リンクが魂の神殿に向かって、どれほどの時間が経ったのだろうか。時間を知るすべは、檻の中にある小さな明かり取りの窓から見える空の様子だけだ。日は既に傾き始めて、もうじき日が暮れるだろう。捕虜の身だから贅沢はもちろん言えないが、そろそろお腹が空いてきた。檻の外では監視の二人のゲルド族が、こちらに背を向けて時折会話を交わしている。
やることもないこの檻の中では、色々なことを考えてしまう。魂の神殿の賢者がもしもナボールだとして。『深き森』―――サリア、『高き山』―――ダルニア、『広き湖』―――ルト姫、『屍の館』―――インパ、『砂の女神』―――ナボールとなり、すべての賢者を目覚めさせることとなる。すると残るはガノンドロフとの決戦だ。
きっとリンクは勝つ。これは自分の希望かもしれないが、負ける未来が見えないのだ。
(世界が平和を取り戻すのも、あと少し……)
いつまでリンクの傍にいることが許されるのだろうか。そしてこの戦いが終わったあと、リンクはどうするのだろう。生まれ故郷のコキリの森には帰れないし、ハイラル城に仕えたり……といったことになるのだろうか。間違いなくリンクはこのハイラルの英雄となって、その名を知らないものはいなくなるだろう。
(わたしはそのとき、どこにいるんだろう。リンクの傍にいれるのかな……)
普段は眠っている、心のなかにある暗いモヤモヤが静かに膨れていくのを感じた。
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日が暮れると、夜の帳がおりて暗がりが広がっていく。燭台に明かりが灯り、暫くすると、床の隙間から銀のトレイに乗ったパンとスープを与えられた。お腹がとても空いていたのでとてもありがたかった。食事を与えてくれたゲルドの女性に礼を述べると、女性はのことを見やった。
「……アンタのツレ、強いんだろ? 心配することはないよ」
の様子から、リンクの安否を心配していると思ったのだろうか。もちろん心配はしているが、実はと言うとそこまで心配はしていない。必ずナボールを助け出して、太陽みたいな笑顔を浮かべて戻ってくると信じている。これまでもそうだったし、きっとこれからもそうだ。先程ゲルド族の女たちは、「途中で死んだって構わないじゃないか」と言っていたが、情に厚いのかも知れない。
「……ありがとうございます」
の言葉に女性は、にっと微笑むと、踵を返して戻っていった。与えられたパンもスープもほんのりと暖かくて、心まで温かくなった気がした。
お腹を満たされたあとは、少し眠った。ベッドなんて言う気の利いたものはもちろんないので地べたにそのまま寝そべる。この世界に来て何度も野宿を経験しているので、慣れたものだ。浅い眠りを繰り返して、起きて、与えられた食事を食べて、たまに見張りのゲルド族と他愛ない話をして、ひたすらリンクを待った。捕虜とはなんと暇なのだろう。最初は二人いた見張りのゲルド族も、一人になり、最終的に常時見張るものはいなくなった。
「アンタ多分逃げ出さないだろうし、アタイたちも人手不足なもんでね。安心しな、ご飯はちゃんと届けるからさ」
ゲルド族もなかなか大変なんだな、と他人事のように思った。それからどれくらい経ったかわからないが、ガヤガヤと何人かが連れ立って走る音が聞こえてきた。反射的に通路に目をやると、よく見知った緑色の服を着た金髪の青年が走ってきた。は立ち上がり、檻の鉄格子を手で掴む。
「お、おまたせ!! ナボール、助けてきた!」
息も絶え絶えに檻の外でリンクが言う。は鉄格子の間から両手を伸ばして、鉄格子越しにリンクを抱きしめた。リンクの荒い呼吸が背中から伝わってくる。こんなに息が上がるまで駆けてきたなんて、一体どこから走ってきたのだろう。なんともリンクらしい。
「おかえり、リンク」
「ただいま、すぐここから出してあげるからね!」
リンクの言葉通り、ゲルド族の女はすぐに牢屋の鍵を開けてくれて、無事は牢屋から出ることができた。
「ナボールを助けてくれてありがとよ」
監視をしていたゲルド族の女性がリンクに向かってぶっきらぼうに礼を言った。
ナボールは賢者として覚醒したため、リンクと一緒に戻ってくることはできなかった。ではなぜは解放されたのか、ナボールが賢者として目覚めたことが、なんとなくゲルド族の女たちには感覚で伝わったらしい。夢枕に立つ……なんて言ったら聞こえは悪いが、そんな感覚でナボールの意思が伝わったみたいだ。それに加えて、魂の神殿から戻ったリンクが「ナボールは賢者として覚醒したんだ」と言ったものだから、きちんとナボールを助けたのだと理解したみたいだった。
リンクはゲルドの砦から出る道すがら、牢屋を出てからのことを話してくれた。
「魂の神殿でシークと会ってさ、そしたらシークがこうやって言うんだ」
シークの話だと、魂の神殿はこの時代においてはその性質を失っていて、魂の神殿として復活させるには、リンクが眠りに就く前の子ども時代に遡る必要があるという。そのため、シークの導きのもと、時の神殿にマスターソードを戻し、眠りに就く前の子ども時代と、今の、二つの時代を行き来して、魂の神殿を復活させ、ナボールを助けに向かったらしい。
時代を行き来するという、にとってはにわかには信じられない話だ。しかし、リンクは多少話を盛ることはあっても、嘘はつかない。は深く考えることをやめて、リンクの冒険譚を聞き続ける。
魂の神殿ではコタケとコウメという老婆の魔女がいて、そいつらはガノンドロフに仕えていて、ナボールを洗脳しているらしかった。それが、ナボールは最近様子がおかしいと言われている原因であった。老婆たちを倒すと自ずとナボールの洗脳も解けて、そして賢者として覚醒したらしい。
「これですべての賢者が目覚めたんだね……」
がポツリと呟く。「そうだね」とリンクが頷いた。
「あとはガノンドロフを倒すだけだ……でもその前に、時の神殿にいかないと」
いよいよ差し迫った最終決戦を前にして、リンクの面持ちは強張っている。ゲルドの砦をもうすぐ出ようかというところで、「あ!!」と急に大きな声を上げて立ち止まった。
「ど、どうしたのリンク」
「、チューは!?」
「は!?」
先程までのシリアスから一転、急にチューは!? と言い出すこの青年は、本当に困った勇者だ。チューなんて大きな声で言うものだから、周りにいたゲルドの女性たちが一様に二人のことを見ている。
「えと……チューはその、あとでね」
「どうして? 帰ってきたらチューしてくれるって約束じゃん」
唇を尖らせて抗議するリンクの唇をもはや塞いでしまいたかった。なんとかリンクを言いくるめる……もとい、納得させる言葉を探す。
「ほら……みんなが見てるでしょ? チューはね、人に見せるものじゃないの。誰も見てないところでやるのがいいんだよ」
「ふうーん……」
まだ不服そうだが、駄々はこねなそうだ。は言葉を続けた。
「無事に幻影の砂漠を抜けたら、してあげるね。エポナは元気かなぁ」
「早くエポナに会いたいなぁ」
よし、リンクの気が逸れたみたいだ。とは安堵する。と同時に、幻影の砂漠で思い出すことがあった。
「幻影の砂漠……シークの案内無しで帰れるかな」
行きはシークが幻影の砂漠を道案内してくれた。行きはよいよい帰りは恐い、なんていう言葉が思い浮かぶ。
「それなら大丈夫、幻影の砂漠はナバールの砦を外敵から護る為だから、帰るときはすんなり帰れるから、問題ないんだって」
リンクの言葉を最初に聞いたときはよくわからなかったけれど、絶対に大丈夫! という力強いリンクの言葉に背中を押される形で、半ば無理やり幻影の砂漠に足を踏み入れた結果、リンクの言葉通り、すんなりと砂漠を抜けることができた。
つまり、ゲルドの砦への侵入者を拒むために砂漠は人を惑わせて、案内なしでは到達できないようになっているが、ゲルドの砦から出てくるものについては真っ直ぐに帰らせてもらえるということなのだろう。
砂漠を抜けて、エポナを預けていた馬屋にやってきて無事にエポナを引き取る。変わらず元気そうで安心する。はエポナのたてがみを撫でつけていると、リンクがくいっと服の裾を引っ張った。
「ねえ」
「ん? ―――!?」
振り返ったの唇に、リンクの唇が重なった。突然のことには目を白黒させる。唇はすぐに離されて、代わりにリンクのイタズラっぽい笑顔が現れた。
「がなかなかチューしてくれないからいけないんだよ」
まだ何も言ってないというのに、リンクは弁解した。
「……そんなにしたかったの?」
「当たり前でしょ!」
そういいながらリンクはを包み込むように抱きしめた。ピッタリと隙間なく二人は重なり合っていて、鼓動が早い。果たしてこの鼓動はの鼓動なのか、リンクの鼓動なのか、あるいは二人ともなのか、には分からなかった。
「オレはに笑っててほしいから、ガノンドロフを倒したいんだ」
「……そうなの?」
「勿論、マロンも、タロンさんも、インゴーさんも、ミドも、ゴロンのリンクも、みんなみんな笑っててほしい。でも一番は、なんだ。勇者だとか使命だとか色々あるけど、オレにとって一番大事で、一番の理由は、なんだ。こんなこと知ったらシークは怒るかな」
抱きしめながらそんな事を言うのはズルい。ズルすぎる。リンクを失いたくないと、強く思った。リンクは絶対に負けないって信じてる。けれどやっぱり怖い。この体温を失うことがあったら、きっと立ち直れない。ねえ逃げちゃおうよ、なんて言葉が出かかって、わたしのほうこそシークに怒られちゃうな、と心のなかで苦笑いをする。その代わり、はもう一つずっと心のなかで溢れ出そうな言葉をリンクに伝える。
「大好きだよ、リンク」
体を離して見つめ合えば、自分で言うのもなんだが、リンクはのことが好きで仕方ないと言った熱を孕んだ目をしていた。はリンクの頬にそっと両手を添えると、背伸びをしてその唇にそっと己の唇を重ねた。
「大好き」
もう一度、リンクに囁きかければ、リンクは顔を真っ赤にして、顔を背けた。そんな様子が可笑しくて、は思わず笑いだすと、リンクは笑うな! とぷりぷり怒った。