「だめ、でしたか……」

 気付いたときには、狭い建物にいた。少し薄暗いところだった。燭台に燈る明かりはどこか心もとない。聞こえてきた声の持ち主は、アレクサンドルだった。アレクサンドルの目の前には、どんな生物なのか検討もつかない異形のものがいた。頭には宝石がくっついていて魚のエラのようなものが両頬についている。肩が妙にあがっていて、顔が落ち窪んでいる。あまり、綺麗とは言えない姿であった。
 二人は向かい合っているのだが、暗い雰囲気だった。は少しはなれた場所で、二人を見守る。前回の記憶が珠魅の過去に深いかかわりがあったと同様に、この記憶も珠魅の過去に深いかかわりがあるのだろう。

「やはり、普通の宝石では駄目なのですね」

 悔しそうに拳を握り締めるアレクサンドル。異形は暫く黙っていたが、やがてその重い口を開いた。

「残る手段はあと一つ……」
「宝石王さま……しかし私はできれば仲間は手にかけたくない……」

 異形は宝石王と言うらしい。苦しげな表情と言葉には違和感を覚えた。仲間は手にかけたくない、という言葉はどういった意図なのだろうか。自分の知るアレクサンドルというものは、確か復讐を胸に深く誓っていたはずだった。それは仲間であり、同族であり、蛍姫の命を削っていった人たちへ憎しみや侮蔑をこめて。
 宝石王は重々しく言葉を紡ぐ。

「涙石を生むためには、それ相応の宝石が必要だ。上等の宝石で駄目ならばもう珠魅の核しか残ってないんだ」
「しかし……」

 彼の横顔は痛ましくて、時折悲しげな表情を見せるアレックスと似ていた。切なくて胸が張り裂けそうだった。そしてそんななか、の脳はアレクサンドルがサンドラとしてやっていることの輪郭を朧気ながら掴み始めてきた。
 最初は涙石を作るため宝石泥棒として高価な宝石を集めていたのだが、それでは駄目で、珠魅の核を集めている。しかし心が苦しくて仕方ないから今は、これは珠魅が受けるべき罰なのである、と思い自分の行為を正当化しようと勤めているのだろう。やはり、アレクサンドルも仲間を想う気持ちはあったのだ。心一つ復讐のみを誓っているというわけではなかったのだ。何て辛くて、孤独な闘いなのだろうか。

『認めてほしいとは思わない。許してほしいとは思わない。でも、ごめん』

 あの時の謝罪がここにきて明白な意味を持った。彼はいつだって戸惑いと共に珠魅を狩っていたんだ。仲間への友愛を、胸に奥底に二度と出てこないように閉じ込めながら。

「……少し、考えさせてください」

 アレクサンドルは小さく礼をすると、きびすを返して急ぎ足で階段へ向かった。はどちらに残ろうかと考えたが体が無意識にアレクサンドルを追いかけたので、そのまま自然に従った。階段をのぼると、キラキラとずいぶんと綺麗な、でも暗い雰囲気の景色が広がった。意識すると地面にも宝石なのか、綺麗な鉱石なのかわからないが、とにかく輝く大きな石が埋め込まれていて、それが道になっていた。アレクサンドルの歩みの音しか聞こえないこの世界はあまりに静かで、いるのは自分たちだけのような気がする。(尤も、自分は存在していないことになるのだが)
 そしてここは前にもきたことがあるような気がした。たぶん、前に運命の部屋にやってきて見せられた記憶もこの場所が舞台だったと思う。

「どうすればいいんだ」

 暫く回廊を歩いていたのだが、途中で立ち止まり、空に視線を馳せてポツリと呟いた。言葉がやけに響きをもっての耳に入り込んだ。

「どうしようね」

 聞こえないのだが、返事をした。しかしそれはただの返事ではなく、自分自身への問いかけでもあった。自分も彼も、目指している終結はたぶん、一緒なのだろう。でも、その終結の実現の仕方がわからない。

「わたしは、何もできないのかな」

 笑みが浮かんだのだが、たぶん自嘲の色が濃かっただろうと思う。しかし今までのことを振り返ってみると、気持ちが重くなる。ただそばにいるだけで、何もできていない。珠魅は滅び行く定めなのだろうか。涙は二度と珠魅に戻ってこないのだろうか。
 見届ける運命とは、本当に見届けるだけなのだろうか。だとしたら残酷だし、意味がわからなかった。

「俺はどうすればいいんだ……」

 アレクサンドルの声に、思案から意識が戻る。最近はすぐに思案に耽ってしまう。今にも泣き出しそうな顔のアレクサンドルを見ると、どうしてこの世界に自分は存在していないのかと思う。もしも自分がここにいることを許されるならば、アレクサンドルのことを抱きしめて、折れてしまいそうな心を支えられるのに。もっとも、では支えにならないかもしれないが、それでも一人孤独に蛍姫の為に戦い続けるアレクサンドルのために、寄り添うことはできるはずだ。
 と、そこまで考えては驚いた。なぜ自分はこんなにもアレクサンドルに思いを募らせているのだろう。アレックスへ抱いている憧憬や、恋しいと思う気持ちとは違う、抱いたことのない不思議な気持ちだった。ただひたすら、この人のことを助けたい。支えてあげたい。見返りなんていらない、とにかくアレクサンドルの進む道の先に幸せがあればいいと思う。
 手を伸ばして、頬に触れてみようと試みた。しかしその手は何にも触れることなく、ただ虚へと向かう。アレクサンドルのやさしい栗色の髪の髪が風に揺れた。しかしその風を自分は感じることもなく、急に寂しくなる。

「アレックスさん……」

 不意に口からついてでた言葉は、想い人の名前だった。
 ――ああ、やはり彼の姿はどこまでもアレックスに似ていて、を翻弄する。
 アレックスよりも少し髪は長いし、メガネをかけていないが、それ以外はほとんど一緒だった。そしてその理由が、どれだけ頑張って探してもには一つしか見当たらなかった。それはにとってえらく不都合なものであった。
 そのときアレクサンドルが立ち上がり、ふらふらともときた道を辿る。も後をついてく。階段を下ると先ほどいた場所にまだ宝石王はいた。アレクサンドルに気付いた宝石王はこちらを見ると、無言でやってくるアレクサンドルを見守る。アレクサンドルと宝石王は再び向かい合い、は二人の間に立つ。

「宝石王さま……」
「心が、決まったかね」
「ええ」

 アレクサンドルは一呼吸置いて再び口を切った。

「もとよりココを抜け出したときから私はすでに珠魅殺しをしたも同然。珠魅を殺したくないなど、今更偽善でしかない」
「そうか……。では手始めに、宝石店で売買されている、核だけとなってしまった珠魅たちの核から集めていこう……」

 その言葉にこめられた心なんて所詮にはわからないが、けれどもその表情には迷いが見られなかった。断ち切ったのか、ポーカーフェイスなのかと聞かれれば、たぶん後者だとは思った。勿論、確信はない。
 刹那、音が消えた。宝石王が何かを言っているが、生憎読唇術は心得ていないのでわからない。ぐにゃり、ぐにゃり、視界が歪んでいき、意識が途切れた。