これは120年前、珠魅たちがまだたくさん生きていたころのお話。不死皇帝の軍が各地の煌きの都市を攻めて、珠魅たちがどんどんと討たれ死んで行く。



 ‐‐ 



「―――、――!」
「――――――っ!」

(あ……れ? なんか聞こえる)

 の中にすぅっと意識が戻ってきたと思ったら、誰かが遠くで話してるようだった。だが、ぼやぼやとしか聞こえない。目を開けようとしても、まるで開けかたを忘れてしまったかのように、目が開けることができなかった。

「俺は絶対に反対です!!」

 強烈に大きな声が聞こえてきて、目を開くことができた。すると視界いっぱいに、怒りに顔を歪めている人の顔が映る。

「ぎゃああ!」

 驚きのあまり大声を上げて後ずさりをするが、目の前にいる人は大して気にする様子もなく、というより寧ろ自分の存在に気づいてないかのように、言葉を続けた。

「このままでは、蛍姫様は死んでしまう……!」

 今にも泣きそうな顔だった。そしてこの顔に、は見覚えがあった。彼は、自分の想い人に似ているのだ。と言うか、想い人にしか見えなかった。 世界には、全く同じ顔の人が三人いると言うが、彼は所謂それなのだろうか。先日、眼鏡を取った顔を見せてもらったが、その顔に怖いくらい似ている。ただ、目の前の男の表情は穏やかとは反対にある。

「ですが、彼女しか涙を流せないのです。この戦争には蛍姫様が必要なのです」

 振り返れば、綺麗な女性が無表情のまま淡々と彼に向けて告げている。改めて辺りの様子を見てみれば、たくさんの人がいることに気づいた。上座にその綺麗な女性がいて、その先にはレッドカーペットが敷かれていて、女性に向かい合う形で先ほどの彼がいる。自分は丁度、女性と彼との間に立っている。
 男の背後には、レッドカーペットに沿ってたくさんの兵士のような武装した人たちが並んでいた。彼らはみな、自分の存在に気づくことなく、ただ二人のやり取りを見ている。
 女性も、そして彼も気づいていない。
 此処がどこかも、そしてなぜ自分のことを気づかれないのか不思議に思いながらも、とりあえず二人の間から少しずれたところで会話を聞くことにする。

「……話にならないな」

 男は恐ろしい形相で女性を睨むと、踵を返してすたすたと去っていった。後姿を見守りながら、想い人に似てはいるが、彼とは少し違う、と感じた。
 例えば喋り方や、一人称も違うし、彼はあんな怖い表情をしない。いつでも穏やかで、時々切なそうな、そんな表情ばっかり。自分が宝石店に勤めている間、彼が怒った姿なんて一度だって見たことなかった。
 彼の後姿を見送り、彼についていくべきか、ここに残るべきか考えながら改めて女性に目を遣ると、気が付いたことがあった。

「あれ……」

 悲しそうに目を伏せ、ため息をついた女性の胸元に光る宝石を見て、彼女が珠魅だと言うことが判明した。見たところ、ダイアモンドだろうか。続いてレッドカーペットに沿って立っている兵士の胸元見てると、やはりそこには色とりどりの宝石が輝いていた。そうなると、先ほどの彼もやはり珠魅なのだろうか。だとしたら想い人は珠魅ではないので、完全に別人と言う事になる。

「あの、すみません」

 ダメもとで女性の目の前に立ち声をかけてみると、女性はまるでの事が見えていないかのように遠い目をしていた。

「あの」

 再び声をかけるが、やはり彼女はの存在に気づかない。そこで漸く自分の姿が見えていないことを本格的に自覚し始めた。目の前にいるのに、まして声をかけているのに気づかないなんて、通常ありえない。
 仮に女性が目の不自由な人だったとしても、周りにいる兵士達が気づくだろう。それなのに、誰一人に気づかない。 は急にそのことが恐ろしくなった。世界に自分の存在に気づいてくれる人間が一人もいないような気がした。

(あの人は……わたしの事気づいてくれるかな?)

 彼の後を追うために、今自分がいる、そんな気がした。一縷の望みをかけて、先ほど男が出て行った通りの道をたどる。するとそこには初めて見る景色。
 床には数々の美しい宝石がちりばめられていて、誇らしげに輝いていた。横を見れば、地面には水路が流れていて、透き通った水が緩やかな傾斜を流れていっている。太陽の光を浴びて生き生きときらめいていた。視線を先にやると、広い大地と青い空が見えた。今いる場所が、それなりに高い場所だと言うことが分かる。

「……っと。あの人を捜さないと」

 思わず見惚れてしまったが、先ほどの男性を追いかけなければ。彼のことを思い浮かべると、アレックスが浮かんできて、胸がちりちりと焦がれていくのを感じる。
 ひとつわかる事と言ったら、いま道は左と右に別れていて、左は登り、右は降りだと言うこと。あと恐らくだが、この場所は螺旋状に作られているのだと思われた。だから、左に行けばこの場所の果てへといけるし、右に行けば地面を踏む事が出来るだろう。
 とりあえず第六感とやらを頼りに、左へ進む事にした。 はやく彼に追いつきたくて、駆け足で坂を下ると、栗色の髪の毛をお団子にした、どこか既視感のある男を発見した。まちがいない、先ほどの彼だ。そのままの速度で駆け寄り、彼の横にたどり着いた。横から見る彼の顔も、アレックスに似ていて、不覚にも胸が縮こまった。

「あの……」

 声をかけるが、男は険しい顔をしたままこちらを見ようとしない。やはり、聞こえてないのかもしれない。と思い、再び声をかける。先ほどよりも少し大きな声で。

「すみませんっ!」

 だが、男はこちらを見ようとしない。やはりこの世界で、の存在は全くの無なのかもしれない。は急に寂しくなって、一瞬泣きたくなる衝動に駆られた。
 誰も、わたしのことが見えない?
 恐ろしくて、は意を決して男の前に踊り出た。これできっと、自分の事を無視する事は出来ない。男の、ひどく冷たい顔が目の前にある。怒りに燃えている瞳に、一の字にきゅっと結ばれた口元。彼はが前に出てきたのにも関わらず、視線もくれずにそのまままっすぐ歩き続ける。そして、ついに。彼とは交差した。ぶつかるというわけでも、避けるというわけでもなく。彼はを通り抜けたのだ。

「……え?」

 呆然とその場に立ちつくした。宝石がそこらじゅうにちりばめられ、それを飾りあげるような青い空という雄大で、広大な景色はもはやの目には入らない。

(通り抜けた……?)

 信じられないような話だが、確かに今、彼は自分を通り抜けた。しかも通り抜けた瞬間に今まで感じた事のない変な感触を感じた。それがやけにリアルで、心臓が不気味に早鐘を打った。
 そして、漸くきちんと理解したのだ。わたしは、この世界に存在してない――
 ゆっくりと振り返って、彼を確かめる。丁度彼は部屋に入るところだった。は、無意識のうちに彼を追いかける。彼が入った部屋の扉を、触れる事はできなかった。自分の目には、ちゃんと自分の手や足が見えるけど、きっと自分は透き通っているのだろう。ため息をついて、扉に向かって歩いていく。すると、扉にぶつかることなく通り抜けた。
 気分は幽霊だ。というか、幽霊なのかもしれない。それにしても、いつまで経っても今の状況が全く理解できない。誰かが自分の事を気づいてくれない限り、もしかしたら一生の何もわからないかもしれない。そう考えたらぞっとした。なんとなく、誰かに気付いてほしくてポルターガイストを起こす幽霊の気持ちがわかった。
 通り抜けた先の部屋では、先ほどの彼が冷たく、そして不機嫌そうな顔で椅子に座って足を組んでいた。部屋の様子は至って簡素。かろうじで生活感があるくらいの部屋だった。テーブルと、ベッドと、椅子と、本棚。それが部屋に置いてあるもののほとんどだった。

「……このままでは、いけない」

 ぽつりと呟いた声が、やけにアレックスの声に聞こえて、どきりとした。顔だけでなく声まで似ている。だけどきっと彼も珠魅だから、アレックスとは別人なのだ。
 別人じゃなければいけない。

「姫を……蛍姫様を、救わなくては」

 思いつめたように視線を伏せた彼の近くへ歩み寄って、胸元を確かめれば、そこにはやはり宝石が輝いていた。この宝石は、アレキサンドライトであろうか。
 するとここは珠魅の集まっている集落のようなところなのだろうか? だとしたら、この場所の意地でも突き止めて、瑠璃に教えてあげたい。アレックスから珠魅はほとんど死んだと聞いたから、きっと仲間がいると知ったら瑠璃は喜ぶだろう。しかし、先ほどの緊迫した空気から察するに、あまりこの集落の状況はよくなさそうだ。不穏な空気が立ち込めている。
 ふう。とため息をついた彼。
 彼の外見を、自分が他人から見えないことをいいことにじろじろと観察し始める。切れ長で胸元の宝石同様の色の瞳。綺麗な肌。栗色の髪の毛。何もかもがアレックスに酷似していて、心拍数が上がる。彼の名前は、なんだろう? なにか名前のわかるものを捜すが、見当たらなかった。
 刹那。

「アレク!!」

 勢いよくドアを開けて、人が入ってきた。びくっとしながらもドアのほうを見れば、は驚愕に目を見開いた。

「ルーベンス。なんだ?」

 アレクと呼ばれた男は椅子から立ち上がった。
 そう、突如この部屋に入ってきた彼は、燃えるような赤い髪に、燃えるような赤い服を着た男、ルーベンスだった。彼はサンドラに核を奪われて死んだはずなのに、胸元にはまだルビーの核がある。まさかの再会に、は堪らず「ルーベンスさん!?」と聞こえるはずがないのに声を出してしまった。
 ……ここは珠魅たちだけの奈落なのだろうか?

「不死皇帝の軍がまた攻めてきた。急いで戦いの準備をしてくれ!」

 不死皇帝の軍が、攻めている? 一体いつの時代の話だ。不死皇帝が珠魅狩りをしていたのは、歴史の教科書に載るくらい昔の話だ。

「………そうか」

 アレクはぽつりと呟いて視線を落とした。ルーベンスは扉を開けたまま走り去っていった。まだ他の人たちに言いに行くのだろうか。はアレクを見れば、切なそうに眉根を寄せて、今にも泣き出しそうな表情だった。その頬に触れたくて、泣き出しそうな彼に“大丈夫”といって笑いかけてあげたくて、そっと手をアレクの頬に持っていくがやはり触れる事が出来なくて、は目頭が熱くなるのを感じた。
 だが、聞こえなくても、言葉をかける事はできる。は泣きそうなのをぐっとこらえて、微笑みを浮かべる。そして、

「大丈夫」

 と言い、そっと抱きしめた。当然、アレクを感じることなんてなかった。