そわそわとはやる気持ちのまま、心ここにあらずの状態で仕事をしていた。ちら、ちら、時計を確かめては、まだぜんぜん時間が進んでいないことにため息をつく。アレックスは奥の部屋から戻ってこないし、時間はスローペースだし、の気分は最悪だった。

「……はぁ」

 先ほどから浮かんでは消える、答えの出ない疑問が頭を占める。

 なぜレイリスの塔が? アレックスのあの表情は? そしてあの言葉の意味は? すべてを見届けるって? 止めるとか、進めるとか、一体なんなの?

 ―――サンドラは、今頃一体どこで何をしているんだろう? 次はどの珠魅を狙うのだろうか。




隠された過去を捜して




 午前中の仕事を終え、いまだ奥から姿を見せないアレックスを心配しつつも、控えめに「お疲れ様でした」と呟いて、“ウェンデルの秘宝”を出た。そして、お昼時のジオの町を小走りに走り抜け、一目散に自宅に戻ると、護身用の短剣をカバンに入れ込む。家にあるもので軽く昼食を済ませて、は直感のみで走り出した。目指す目的地は、―――レイリスの塔。

(きっと、たどり着けるよね)

 根拠のない自信だけを携えて、肩で息をしながらも、ひたすら走っていく。すれ違う人には、不思議な顔をされるが、そんなことはどうでもよかった。一刻も早くレイリスの塔につくこと、それが今のにとっての最大のミッションなのだ。

「はぁ……はぁ……」

 どれくらい走ったのだろうか。足はもう力が入らないほど酷使している。とうとう疲れ果て、走る足を止めて、ふらふらと力なく歩き、やがて木陰に座りこんだ。
 汗が額から滲み出て、それを腕で無造作にぬぐい、ぱたぱたとてのひらで扇いだ。当然ながら、その風は本当に微風。暑さは決して和らがない。人通りがあまりないことをいいことに、木の幹に背を預けて瞼を閉じる。

(あ、寝れちゃうかも……)

 木陰に居るので、風が冷たくて気持ちいい。まどろんでいく意識。もう間も無く眠りにつく、というそのとき、ふと頭に夢のあの声が聞こえてきた。

『急いで、あなたを待っているの』

 ばちっと目を開けると、あたりは夜の闇が降りたように真っ暗で鬱蒼としていて、見慣れない景色が広がっていた。寝たわけではない。寝ようとしたところに“あの声”が聞こえてきたのだから、夜になったわけがない。
 額にまだ汗が残っている事が、何よりの証拠だ。視覚では夜の雰囲気だが、脳は確かに昼間だと理解している。上体を起こして、鞄から懐中時計を取り出して時刻を確認すると、やはりまだ午後であることを示していた。
 あたりを確認すると、さきほどまでいた道とは違う場所に居るような感じに思える。立ち上がり少し歩くと、真っ暗な中に確かに見える、巨大な塔。

「レイリスの塔」

 ここはきっと、そうだろう。これまた直感がそう告げている。ゆっくりと足を動かす。目的地、レイリスの塔へ。

「……真珠ちゃん?」

 塔の目の前に、まさかあるとは思わなかった人影があった。一瞬身構えるも、その後姿はこの鬱蒼とした塔には不釣り合いな純白のドレス。その姿には見覚えがあって、頭に浮かんだ、見知ったその彼女の名前を口にして見れば、その人影は弾かれたように振り返った。

ちゃん……?」

  の姿を見て、驚きを表情に現す。彼女は確かに、数日前の迷子のプリンセス、真珠姫だった。彼女のナイトのラピスラズリの珠魅、瑠璃がいないあたり、また迷子なのだろうか。頭の中に、しかめっ面で彼女を捜索する瑠璃の姿が思い浮かんで、思わず苦笑いをする。
 瑠璃と二人で真珠姫のことを探すことはあっても、真珠姫と二人というのは初めてだ。

「もしかして、また、迷子なの?」
「そうなの。……それに、なんだかこの塔に呼ばれている気がするの。私、いかないと」
「真珠ちゃんも? わたしも、夢でこの塔に呼ばれて……。もしよかったら一緒に行かない?」
「本当? ありがとう、ちゃん。心強いわ」

 ふんわりと、可愛らしい笑顔で軽くお辞儀をして、真珠がの隣にやってきて、再び笑顔を浮かべる。妹のわけではないのに、どこか妹のように感じるのは、彼女のおっとりとした雰囲気や、ほうっておけない言動からだろうか。と、そんなことを一瞬で考え、微笑み返した。

「いこう、真珠ちゃん」
「あ、ちゃん。レイリスの塔は、魔物が出るわ。武器とか……ある?」
「……一応、短剣を持ってるけど、大丈夫だよ。うん」

 戦闘経験は、皆無に等しい。だが、今日レイリスの塔にたどり着けたように、魔物にもなんとか打ち勝てそうな気がするのだ。根拠のない自信ではあるが、本当に何とかなりそうな気がしてならないのだ。この根拠のない自信が吉と出るのか凶と出るのかはまだわからない。

「大丈夫、真珠ちゃんのことは全力で守るよ。真珠ちゃんが怪我しちゃったら、瑠璃くんに怒られちゃうもん。よし、行こっか」

 言いながら、レイリスの塔へと繋がる扉を、が開ける。軽い力では開かなかったので、改めて力をいれて扉を押すと、重い扉はじりじりと開いて、二人は中に入る。

「瑠璃くんはちゃんには怒らないよ。だって、瑠璃くんね、ちゃんの話をするとき、とっても嬉しそうだったわ」
「本当に? 瑠璃くんって、なんか険しい顔のイメージしかないから……想像できないな」

 は必死に、嬉しそうな瑠璃の姿を想像するが、どうしても無理だった。どちらかというと、無表情で、つまらなそうな顔しか想像できない。自分が知る瑠璃と言う男はそういう男だった。

ちゃんの話をするときだけよ。放っておけないんだって言ってたの。あのね、私ちゃんには悪いんだけどね、ちょっとよ? ちょっとだけちゃんにやきもちやいちゃった。だって、私じゃ瑠璃くんをあんなふうに嬉しそうな顔にさせられないんだもの。それどころか迷惑ばっかかけちゃって……いつか愛想つかれちゃうんじゃないかな」

 しょんぼりとうなだれた真珠。は彼女の言葉に驚きを隠せない。こんなにも瑠璃から大切にされているように思えるのに、真珠には伝わっていない。それに、瑠璃が自分の話をするときに嬉しそうな顔をするなんて信じられない。それに自分を語るときに嬉しそうなら、自分といるときも嬉しそうな顔をしてほしいものである。
 薄暗い、まるで頼りない月明かりのような光が窓から差し込んでかろうじで“明るい”と言った感じのレイリスの塔のエントランスを抜けて、階段を登り始める。幸い、魔物の姿は見えない。

「大丈夫よ。真珠ちゃんの事、瑠璃くんは大好きだし、大切に思ってるよ」

 そんな真珠の心配を吹き飛ばせるように、は言った。こんなにも瑠璃から大切に思われているのに、やはり当人からするとわからないものなのだろう。きっと今だって、血眼になって真珠を探しているはずだ。

「本当に? それならよかった。私、瑠璃くんしか頼れないから……」
「……そっかぁ」

 真珠と瑠璃はずっと二人で旅をしている。お互いがお互いを必要としているはずだ。真珠が瑠璃を思っているように、瑠璃だって真珠のことを思っている。

「私ね、瑠璃くんに拾われたの。記憶がなくて……気づいたら森の中にいて、そこを瑠璃くんが拾ってくれて」

 意外な過去を聞き、思わず相槌を打つことも忘れてしまった。まるでホイップクリームのようにほわほわとしている真珠が、まさか記憶喪失だったとは、誰が予測しただろうか。

「レイリスの塔の運命の部屋では……自分の過去と向き合うことが出来るの」

 なんとなくだが、真珠がこのレイリスの塔で何をしたいのかが分かった気がした。真珠はきっと、レイリスの塔で運命の部屋で自分の過去を知ろうとしているのだろう。しかも、レイリスの塔が呼んでいる……となると、もしかしたら真珠の過去は、真珠にとって“今、知る必要がある”ことなのだろうか。そして自分もレイリスの塔に夢で呼ばれた…。つまりこれは、自分自身も過去を振り返る事が“今、必要なこと”なのだろうか。

(……過去)

 ぽつりと呟き、今まで自分が歩んできた軌跡を脳で辿ってみる。家族がいて、友達がいて、泣いたり、笑ったり、喧嘩したり、ウェンデルの秘宝に働き始めてアレックスと出会い、恋をして――
 至って普通の人生を送ってきたつもりだ。記憶を喪失した……なんていうこともない。その自分がなぜレイリスの塔に呼ばれているのか。その真意は何もわからない。