「、どうしたんだ」
宝石店に入った瞬間立ち止まり、何も言わず佇むを不審に思った瑠璃と真珠が中へ入ってきた。
「ねえ、わたし、ここで働いてたの。なんで忘れてたんだろう」
二人はしばらくぽかんとしていたが、やがて徐々に記憶が元に戻ってきたようで、「そうだ」と目を見開いた。そうだわたしは確かにここで働いていて、確かに彼に恋をしていた。
栗色の髪の、やさしい笑顔の、メガネがよく似合う、この宝石店の店長を務めている、大好きで大好きで仕方がない彼。彼との思い出が詰まった“ウェンデルの秘宝”はなぜこんなにも廃れているのだろうか。宝石を飾っていたショーケースや、棚、色んな家具がぐちゃぐちゃになっていた。ほんの数日前までここで働いていたというのに。
「アレックスさん……」
先ほどまでぽっかりと穴があいた場所に戻ってきた記憶を、確かめるように胸に手をやり、その名を呟いた。どうして忘れてしまったんだろう、アレックスのことを忘れるはずがないのに。
「少し調べてみよう」
瑠璃が宝石店の中を歩き出して、も同意した。
「そうだね」
――― だれか
閉ざされた世界
「……? 何か声が聞こえたような」
は足を止めて辺りを見やる。しかし、人影らしきものはない。
「俺にも聞こえた。それになんだか、微かなんだか煌きを感じる」
「この感じ……懐かしい、でもどこから?」
真珠もキョロキョロと辺りを見やるなか、はこの声の主に心当たりがあった。まさか―――ととある人物の姿がよぎる。
「わたしこの声聞いたことあるよ、この声は……」
奥の部屋へと歩いていくと、大きな宝石箱が置いてあり、それは微かに開いているようだった。やがてそこから眩い光が溢れ出て、思わず目をつぶる。 おそるおそる目を開くと、かつて一度だけ訪れたことのある場所であった。そこにはあの時と同じように、傷ついた核を持ったフローライトの珠魅がいた。ざわざわ、と胸がざわつく。なぜ“ウェンデルの秘宝”からこの場所へ来ることが出来るのだろうか。以前は悪夢に導かれて、やってきた。
「うっ……」
急に真珠が胸の核を抑えてうずくまり、すかさず瑠璃が駆け寄り真珠を支える。部屋の中には宝石箱を模したベッドがあり、そこに横たわっていた蛍姫はゆっくりと身体を起こし、真珠を見やる。
「私の苦しみを和らげようとしないで、パール」
瑠璃が勘づいたように蛍姫を見やった。この、珠魅の歴史に残るであろう歴史的出来事の渦中にいる人物の正体に彼は気付いたのだろう。
「あんたが……珠魅一族をその命で支えてきた玉石の……」
「私は玉石の座に属する、蛍石の珠魅……蛍です。パール、核を分けてまで私を守ろうとしないで。その白い心臓を今だけは消して」
「どういうことだ?」
蛍姫はなおも真珠に語り掛けるが、瑠璃は事情が呑み込めずに尋ねる。苦しそうな真珠が気がかりだった。
「本来の姿に戻ってもらうのです。聞きたいことがあります……」
その瞬間、真珠の姿が淡い光に包まれたかと思うと、彼女の姿は真珠姫からレディパールへと様変わりした。瑠璃はぱっとレディパールから離れて、警戒心をむき出しにした。
「そなたに探索を命じたマナストーンを解くカギ……聖剣は? 瑠璃に託したそれは、違うものなのですか?」
レディパールは無言で瑠璃の背中にかかっている“運命の剣”を抜き取り、蛍姫に見せる。瑠璃は一瞬抵抗しようとするが、すぐにやめた。
「残念ながらそれはレイリスに伝わる、古き血を持つ騎馬族からのもの。彼らは過去を見る種族。私が傷とともに失った過去を、彼らはこの剣にそそいでくれた」
一度じっと剣を見つめて、瑠璃に返した。彼も無言で剣を鞘におさめた。蛍姫はレディパールに向けて言葉を続ける。
「あなたに尋ねねばならぬことがあります」
「俺もある」
「控えよ、姫の御前だぞ」
レディパールが表情を厳しくして窘める。
「構いません。瑠璃、たぶん私の聞きたいことも同じ」
すっかりと蚊帳の外となってしまっただが、黙って見守る。珠魅ではないは見守ることが義務である気がするのだ。瑠璃はレディパールに向き合う、
「俺があなたを見つけた時、胸の核は確かに黒かった。しかし俺の胸の中で核は白になった。あなたがパールだというなら、なぜ真珠姫は生まれた? 真珠は、何者なんだ!?」
しかしレディパールは答えたくないのか、口を閉ざし俯いてしまった。
「パール。いってください、私も覚悟をきめています」
蛍姫の言葉に、レディパールは顔をあげて、わかった、と頷いた。
「かつて、蛍姫様の騎士は私ともう一人、アレクサンドルというやつが就任していた」
アレクサンドルという名にの胸が締め付けられた。かつてレイリスの塔で見た珠魅の記憶の中で出てきたアレックスそっくりの彼。レディパールは言葉を続ける。
「彼は傷ついた核を癒すために涙を流す彼女の姿を見て、いつもいつも反発していた。このままでは蛍姫様が死んでしまう、もうやめるべきだ、と。ある日彼は蛍姫様を連れ去らって、この宝石箱、“パンドラ”の中に閉じ込めた。この宝石箱の中は時の干渉を受けないから、このままではただ生きているだけで自然と死んでいってしまうであろう様を生かしておくのは絶好の場所だった。とはいっても、延命処置に過ぎない。ここを出ればきっと何日と持たないであろうから」
胸のざわつきが止まらない。その、宝石箱パンドラが宝石店にある。パンドラはアレクサンドルが持っているもの。
「アレクは彼女一人の命を搾取しながら生きる珠魅を許せないと言った。そしてそれを守る、私も。他人を思いやる気持ちを忘れ、涙を忘れた私たち。滅ぶべきは姫さまではない、私たちだと。だからアレクは私の核に傷を負わせた。そして傷ついた私を見つけたのが」
レディパールは瑠璃を見た。
「君だった」
「傷ついたあなたの核から生まれたのが真珠姫……」
蛍姫が呟いて、それから痛いくらいの沈黙が訪れた。それがどれくらいの時間だったかはわからない。十秒くらいかもしれないし、一時間くらいだったかもしれない。ただにとってその沈黙はとても長く感じられ、その間頭の中には様々なことがめぐっていた。珠魅のこと、真珠のこと、レディパールのこと、アレクサンドルのこと、――――アレックスのこと。
「レディパール」
沈黙を破ったのは蛍姫だった。
「あなたを傷つけ一族を裏切った彼を、アレクサンドルを止めてください」
「止めるのではない、倒すのだ、姫」
「待ってください!!」
今までは傍観者を決め込んでいたのに、は思わず大きな声で会話を遮る。
「……」
「さん?」
レディパールと蛍姫が一斉にを見る。
「あの……倒すべきではないと思います。もう誰も傷ついちゃいけないと思うんです……」
誰が死ぬ姿も、誰が傷つく姿も、もう見たくなかった。
「さんの言うとおりですパール。傷つけてはいけません。私が彼の傷ついた心を癒すから……」
蛍姫の一言にずき、と胸が痛んだ。こんなときになぜ心が痛む。汚くて醜い、いかにも人間らしい感情に嫌悪感を感じる。
「……さん、瑠璃、もしものときにそなえてあなたたちにお願いがあります。あなたたちはかかわってはいけません」
「!! 何を言っている! 俺は真珠の騎士だぞ!!」
「パールが倒れたら珠魅は死に絶える……きっと……。だけどあなたは古い決まりにとらわれていない……誰の命も奪わず生きてきた。あなたたちにはほかの使命が……」
「勝手に役割を決めるな。俺は真珠姫の騎士。真珠姫とパールを守る!」
「……時間がありません、玉石の王杓を」
蛍姫は玉石の王杓を瑠璃に手渡すと、咳込み、横たわる。長い時間喋っていたので、身体に障ったのだろう。
「この王杓の指すほうへ向かうのです……そこには煌めきの都市があるはず。さん、瑠璃を頼みました」
「をつれてはいけない……」
「いいえ、さんは必ず必要です。そんな気がするのです」
「しかし……」
渋る瑠璃の気持ちもわかった。が傷つく可能性がないわけでもなく、瑠璃としては危険を避けたいのだろう。しかしはどうしても一緒に行きたかった。アレクサンドルに―――アレックスに会いたかった。会って、助けたかった。
「連れて行って、瑠璃くん」
「……わかった、いこう」
「うん……!」
「新しい時代、新しい可能性、君には未来がある。君にすべてを託そう、真珠姫と、私の、すべてを」
そういうとレディパールは瞳を閉じた。淡い光がレディパールを包み、その光が収まるころにはレディパールは真珠姫にかわっていた。
「ん……」
「大丈夫か、真珠?」
「思い出したわ、瑠璃くん……あなたがわたしに名前をくれたのね……」
真珠は微笑んだ。
「ずっと、探していたのよ。心配しないで、パールも私もおんなじよ。瑠璃くんは私たちの騎士……」
「ああ、守ってみせる。だが真珠、蛍姫はああ言っていたが、俺はお前を行かせたくない」
「私だって戦える、それにパールの力だって必要なはずよ」
「俺はこの宝石箱に閉じ込めてでもいかせたくない、わかってくれないか?」
真珠は悲しそうに眉をひそめたが、やがてすこしさみしそうな笑顔を浮かべてうなづいた。
「わかった、私ここで待ってるわ。瑠璃くんとちゃんのこと、待ってる……蛍姫様のことは任せて」
「ありがとう真珠、いってくる」
真珠と蛍姫をおいて、瑠璃とは宝石箱パンドラから出た。目指すは王杓の目指す地、煌めきの都市へ。どうやって止めるかなんて、見当もつかない。けれどもいかなくては、今ならまだ間に合う。もうこれ以上、誰も傷ついてはいけないのだ。
(アレックスさん、今までさんざん事実から目をそむけてきたけど、わたし、やっと向き合えそう。きっと救ってみせるから)