既視感笑顔の謎



「こんにちは」

 次の日、宝石店「ウェンデルの秘宝」に何事もなかったかのようにやってきた。アレックスはカウンターの奥で立ちながら宝石を磨いていて、に気づくとやんわりと微笑んで、頭を下げた。

「こんにちは」

 やはりアレックスの――好きな人の笑顔を見ると、気持ちが和らいだ。アレックスがルーベンスの事を知ったら、やはり自分と同じように驚き、悲しみ、憎しみを抱くのだろうか? そんなことを考えていると、アレックスが首を傾げて名前を呼んでいた。

「ぼうっとして、考え事ですか?」
「あ……はい。そんな感じです。でも、大丈夫です」

 笑顔で曖昧に濁すと、アレックスは微笑みをそのままに「そうですか」とだけ言い、深く追求しなかった。そのことにホッとしつつ、はアレックスに指示を仰ぐ。

「それより、今日は何すれば良いですか?」
「今日は特にやる事もないんですよね。とりあえず宝石を磨きながら話でもしましょうか」
「わかりました」

 大好きな人との、穏やかな時間。その時間がなんだかとてつもなく久しぶりに感じた。はアレックスの隣に立つと、まだ磨いていない宝石を磨き始めた。アレックスは手を止めて、かけているメガネをくい、とあげた。

「そういえば、ガドの宝石はどうでしたか?」

 言われて思い出した。はアレックスからのおつかいでガドに行ったのだった。と同時にフラッシュバックするガドでの出来事。は一瞬表情が強張りつつも、すぐに首を横に振った。

「……えと、全然だめでした。全部ただの石ころでした。ルク、返します」

 おつかいの報告をして、アレックスからもらったルクを返した。本当にあそこの宝石はだめだめだったな。と思い出し、改めて腹が立つ。

「よく平気な顔して売れますよ」
「素人目には輝いて見えますからね。それに最近はいい石が少ないですからね。困りものです」

 アレックスがため息をついたとき、宝石店の扉が勢いよく開く。二人が視線をそこへ向けると、緑色の髪の女の子が、息を切らしながら扉を閉めていた。

「はぁ……ふぅ……うまくいった」
「あ、あのう……お客様、ですか?」

 がおずおずと声をかけると、緑色の髪の女の子はビクッと肩を揺らしてこちらを見た。

「あっ、ご、ごめんね! 違うの。その、追われてて……」

 女の子は申し訳なさそうに眉を下げて、気まずそうに視線を泳がせた。とアレックスは顔を合わせて疑問符を頭に浮かべる。その様子を見て、女の子はぶんぶんと手を振る。

「アヤシイ者じゃないの! ほんとよ! ただちょっと、捜したいものがあって学園を抜け出しただけで……」
「捜したいもの?」

 は益々疑問を深める。

「うん。……あ!」

 そのとき、突如何もない空間に突然円盤が現れた。女の子がこの世の終わりのような顔をする。

「このクズ石が!!!」
「ヌヌザック先生……! やば!」

 ヌヌザック先生と言われた突然現れた円盤は、やアレックスのことなんて気にも止めず、女の子の近くに寄ると、次の瞬間には女の子もヌヌザックも消えた。
 まるで嵐のような出来事に二人はしばらく何も言わないで呆然としていたが、やがてアレックスがポツリと呟いた。

「珠魅のお嬢さんがこの都市にいたとは……」
「え、あの子珠魅なのですか?」
「あ、え、ええ……。一瞬ですが胸元に緑色の核を見ました」

 少し焦ったように言うアレックスを不思議に思いつつも、へぇ。と感心したようにひとしきり頷いた。最近、よく珠魅と会うのはなにかの縁なのだろうか。

「目、いいんですね」
「メガネかけてますけどね」

 アレックスは微笑みながらクイッとメガネを持ち上げる。

「ああ、そうでしたね。メガネとったらどんな感じですか?」
「そんな変わりませんよ。そこまで目が悪いわけでもありませんからね。ただ宝石を見るときは細部まで見たいので、どうしてもメガネをかけなくてはなりません」
「なるほど。見てみたいです。アレックスさんのノーメガネ姿!!」

 アレックスと話すことによって、ルーベンスの事を、一時とは言え忘れることができたは、まるで夢見る少女のように手を組んで目を輝かせてアレックスを見る。すると、アレックスは困ったように笑って頬をかき、「んー」と唸るが、やがて観念したように、細くしなやかな指でメガネをとった。
 メガネをとったアレックスの顔は、いつもよりも、より端整に見えた。メガネをつけた彼も、つけてない彼も、にとってはどちらも魅力的で、しばらく見慣れないアレックスのノーメガネの顔に見惚れる。

さん? あの、そんな見られると恥ずかしいです」

 照れたように顔を赤くして目をそらしつつ呟くアレックスに、とてつもなく愛らしさを感じる。はでれっとだらしない顔で微笑んで、アレックスの顔をじっくりと堪能する。

「かっこいいです。とっても」

 素直な感想を述べると、アレックスの顔はますます赤くなり、「からかわないでください」と呟いてメガネをかけた。 は惜しそうに「あっ!」と声を上げ、じとっと睨む。まだかけないでほしかった。と目で訴えているようだった。

「メガネかけてる私じゃいけませんか?」
「そんなことないです! メガネかけてるアレックスさんもほんと魅力的で……! て、わ、わたし何言ってるの!」

 アレックスに気をとられて、すらすらと出てきた本心に驚き、顔を赤くする。ちらりとアレックスを見れば、彼はきょとんと目を丸くしていた。

「ほんとですか?」
「え、いや、その、ねえ」
「ねえ、じゃわかりません」
「……ひ、秘密です!」

 いつもどおりの余裕が戻ってきたアレックスは、必死になって叫ぶを見て、ふふっと穏やかに笑った。やはりアレックスには敵わない、とは思った。

「ああそうだ」

 再びメガネをはずしたアレックスは、それを、顔を赤くして挙動不審になっているにかけた。度の入ったメガネは、視界を少しばかり歪める。だが、アレックスの顔はぼやけていたってかっこいい。ぼやけたアレックスが、口角を上げて言う。

「メガネ、似合いますよ」
「そ、そうですか? でもなんか変な感じです」
「そりゃあそうでしょう。でも、本当に似合います。可愛いです」

 ドキッ、と心臓が縮こまった。可愛い、とアレックスは確かに言った。好きな人に可愛いと言われて、喜ばない人がどこにいるのだろう。いや、いるわけがない。 ドキドキと心音が煩くて、今にもアレックスに聞こえてしまいそうだ。目の前のアレックスが、相変わらずの穏やかな笑顔でを見ている。

「あ、あの、そんな、見ないでください」
「いいじゃないですか。さっきさんだって私の事を見てましたし」

 それを言われてしまうと、何の反論もできない。

「……でも、恥ずかしいです」
「では恥ずかしがってください」

 そう言って笑みを深めたアレックスの、綺麗で妖艶な笑顔に、既視感を覚える。は慌ててメガネを取って、裸眼でアレックスを見る。やはりこの笑顔には見覚えがある。
 刹那、フラッシュバックするガドのテラスでのルーベンスの一件。思わずは表情を暗くする。アレックスが異変に気づき、さん? と心配そうに名前を呼ぶ。

「あ、いえ、大丈夫です」
「あなたの大丈夫はアテになりません」

 困ったような笑顔で眉を下げたアレックスが、の頭をポンポンと撫でた。は眉をハの字にしながらも、アレックスにメガネを返す。

「そんなことありません。ちゃんと大丈夫ですよ」

 アレックスは鋭い。確かに、大丈夫ではない。だけどアレックスに心配をかけるわけにはいかないので、は笑顔を作って言う。アレックスは幾分表情を暗くして言う。

「……さんは」
「はい?」
さんは、幸せになれるんです」
「……え?」
「自ら不幸に飛び込んでは駄目ですよ」
「? はい」

 不幸に飛び込む人なんて、いないと思うけどな。なんて思いつつも、頷く。アレックスは満足そうに頷いて、メガネを掛け直した。