「おかえり瑠璃くん、早かったね」
「ん、ただいま。紅茶冷めちゃったか?」
「ちょっとね、でも許容範囲だよ」

 どうぞ、といっては瑠璃に紅茶を差し出した。一口、口に含む。若干の冷たさが、先ほどまでの熱い気持ちがだんだんと平温にさせた。

「ありがとう」
「何を忘れたの?」
「ん、ちょっとな。そういえば、ルーベンスがに会いたがってたぜ。顔、出してやれよ」
「ほんとう? そっか、じゃあ、顔出そうかな……」

 はあれ以来、煌めきの都市に顔を出したことがない。しかし蛍姫も、ディアナも、エメロードも、みなに改めて礼がしたいといっている。そしてそれを瑠璃はに伝えているのだが、「逆に、行きづらいよー」といって行こうとしないのだった。加えてそれぞれが煌めきの都市の復興に向けて毎日忙しいため、瑠璃や真珠とともにの自宅へ訪ねることもできないのだった。勿論瑠璃とてやることは山積みであるが、に会う時間は、何とか作り出している。

「ねえ、瑠璃くん……わたしこれからどうすればいいんだろ」

 考え込むように視線を下げて、ふう、とため息をついた。瑠璃はの質問の本質が見抜けず、彼女の次の具体的な言葉を待った。

「わたしね、店長が好きだったの。でもね、そのアレックスさんは存在しなかったんだよ? アレクサンドルが身を誤魔化すために作った仮の姿。でもわたし、その人が好きだったの。あの人にとっては仮の姿でも、わたしにとっては、アレックスさんがすべてだったのに……」

 うつむき加減に語る。ぽつり、ぽつり、彼女の瞳からこらえきれずに涙粒が落ちる。

「ねえ……っ、ど、すればいいっのか、なあ……?」
……っ!」

 嗚咽をもらしながら顔を手で覆う。見ていられなくて、瑠璃はのもとへ駆け寄り抱きしめた。

「俺がいる、俺がずっとそばにいる」

 頭をやさしくなでる。

が心の底から笑えるその日まで、ずっと俺がいる」

 すぐに忘れることなんて無理だろう。その程度の気持ちでないことはそばにいて痛いほどわかる。いつまでかかってもいい、のあの笑顔をもう一度見れるなら、いつまでものそばにいたい。




ありがとう




(うわあ……緊張するなあ)

 数日後、は煌めきの都市にやってきていた。がかつてアレクサンドルを止めるために訪れたときから、だいぶ様相を変えた。人っ子ひとりいなかった荒廃した都市は、いまや活気で満ち溢れていて、明るさが滲み出ていた。これが本来の姿なのだろう。

(とりあえず、蛍姫様のところに挨拶に行って、それから、ルーベンスさんの所に行って、それから、エメロードの所に行って……)

ちゃん?」
「……っエメロード!!」

 くる、と振り返れば、かつての姫、エメロードがそこにはいた。魔法都市ジオで起きた様々なことが一瞬にして鮮やかに蘇る。姉の核を探したこと、サンドラにエメロードが殺されたこと、あのとき立てた誓い。

「久しぶり、わああ、久しぶり!」

 再びエメロードが笑える日がきて本当によかったと思う。うるうると涙が出そうになって、それを誤魔化すようににっこり笑顔を浮かべた。

ちゃん、ずっと会いたかったんだ、それで、お礼がしたかったんだ」
「お礼なんて、そんな、わたしはずっとエメロードに謝りたかった。あのとき―――」
「ねえちゃん、ありがとう。珠魅を救ってくれて、ありがとう」

 お礼なんて、こっちがいいたいくらいなのに。珠魅と関わったことで、エメロードと関わったことで、どれほど自分が成長できただろう。たくさんの感情が胸の中で次々と溢れ出てきて、の中に広がっていった。

「ありがとう」

 もう一度、噛みしめるように礼を述べてエメロードはをぎゅっと抱きしめた。

「……こちらこそ、ありがとう。ねえ、これからも仲良くしてほしいな」
「あたりまえだよ! ちゃんはあたしの騎士だったんだから、他の珠魅よりもちゃんと仲が良いんだからって自慢してるんだよ。姉様たちにもね、前にあたしの騎士をしてくれたんだよって言ったらね、すっごく驚いてて、凄いって言ってくれたの。ねえ、これからも遊びに来てね」
「うん……。エメロード、蛍姫さまの所に案内してもらってもいいかな?」
「もちろん! こっちだよ」

 エメロードの案内で蛍姫の所へ向かう。通りすがるたびに見知らぬ珠魅に「さまだ!」と叫ばれてなんだか変な感じだ。そのことをエメロードを言うと、「そりゃあね」と得意げな顔になる。

ちゃんのことを知らない珠魅なんて一人もいないからねー」
「でも“さま”だなんて行き過ぎだよー」

 彼らの命を奪っていったアレクサンドルに、生きてほしい、幸せになってほしいと願っていたなんてとてもじゃないけどいえない。それが裏切りにすら値するとはわかっているから。だから恩人だとか、さまだとか、そんなこといわれる権利なんて持ち合わせていないのだ。

「さあ、ここが玉石の間だよ。ここからはあたしがいないほうがいいと思うし、戻るね」
「あ、ありがとう。またねエメロード」
「うんっ、まったねー!」

 なんだか緊張する。ゆっくりと歩いて行くと、ディアナと蛍姫がなにやら話し合っている。邪魔してはいけないと思い引き返そうと思ったのだが、二人がほぼ同時にの存在に気づいて話し合いが中断された。

さん!」

 まるで少女のような屈託のない笑顔の蛍姫。この蛍姫が少し前までは瀕死の状態だったのだから本当に驚く。

「こんにちは」

 ぺこりとお辞儀をすると、蛍姫はぱたぱたとこちらへ駆け寄ってきた。

「報告が遅くなって申し訳ありません……実は先日、彼が訪ねてきたのです」
「えっ……彼って」
「ええ、アレクです」

 アレクサンドル――アレックスが、ここを訪ねた。動揺を隠せない。

さん」
「は、い」
「アレクのしたことの罪の重さ、アレク自身もわかっています。さん、どうか彼を支えてあげてください」
「わたしが……」
「彼もそれを望んでいるはずです」
「けれど、それならわたしに顔を出してくれてもいいのでは……?」
「会いづらいのでしょう。アレクを待つのもいいです。アレクに会いに行くのもいいです。すべてはさんの思うままに」

 ふふ、と小さく笑う蛍姫。先ほどの少女の面影はどこへやら、今度は自分よりいくぶんも長く生きている人の見せる顔になった。

(そんなの……会いにいくにきまってるよ。もう、待つのはいや)

 は決意を胸に「はい」とうなづいた。