髪が長くて、白いドレスを着ている少女がこちらに背を向けて尻餅をついている。瑠璃が「真珠!!」と叫び少女に駆け寄っていく。どうやら、瑠璃の探し人だったようだ。も駆け寄り、彼女の無事な様子を見て安堵のため息をつく。

「真珠、さっきの悲鳴は?」
「あ、あの、目の前を変な虫が通ったから……」

 真珠と呼ばれた少女は、おずおずと瑠璃の問いに答えた。

「なんだ……。それならいいんだ。真珠の身に何かあったら俺は……」
「よかったね」

 が微笑みかけると、瑠璃が振り返り、心底安心したように「ああ」と頷いた。その瞬間、先ほどの女性の顔が脳裏を横切った。

(さっきの女性は?)

 弾かれたように後ろを振り向くが、先ほど見た女性は既に消えていた。

「どうかしたか?」

 瑠璃に聞かれたが、は首を横にふり、「なんでもない」と言った。彼は真珠の安否に気をとられ、先ほどの女性についてあまり気にかけていないようだった。無事に目的を達成できたため、三人はメキブの洞窟から外に出る。魔物の巣窟と聞いていたが、結局運が良かったのか、魔物とは遭遇しなかった。
 外の清々しい風を大きく吸い込み、そして吐いた。は瑠璃と真珠に向き合う。

「それじゃあ、わたしはこのへんで」

 またね、と手を振り、来た道を戻ろうとすると、「待ってください!」と後ろから綺麗な声が聞こえた。振り返ると、迷子のプリンセスが顔を真っ赤にして、目を泳がせながら、「えと、あの……」と口ごもっていた。
 瑠璃が耳打ちをすると、「ありがとう」と小さく呟き、今度はをしっかり見つめた。

「あの、あ、ありがとう……ちゃん」

 どうやら瑠璃に名前を聞いたらしい真珠は、丁寧にも名前で呼んでお礼を述べた。は少し照れて首に手をやりつつも、「いえいえ」と笑った。

「ありがとな」

 今度は瑠璃が、照れくさそうに言った。 は笑みを深いものにする。

「もうプリンセスを迷子にしちゃだめだよ?」
「……たぶん、な」
「ふふっ、頼りないなぁ。次またどこかで会ったらよろしくね。それじゃあ」
「ああ。また」

 踵を返し、もと来た道を引き返す。確信はないが、なんとなくまたどこかで会えそうな気がする。そんなことを思いながら、は家へと歩いていった。




近いのに遠い人




さん」

 今日も宝石店「ウェンデルの秘宝」で、ひたすら宝石磨きをしていたに、アレックスから声がかかる。はい、と振り返ると、そこには笑顔のアレックスが立っていた。やっぱり彼の笑顔はどんな宝石よりも美しくて尊い。きゅんと胸が高鳴った。

「なんですか?」
「実は、ガドにおつかいに行ってきて欲しいんですが……」

 いいですか? と小首を傾げて尋ねるアレックスに、は言葉より先に首を激しく上下して何度も頷いた。その様子にくすくすとアレックスは笑った。はなんだか恥ずかしくなり、俯いた。その様子にアレックスは首を傾げる。

「おや、どうしました?」
「いま、笑いましたよね」
「いえいえ。そんなことありませんよ」
「……優しい嘘ですか」
「ふふっ、そんな卑屈にならないで。何も私はさんがおかしくて笑ったわけじゃありません。ただ、あなたがとても可愛らしくて。なんていうんでしょう、言うならば幸せな感情が込み上げてきまして。つい、笑みがこぼれてしまいました」

 珍しく饒舌なアレックスが、少し頬を赤らめて言った。はもう放心状態寸前で、ただせわしく動く心臓が、これは現実なのだと示しているようだった。 アレックスに言われた言葉をどう受け取ればいいのか、回転が鈍くなった脳では判断できない。

「あ、あ、の……」

 やっと喉から絞り出した声はあまりに頼りなく、か細い。アレックスは小さく笑うと、の頬に手を添えた。顔が近くて、ますますの顔が赤くなる。今にも、『ごめんねカール』のティーポのように湯気が出てきそうなくらいだ。

「顔、真っ赤です」
「だ、誰のせいですか」
「私のせい、ですかね」

 頬の添えられていた手はゆっくりと離れて、その手での頭をポンポンと撫でた。大きなてのひらが妙に安心感を与え、身体に甘い痺れが奔った。アレックスに触れられている。その事実がますます心臓の動きを速くさせる。

さんは、素敵な女性です」

 今なら死んでもいい。そう思った。端整な顔に浮かべられた笑みはやけに妖艶で、それでなくても色っぽいのに、いつの以上に色っぽく感じる。 寿命何年分縮まったのだろう。と思うくらい早鐘を打つ心臓。今は夢か現実かの区別すら危うくなってくる。なんて返せばいいか迷っている間に、アレックスは次の言葉を発する。

さんは、サンドラの犯行をどう考えてますか?」

 突然出てきた宝石泥棒の話題に、一瞬キョトンとしたが、ああ。と相槌を打ち脳をフル回転させる。
 サンドラというのは最近世間を騒がせている女泥棒のことだ。少し前までは宝石だけを盗んでいて、また麗しい容姿から(はサンドラの顔を拝見したことはないから本当かどうかわからないが )、ファンが多かったが、今は珠魅の核を狩っているため非情の怪盗だとささやかれている。

「サンドラ、ですか。許せないですよ。珠魅殺しなんて……ひどすぎると思いますね」
「そうですね。サンドラの凶行は許されることではありません」
「アレックスさん?」

 アレックスがあまりに悲しげな顔をするものだから、思わず名前を呼ぶと、アレックスは取り繕ったような笑顔を浮かべる。に心配をかけないように気を使っているのが分かった。

「ああ。なんでもありません」
「うそ、です……」
「気にしないでください。……それより、おつかいのリストなんですけど、これです。よろしくお願いします」

 これでこの話おしまい、と言わんばかりに一方的にメモとルクを渡し、アレックスは奥の部屋へと行ってしまった。残されたはメモを暫くぼんやりと見つめ、やがて勢いよくかぶりを振り、「おつかい行かなきゃ!」と渡されたメモとルクをカバンに入れ。宝石店を後にした。
 彼は時々とても思いつめたような顔をする。まるで遠くへ思いを馳せるように目を細めて、自嘲気味に笑む。そのときのアレックスは、近くにいるのに遠くにいるように感じる。
 の知らない彼がいる。さっきの彼もきっと、自分の知らない彼。間近で垣間見ることができて、悲しいような、嬉しいような、泣きたいような気にもなった。