意識が戻ってきたときには、真珠が心配そうに覗き込んで、が目を覚ますと泣きだしそうな顔で抱きついてきた。少しふわふわとした感覚のままなされるがままでいると、やがて真珠が少し離れ、今にも泣き出しそうな顔で口を開いた。
「よかった……ちゃんが突然倒れちゃったから、吃驚しちゃった……」
「……心配掛けてごめんね。もう大丈夫」
にっこりとほほ笑めば、納得したように一つ頷いて悲しさ混じりの微笑みを浮かべた。さきほどは泣き出すかと思ったが、彼女は珠魅だということを思いだして納得した。彼女は“泣けない”のだ。
「なにか、思い出せたことはあった?」
ゆっくりと立ち上がりながら尋ねれば、真珠も立ち上がり表情を暗くしてふるふると首を横に振った。どうやら、この様子では収穫はなかったらしい。
「なんだか思い出せそうなの……でも、もやがかかってて、はっきりとは思い出せないの」
「もう少しここにいる?」
「うーん……きっと、ここにいても、もやもやはとれないと思うから、一回部屋を出てみてもいいかしら」
真珠の言葉にわかったと答え、二人は運命の部屋をあとにした。
女怪盗、瑠璃、真珠、過去、珠魅
部屋を出ると、目の前に一人の男が立っていた。この塔には何も出ないと思い込んでいたと真珠は思わず心臓が飛び跳ねたが、冷静になりよく見れば、彼はよく見た顔だった。
「瑠璃くん?」
砂マントをかぶり、長い前髪で片目を隠した彼の名を、と真珠が無意識に声を合わせて呼ぶ。
「一人でうろつくなと言っただろ?」
にとって、見た事のない怖い顔で瑠璃は真珠を責めるように言った。言われた真珠はしゅんとうなだれて「ごめんなさい」と小さく呟いた。なんだかその様子を見ていられなくて、は真珠を庇うように一歩前へ出る。
「そんな責めないで? 真珠ちゃんは、ただ過去を思い出そうとしただけなの」
確かにふらふらと消えてしまう真珠も悪いが、行かせてしまった瑠璃も悪いといえば悪い。勿論、一番悪いのは何も言わずに迷子になってしまう真珠であるが。
「………だが」
収まらない気持ちを持て余している瑠璃の言葉を遮るように、は言葉を紡ぐ。
「怒るならわたしを怒って。ねえ、瑠璃くん。一緒に行こうっていったのはわたしなの」
「ちゃん……」
「……チッ。いくぞ」
バツが悪そうに舌打ちをした瑠璃は、マントを翻して歩き出そうとする。
「まって!」
真珠が珍しく大きな声を出したので、瑠璃も足を止めて真珠のほうを見る。
「もうすこし……なんだかもうすこしで思い出せそうなの」
「……わかった。いくらでも待とう。だから、もう二度と何も言わずにどこかへ行かないでほしい。約束してくれるか?」
冷静さを取り戻した瑠璃は依然として厳しい表情でそういった。彼は真珠のことを本気で心配しているのだ。
「約束するわ」
きっぱりと言い放った真珠に、瑠璃は安心したのか、ふっと顔から力を抜いて、微笑を浮かべた。
「……、付き合わせて悪いな」
「ううん。わたしも同罪だよ」
申し訳なさそうな瑠璃に首を振って応える。瑠璃のことが頭をよぎらなかったわけではないが、それでも運命の部屋が呼んでいるという真珠の想いを、無下にはできなかった。それにしても、なぜ瑠璃はここにきていると知っていたのだろうか。確信がなければレイリスの塔のさらに最上階なんてこないはずだ。不思議に思って尋ねてみる。
「ああ。……変な話だが、真珠やがここにいるって、何かが俺に伝えてきたんだ」
「へえ……。わたしも、何かにここにくるように言われたの。これってもしかしたら、運命か何かかな?」
へらりと笑った瑠璃につられて、も笑った。
「ありがとうふたりとも……。やっぱり思いだせそうにないから、もういいわ。付き合わせてごめんなさい」
「そっか。じゃあ、降りようか」
こうして三人はレイリスの塔を降り始めた。暫く無言で階段をおりていたが、やがて瑠璃が沈黙を破る。
「おい、妙じゃないか?」
「何、が?」
「魔物が一匹も出ない」
「? のぼっていったときも、一匹も出なかったよ。ね、真珠ちゃん?」
「うん。一匹も出なかったよ、瑠璃くん」
瑠璃はおかしいな、と首をかしげたが、先ほど“何かが自分に、二人はここにいると伝えた”ように不思議な事だってあるのだ、ということで納得したらしい。
そのまま順調に、時には会話を交わしながらレイリスの塔をおりていった。最後の一段をおりきって、あとはエントランスを抜けて扉からこの塔を出るだけだ、というときに、事件は起こった。
「待ちわびたわよ」
聞いた事のある、凛とした声。この声を聞いた瞬間、の心臓が飛び跳ねた。どきどきと煩い心臓をぎゅっと服の上から押さえつけて、オチツケ。オチツケ。と目をつぶり、言い聞かせるように心の中で繰り返す。
「テメエは……!」
隣で瑠璃が、怒りに震えながら声を絞り出している。真珠が息を呑むのが聞こえてきた。
「ほ、宝石泥棒?」
かすかに恐怖を滲ませて、真珠は小さく呟いた。
は意を決して瞳を開けて、姿を見る。そこには、思った通り、宝石泥棒サンドラがいた。
「サンドラ……あなた、まさかこの二人の核を狙っているの?」
は震える声で尋ねる。
「そうだとしたら?」
「わたしは、あなたを全力で止める。二度と……二度と大切な人を失いたくないの」
数日前、ルーベンスの核を持つ珠魅をこのサンドラによって殺害された。そのサンドラが、再び自分の前に現れた。この二人だけは絶対に失いたくない。という気持ちが強くの心を突き動かす。
「あなたには無理よ。だって、あなたは無力。そうでしょ?」
無力。確かに無力だ。満足に戦闘ができるわけでもないし、かといって彼女を止められる秘策があるわけでもない。彼女がその気になれば、きっと無力さを見せ付けるかのように一瞬で二人の事を狩ることだって可能だろうし、のことだって容易く殺してしまうだろう。そう考えてぞっとした。またしても大切な人を失うかと思うと今にも崩れていきそうだった。
「………やめ、て」
「、下がってろ! こいつは俺がなんとかするから!」
瑠璃が数歩前に出て、と真珠を庇うようにサンドラに立ちはだかる。
「あらあら、怖い顔して。別に、今日はあなたたちとやりあおう、ってわけじゃないの。だって……そこのお姫様をそのまま殺したんじゃ、意味がない」
はほっとするのも束の間、真珠を見やる。
「そのまま? どういうこと……?」
真珠が核に手を添えて尋ねる。
「答えはその胸に聞くことね」
真珠の真似するように手を胸に添えて、サンドラは妖艶に微笑んだ。
「それから、あなた」
サンドラは次にを見た。
「……なに」
が眼光を鋭くしてサンドラを見た。
「どうしてあなたは珠魅に関わるの? 一刻も早く珠魅と関わるのをやめなさい。これは警告」
「理由なんてないよ。それに、あなたには関係ないじゃない」
彼らと友人だから関わる。ただそれだけのことだ。それなのに、珠魅だから、だとか珠魅じゃない、だとかそういうことを口にするやつにはうんざりする。種族なんて関係ないのに、一度色眼鏡をとってほしいところだ。サンドラも所謂そういう人種なのだろうか。
「関係ないわけない。あなたには、不幸になってほしくない」
「……え?」
を心配するような物言いだ。彼女と面識なんてないのに、なぜ不幸になってほしくないなんて言うのだ。少し前に、彼に同じようなことを言われたのを思い出す。混乱するをよそに、サンドラは口角を上げた。
「それじゃあ、また会いましょう」
サンドラは少しの風を残してその場から消えた。の頭の中にさまざまな疑問が飛び交うが、瑠璃がくるりと振り返り、
「……帰ろう」
といった。は頷き、何も言わずに彼についていこうとするが、扉へ向かって歩いていく瑠璃の後姿を見ながら、一向に動こうとしない真珠を不思議に思っても一歩踏み出した後止まった。
「真珠ちゃ――」
「私、」
「……?」
「私、ころされちゃうのかな? 騎士がいない姫なんて狩られるだけだもの……。瑠璃くんは仲間を捜している。新しい仲間が姫だったら瑠璃くんは……」
顔を伏せて、震える声で言葉をつむいでいく真珠を黙って見守る。
「そしたら私、一人だわ。仲間なんて、見つからなければいいのに……」
「真珠ちゃん……」
かける言葉が見つからなかった。何と言えば真珠の心を癒せるのだろうか。きっと、今何を言ったって、真珠の求めている答えを出すことが出来ない。きっとそれを出すことが出来るのは、瑠璃だけだから。
何もできない、何も言えない不甲斐ない自分を下唇をかみ締めて責めるが、やがて真珠は顔を上げて微笑みを浮かべて「いこう、ちゃん。ごめんね?」と言った。
は頷いて、真珠と共に扉へ向かって歩き出す。真珠は強いな、と改めて思った。
「世話になったな。この借りはいつか絶対返すぜ」
「ううん。そんなことないよ。それじゃあ、またね」
「またね」
「お元気で」
二人と別れてから、いや、別れる前から頭の中にずっとあったさまざまな事を、改めて思い返してみる。
アレクサンドル。蛍姫。裏切り。サンドラの言葉。そして―――
(アレックスさん……)