞かず、話もそこそこにご飯の手配をしてくれた。お腹がすきすぎて逆にそんなことを忘れていたが、匂いがただよってくるとお腹が空腹を訴え始める。マリアは手伝いに行ったので、食堂でとヘンリー二人きりになった。

「ぐえー。」

 ヘンリーがお腹をさすりながらテーブルにつっぷして唸っている。

「あー。」
「おなかすいたね。」
「ほんとだぜ……。しかし、なんだか変な感じだな。あそこから抜け出せたなんて。」

 夢のような今日だ。あそこで働いていたとき、ずっと憧れていた今日の日だ。そしてこの日を与えてくれたヨシュアには本当に感謝してもしきれない。いつかどこかで会ったら、心の底からお礼をしたい。
 ―――だから、生きていてほしい。

「もう働かなくていいんだね……。」

 とても嬉しくて、けれどまだどこか現実味を帯びていなくて、なんだか不思議な感じだ。

「あとは寝坊すけのお目覚めを待つだけだな。」
「そうだね。あ。―――ねえヘンリー。」
「ん?」
「ヘンリーって、マリアさんのこと、好きなの?」
なんだかんだずっと聞けずにいたこと。二人きりでいい機会なので、思い切って聞いてみる。こんな平和な会話を監視の目を気にせずできることが本当にうれしい。と、はちいさな幸せを感じた。

「んー。」

 ちら、とヘンリーの顔をうかがうと、目をつぶって深く考え込んでいるようである。

「わからん。」
「わからん、ってことはないんじゃない?」
「んー。これを に話していいのかわからないけど、俺はマリアさんのことを好きなのかもしれない。でさ、万が一、俺とマリアさんがハッピーエンドになったとする。でも、そしたら結果的にとは一緒にいれなくなるだろ? それがなんていうか、引っかかるっていうか。」

 なんだか自分と似たようなことを考えているヘンリーがいて、どきりとする。この、お互いに対する気持ちはいったいなんなんだろう。

「……わ、わたしも、それ思ってた。」
もか。俺、とずっと一緒にいたいんだよね。」

 にかっと笑ったヘンリー。うんともすんともきゅんともしないし、小さいころからヘンリーに対する気持ちはきっと何も変わってない。
 恋ではない、でも、一緒にいたい。これはいったいどういう感情なのだろう。