意識が戻った瞬間には、この間みたいに倒れているわけではなく、運命の部屋に入りアレクサンドルの記憶を見る前の状態に戻ったような感じであった。時が全く進んでいないような、先ほど見た光景は、時間と空間が現実と切り離されたところで見たような。今度ははっきりと、目の前で真珠と、その目の前の女性の姿が見える。実に真珠そっくりの女性だった。
「真珠……?」
瑠璃の呟きは二人に届くことなく、二人は気付くことなく会話を続けている。
「お前の目的は玉石の座につくこと」
「はい……」
「蛍姫の後を継ぎ、一族のために命を削るのだ」
「はい……」
まるで人形のように返事をする真珠。目は空ろで、たちの知っている真珠ではないような様子だった。
「真珠姫……お前は、己の命を涙石とし、皆に分け与えるのだ」
「……」
「お前の命が尽きることになっても、涙石を作り続けるのだ」
「い……や……死にたくない」
「言うことをお聞き。最善の策だ。きっと、彼が聖剣を手に入れ、マナストーンの原石を持ち帰る。それまでの辛抱だ」
「いや!!」
「真珠!!」
真珠のはっきりとした拒絶ののち、瑠璃が走り出した。も追う。
「瑠璃くん!」
「……ラピスラズリの珠魅、か。」
表情を少しも変えずに瑠璃を見て言った。次にその視線はへ向けられた。彼女はかすかに目を見開き、少し驚いた様子を見せたが、はそれよりもその瞳の冷たさにドキリとした。彼女の瞳には感情が何も窺えず恐怖すら感じた。(彼女は……生きているの?)
「君は誰だ?」
聞かれて、頭が真っ白になった。だが何とか言おうと口を開くのだが、言葉が出てこない。なんとかして言葉を探し出し、「あの」と切り出した。
「……瑠璃くんの友達で、真珠ちゃんを探しにきたんです」
「珠魅ではないようだが」
“珠魅ではない”という言葉に、何度も疎外感を覚えていた。珠魅じゃない、だからなんだ、と反感を覚えることもあった。だがこの女性に言われたその言葉には今まで感じたことのない重みを確かに感じた。
ずし、と胸に鉛が落ちてきた気がする。
「――はい、でも、友達で……その、運命の部屋に呼ばれて、ここへきたんです」
その重みを振り払うため、自分の存在意義を必死に紡ぐ。
「呼ばれて……か」
女性の口元にうっすらと笑みが浮かんだ。その笑みが意味するところはは勿論、瑠璃にも真珠にもわからなかった。
「……っおい、真珠を返せといっているんだ!」
瑠璃は痺れを切らしたように言うと、女性から笑みが消え、双眸が瑠璃を捉えた。
「ラピスラズリの珠魅よ、手出しは無用。これは私たちの問題だ」
無表情なまま淡々と告げた。私たち……とは、真珠と彼女の関係はどんなものなのだろう。ここまで似ていると、無関係とは言えなそうだ。彼女は真珠を連れて何をしようとしているのだろうか。サンドラの仲間、とも思えない。瑠璃を見ると、怒りに満ちているように見えた。
「真珠姫は俺のパートナーだ!」
「引け、容赦はしないぞ」
彼女の言葉はたぶん、脅しの類ではなくて、本気で言っているのだろう。しかし瑠璃は臆することなく、
「真珠は俺が守ると誓った。引くことなどできない!」
と言い放った。こちらへ歩いてこようとする女性を、真珠が慌てて腕をとって引きとめる。
「や、やめてレディパールさん! 瑠璃くんを、きずつけないで……!」
真珠が縋るような目で女性――レディパール――を見て懇願するが、女性は真珠に一瞥もくれないで「お前はここで待っていなさい」と、聞く耳を持たない。
「待ってください……!」
瑠璃とパールの戦いが始まってしまいそうで、は待ったをかける。はそんな形で解決は、したくなかった。きっとそれは瑠璃だって、真珠だって、レディパールだってそうだろう。
「勝手すぎます! 嫌がる真珠ちゃんに涙を流せなんて……命を落としてでも珠魅を救えなんて……誰かのいのちを食い物にして、その誰かがしんでしまったらまた次のいのちを食い物にする、そんなのダメです……!」
「君には関係のない話だ」
「ですが、真珠ちゃんはわたしの友達です! まして瑠璃くんは真珠ちゃんの騎士です! 関係なくなんて、ありません……」
この異様な圧力を放つレディパールを前に意見を訴えかけるのはやはり怖くて、語気は段々と尻ごんでいった。
「俺は真珠の騎士だ! 真珠を、守るのが俺の役割だ!!」
「ならば私を倒せばいい」
せせら笑うレディパールに、瑠璃は悔しそうに下唇を噛み目を伏せる。
「貴女とは戦いたくない……!」
「それで真珠が守れるのか?」
「守ってみせるさ」
「生半可な気持ちで守れると思うな」
「しかし、珠魅を傷つけたくない……!」
瑠璃は仲間を探している。それに瑠璃はとても優しい人だ。傷つけたくないと思うのは当然だろう。まして真珠そっくりの女性。傷つけられるわけがない。
「……時には倒さなければならない時だってあるかもしれないけど、敵を倒して守ることだけがすべてではありません。――レディパールさん、珠魅を守る方法は他にあるはずなんです」
アレクサンドルは見つけられなかった。結果珠魅を滅びの道へ向かわせている。しかしもとは珠魅を救いたかった。だが幾千の珠魅の命よりも蛍姫の命をとった。叶うならば珠魅を救いたいと思っているはず。
きっとレディパールもレディパールなりに珠魅を救おうとしているのだろう。しかし真珠を犠牲にしようとしている。
――目的は一緒なのに、なぜ道は重ならない。
誰も傷つかず、珠魅を救う方法はきっとどこかにある。それさえ見つかればアレクサンドルもレディパールも傷つけることをやめるのに。
「……君は私の古の友に似ている。名はなんと言う」
レディパールが穏やかな笑みをかすかに浮かべ、に問うた。
「、といいます」
はじめて見た本当の笑顔には少し驚きつつも名乗ると、レディパールは「……」と名前を反芻した。
「がここにいる理由、珠魅とかかわる理由、私にはわかる気がするよ」
「理由……ですか」
「ああ」
詳しくは語らずにレディパールはと瑠璃の間をすっと通り抜けて運命の部屋を出て、くるりと振り返った。
「今回は引こう。だが真珠姫は私のもとだ。いずれは私の元へ戻る……。それでは、失礼する」
「まってレディパールさん! ひとつ……きいてもいいですか?」
「? なんだろうか」
「アレクサンドルのしている凶行を……どう思いますか?」
先ほどアレクサンドルのしたことの善悪の判断が自分の中で曖昧になってしまった。だからこそ、アレクサンドルとは違う立場で珠魅を救おうとするレディパールの意見が聞きたかった。
「……許すことはできない」
少し考えをめぐらせて、レディパールは言い放った。
「やつがしていることはただの虐殺だ。珠魅は思いやりの種族だ」
「思いやりの種族……」
の頭に一瞬で考えが閃いた。そうだ、珠魅はかつて自分の命を削って他の命を助けてきた。珠魅の大虐殺の渦中、段々と生存本能から涙を、思いやりの心を封印してしまった。それを取り戻すことができれば……。
「それじゃあ今度こそ、失礼するよ」
の思案をよそに、レディパールの姿はまるで蜃気楼かのようにゆらゆらとゆれて段々と薄れていき、やがて消えた。取り残されたたちは暫く誰もしゃべれなかったが、やがて瑠璃が口を開いた。
「真珠、無事か?」
「うん……ごめんね、瑠璃くん……」
「かまわないさ。もう、何も言わずに出て行くな…よ………?」
「瑠璃くん!?」
くっ、と辛そうな声とともに瑠璃が核をおさえて蹲った。顔色が青白い。やはり核の傷が相当きているようだった。こんなとき何もできない自分が歯がゆかった。
「瑠璃くん……! やっぱり胸の核が……」
「気にするな……すぐ、治まる」
真珠が瑠璃の背中に手を添える。何かしないと、と思うのだが何もできることが見当たらない。おろおろと両手を組み合わせて何をすべきか考える。
「どうしよう、どうしよう……!」
完全に頭が真っ白だが、なんとか思考を巡らせ、とりあえずここから出て、家へ運ばなければ。でもどうやって? それよりも傷を治すにはどうしたら。痛みを和らげるにはどうすればいいのだ。さまざまな疑問が頭をよぎりますます混乱する。
「大丈夫だ」
混乱しきっているを安心させるために瑠璃がたどたどしく立ち上がり、力なく微笑んだ。いたたまれない気持ちが胸に広がり、泣きたくなる。だが、歯を食いしばりなんとか食い止める。いけない、泣いてはいけない。
「大丈夫だから」
「……うん」
石の再生には途方もない年月がかかると聞いた。痛みが和らぐのに何百年かかる? 一度なくしてしまった心を取り戻すには、どれぐらいかかる?
――急がなければ。
なんとか、なんとかしなければ。
古の記憶を見つめて