どうやら遠くで騒ぎが起きているらしい。ざわざわと喧騒が聞こえてくる。大方、新しく入った奴隷が監視に反抗しているのだろう。自分たちにもそういう時期があったが、抗ったって無駄なことは次第に分かってきたので、それもなくなった。

「止めに行こう。」
「そうだね、行こうか。」
「まったく、お人よしだぜ。」

 苦笑いをするヘンリーだが、が言い出さなかったらヘンリーが言い出したに決まっている。それをも知っているので、くす、と少し笑って、「いこう。」といい、歩き出した。
 たどり着いた騒ぎの中心を見て唖然とした。

「マリアさん!!」

 ついこの間奴隷になったばかりのマリアが、監視に鞭で打たれている。衣服は破け、至る所から傷つけられたため血が出ている。かあっと熱くなって、三人はマリアの前に躍り出た。

「!!みなさん!」
「見過ごせません……!」

  はマリアの前でかばうように両手を広げ、その前でとヘンリーがこぶしを構える。

「貴様らは……最近おとなしくしていると思ったら、なんだ、逆らう気か?」
「女の子が傷つけられて黙ってられる程、俺たちは落ちぶれてないぜ!」

 なんだかかっこいいことをヘンリーが言っている、とは心の中で思う。<ヘンリーの言葉に感想を抱けるほど落ち着いている自分がいるのに、少し驚く。

「安心してマリアさん。彼ら、結構強いです。」

 マリアに向かって笑みを向けた。




美しき祈りよ




「やー、まあ、当然の結末ですね。」

 笑い声をあげて場を和まそうとするが、どうにもこの乾いた空気は潤いそうにない。は笑うのをやめて、はあ、とため息をついた。

「わたしたち、殺されるかな。」
「さあなあ……でもなんでマリアさんは手当てまでされてるんだろう。」
「まったくヘンリーってば、口を開けばマリアさんばっかり。」
「そんなことないだろ!」

 あれから監視をぶちのめしたのはいいが、見回りの兵士がやってきて、あっという間に取り押さえられてしまった。しかし兵士はマリアだけに手当てを指示した。女性だから、という理由ならもされるだろうが、も牢屋に入れられているので、その線はなさそうだ。

「まあ、どうしようもない。せっかくだからのんびりしようぜ。」
「うん。めったにない休息だ。」
「もー二人とも。」

 ヘンリーももごろんと横になって、目をつぶった。は呆れたように笑うが、確かに自分がどうこう考えたって無駄だろう。も無言で横になった。
 どれほどの時間が経っただろうか。眠りについていたは、ゆすられて起きた。が起こしてくれたらしい。

「先ほどは助けていただいて、本当にありがとうございました。」

 牢屋の目の前にはマリアと兵士がいて、は状況の把握ができずにいた。意味が分からない。奴隷と兵士が一緒にいるなんて。

「さあ、こちらへ。」

 牢屋のカギを兵士が開錠して扉を開けた。処罰が決まったのだろうか。は重い足取りで牢屋を出た。
案内されたのはなぜか兵士の個室らしきところだった。しかもご丁寧に座ってくれ、と言われソファに三人は腰かけた。ソファに座るのなんて何年振りだろうか。
 ヨシュアはデスクの椅子に座り、マリアはそのすぐそばで立った。

「……あの、俺たちどうなるんですか。」

 座ってそうそうが尋ねる。

「ああ、安心してくれ。別に君たちに処罰を科すわけじゃない。むしろ、その逆だ。」
「逆?」
「私はマリアの兄のヨシュアだ。妹を助けてくれて本当に感謝する。前々から思っていたのだが、君たちはどうもほかの奴隷と違う、生きた目をしている。その君たちを見込んで頼みたいことがあるんだ。」

 三人は頷いた。

「実はこのことはまだ噂なのだが、この神殿が完成すれば、秘密を守るため奴隷たちを皆殺しにするかもしれないのだ。そうなれば当然マリアまでもが……というわけだ。つまり、お願いだ、マリアを連れて逃げてくれ。」
「なるほど……。」

  はぽつりとつぶやいた。妹を思う兄の心。だが奴隷たちを逃がしたらどうなる、ヨシュアはただじゃ済まないだろう。下手したら自分までも奴隷になってしまうのではないか?

「わかったぜ。」

  の危惧をよそに、ヘンリーが二つ返事した。

「あんたの気持ち、確かに受け取った。」
「でも……」
。」

  が、わかってあげよう、といったような顔でに頷いた。確かにヨシュアが決めたことだ。自分たちが口出しするようなことではない。

「わかりました。」
「ありがとう。水牢に案内しよう。」

 ヨシュアは先頭に立ち、慎重に部屋から水牢まで案内した。水牢では水の流れる音が絶え間なく聞こえていて、大きな樽が何個か鎖につけられていた。

「この水牢は奴隷の死体を流す場所で、浮かべてある樽は死体を入れるために使うものだ。気味が悪いかもしれんがその樽に入っていれば、たぶん生きたまま出られるだろう。」

 たぶん、という言葉には多少怖気づくが、ずっとこんなところにいるよりか一か八かにかけてみたい。は、大丈夫。と自分を奮い立たせた。

「少ないが、お金だ。受け取ってくれ。さあ、誰か来ないうちに早く!」

  にお金の入った袋を渡した。強く握った手からはヨシュアの願いが伝わってきた気がした。

「ありがとうございます……!」

  がお礼を述べて、四人は樽の中に入った。

「お兄さま……!」
「マリア、無事でいてくれ。お前が俺の希望だ。」

 ヨシュアが切なそうに微笑んで、樽のふたを閉めた。鎖のカギを外して、ヨシュアは自らの手で樽を流れに押し出した。

(頼む……。)

 ヨシュアの願いの詰まった樽は、神殿から飛び出した。物凄い浮遊感が四人を襲う。は無意識に隣にいたに抱き着いて、を抱きしめていた。

「大丈夫!俺たちなら大丈夫だ!」

耳元で落ちていく轟音に負けないほどの大声で励ましてくれるに、は必死で「うん!」と返事をする。
大丈夫、大丈夫、の声がおまじないのようだった。