呼ばれる声がして、一気に意識が戻ってきた。カーテンの隙間からのぞく朝日が眩しくて目を細める。狭まった視界で瑠璃を発見して、「るりくん」といまいちまわらない口で名を呼んだ。昨日の記憶が蘇ってくる。昨日はサンドラに瑠璃の核が傷つけられて、ディアナの核を奪われ、失意のままに自宅に戻ってきたのだ。
 を覗いている瑠璃の表情は切羽詰まっていて、は嫌な予感がした。

「真珠がいないんだ」

 意識が急激に覚醒していった。上体を起こして部屋を見渡すが、やはり真珠はいなかった。昨日の出来事は真珠にとっても衝撃的であったに違いない。珠魅の罪、そして記憶のない自分。色々と思いつめて、まさか……と最悪な事態が頭をよぎるが、すぐに振り払う。

「……お庭探してみよう」

 二人は庭へ出た。



プリンセスはどこへ消えた



「やっぱりいないや……」

 家の周りを一通り捜したが、真珠の姿は見えなかった。

「あ、ちゃんおはようっ!」

 お散歩中の近所の草人がの姿を見つけて陽気に挨拶をした。

「草人さん、おはよう。あの、なんだかふわふわした女の子見なかった?」
「ふわふわ……あ、みたよ。なんだか深刻なかおしてあっちへいったけど」
「わ、わかった! ありがとう草人さん!」

 瑠璃と顔を見合わせ頷き、草人の指し示したほうへ走り出した。そのときだった。急に頭の中に不思議な声が聞こえてきた。過去にも一度聞いたことがある声だ。

『すべてを見届ける者よ。レイリスの塔へ』

 自然と足が止まって、え? と声を漏らす。瑠璃が少し送れて止まり、「どうしたんだ?」と声をかける。

『過去と向き合い、真実を知るのです。真珠もそこです』


「レイリスの塔が呼んでる……」
「レイリスの塔が?」
「いこう。真珠ちゃんも導かれてるって」

 あのときと同じ感覚。何かが自分をレイリスの塔へと導いてくれている感覚。隣で瑠璃が「道わかるのかよ?」と尋ねてきたが、「適当に歩いていれば辿りつくよ」と言っておいた。聞こえは悪いが、これは事実だった。
 どれくらい走ったかわからない。ようやくレイリスの塔が見えてきた。時間の上では絶対にまだ日は昇っている時間なのにレイリスの塔に近づくにつれてどんどんと日の光がなくなっていった。

「本当についたな……」
「疑ってたの? 瑠璃くん」

 走るのをやめて歩き出し、乱れた呼吸を直しながらレイリスの塔入り口へ向かう。

「まあ少し……。でも考えて見れば一度来たことあるんだよな。……のことは俺が守るから、離れるなよ」
「? でも、実際魔物なんていなかったよね」
「何を言ってるんだ? 確かにたちと会った後は遭遇しなかったが、うじゃうじゃ出てくるじゃないか」
「ええ? でもわたしたち、会ったことないよ」

 意見がまったく噛みあわず、しばし沈黙が二人を包む。その沈黙を破ったのは瑠璃だった。

「……まあ、入ってみればわかるな」
「だね」

 そんなこんなでレイリスの塔の入り口までやってきた。重く、暗い扉が聳え立つ。手をそえて力をこめて押すと、簡単に開いた。
 前回は渾身の力で押した覚えがあるのだが、今日は待っていたと言わんばかりだ。――おそらく、瑠璃と一緒に押したからだろうが。

『運命の部屋に急いで』

 入ると同時にあの声が聞こえてくる。は頷いて、瑠璃を見て「いこう」と先を急いだ。少し前に真珠と一緒にきたときも思ったが、この途方もない階段はどうしても必要なのか。どうせ運命の部屋しかないのだから二階建てでもいいと思ってしまう。それとも、過去と向き合うための苦難なのだろうか。
 しばらく上っていくと寡黙な瑠璃が珍しく、無言の中で自分から話題を切り出した。

「でないな」
「へ?」
「魔物がさ」
「ああ、でしょ?」

 自分のいっていたことが正しいのが嬉しくて、思わずへらりと笑うと、瑠璃が面白くなさそうに「まあな」としぶしぶ認めた。その瞬間、このまえ真珠と一緒にレイリスの塔を上ったときの会話を思い出す。

『瑠璃くんね、ちゃんの話をするとき、とっても嬉しそうだったわ』

 真珠が言うには、瑠璃は自分の話をするとき珍しく陽気だといっていたが、ちらり横を見やって瑠璃を見てみれば、相変わらず仏頂面で前を見ている。

(うーん……どこが楽しそうなんだか)

 ちょっとだけ期待した自分が可哀相に思えて、思わず苦笑いをした。

「? 何笑ってるんだ」
「ん〜べつに? ただ瑠璃くん、やっぱり無表情だな、って」

 さりげなく本音を混ぜてみると、瑠璃は驚いたようにを見た。どうやら彼にとっての発言は意外だったらしい。瑠璃の瞳を見つめて言葉を続ける。

「真珠ちゃんに言われたの。わたしの話をするとき楽しそうだって。だったらわたしと居るときも楽しそうになるのかなって思ったんだけどね、やっぱりいつも通りの無表情だなーって !! わあ!」
「お、おい!」

 前方不注意が功を奏して、見事は階段を踏み外して盛大に転びそうになるが、間一髪のところを瑠璃が支えて免れた。前回は踏み外して転んだのだが、今回は防げてなんだか嬉しい。もっとも、転ばないことが一番なのだが。

「ありがとう瑠璃くん」
「危ないからしっかりと前を見てろよ。……確かにのことは守るっていったが、こういうことじゃないんだからな」
「わかってるよ。もう大丈夫。……たぶん」
「たぶんって……。だから放っておけないんだよな」

 を立たせて、瑠璃がぼそっと言う。

「ごめんね、もうちょっとしっかりしないとね」
「べつに気にするとはない。俺が居るときなら、俺が助けてやるから」
「頼もしいね」

 再び歩き出す。

「……あと、そんなにつまらなそうに見えるか?」
「ん? だからそんな気にしないでって、しかもつまらなそうと言うか無―――」
「気にするさ。俺は別につまらなくない。でもにはつまらなそうに見えるんだろ?」
「つまらなそうっていうか、表情が乏しいな〜っていうか……」
「もとから表情は乏しいんだよ。感情表現とか……できなくて。だから真珠にも心配をかけてしまってる。直さないととは思ってるんだけど、なかなか難しいな」

 かすかに下唇をかみ締めて、辛そうな表情をした。瑠璃は瑠璃なりに悩みを抱えていて、真珠は真珠なりに悩みを抱えていて、しかし不器用だから、お互い歩み寄りたいのだがなかなかできないのだろうと思った。だったら自分は二人の架け橋になりたい。

「真珠ちゃんに伝えればいいんだよ」
「真珠に……?」
「わたしに今言ったとおり、感情表現得意じゃないだけだから、心配しないでって。真珠ちゃんもきっとそのことで不安に思うことあると思うんだ。だから今日、真珠ちゃんを見つけたらいってあげてね?」
「そうだな。……そうする。ありがとな。いつもに助けられてる」
「でしょー? でもわたしも瑠璃くんの言葉聞けて安心できたよ。つまんないわけじゃないんだね」
「当たり前だろ。俺はといるときは楽しいぜ。たぶん、一番」
「わーい一番だっ。嬉しいな」

 一番だと言った瑠璃の顔が真っ赤になっていることには気付かないまま、はそのまま軽く受け入れる。そのことに若干がっかりしつつ、(これがだもんな)と無理矢理納得する。

「それにしてもやっぱり長いねえ。真珠ちゃんよく一人でへばらないなあ……」

 前回は真珠と一緒だったからこそ上れた。だが一人で上るとなると相当辛いはずだ。嫌でも自分自身と向き合うし、どうしても負の感情が邪魔してしまう。一見ふわふわだが、強い意志を持っている真珠。しかし一人ではきっと挫けてしまうかもしれない。だがこうして休みなく階段を上り続ける自分たちとすれ違わないということは、自分に負けることなく歩き続けているのだろう。なんとすごいことだろう、と心のそこから感心する。

「あいつは強いんだ。一人じゃ何もできないのは俺なのかもしれないな」
「瑠璃くんだって強いよ?」
「帰る場所がほしくて、必死に珠魅にすがる俺は弱いよ。真珠は俺さえいればいいんだっていっていた」
「そんなことない。帰る場所がほしいのは当たり前だよ。真珠ちゃんにとって瑠璃くんが帰る場所なんだろうね。瑠璃くんにとっても真珠ちゃんが本当に帰る場所なんだよ。たぶんだよ?」

 願わくば、アレックスにとって帰る場所が自分になれればいい、と願うのは恐れ多いことかもしれない。高望みかもしれない。でもお互いを必要とする二人を見ていたら、そう願わずにはいられなかった。
 この塔にくると、運命の部屋で見たアレクサンドルと、アレックスが重なって、遠くに感じてしまう。だからこそこんなことを思うのかもしれない。 しかし、サンドラの正体は女性だと思っていたのだが、アレクサンドルはどう考えても男性だ。どういうことなのだろう。声も、身体つきだって女性のそれだった。どういうカラクリなのだろうか。と、少し気になったが、次の瞬間、そんな思考は瞬時に飛んで行った。

(真珠は楽しいというより一緒にいるのが当たり前って感じです。)