あれから、あの一件からしばらくたった。は今までと変わらない日々を送っていた。天気のいい日にはドミナにお出かけ、雨の日には家で読書。変わったといえば、ちょくちょく瑠璃や真珠が遊びに来ること。それから、カレンダーから宝石のマークが消えてしまったこと。


 あの日から何度も何度も頭の中で繰り返されるあの日のこと。

さんが好きでした」と言って微笑んだ愛しい彼。
徐々に身体にかかっていた命の重さが消えていく感覚。
最後に伝えきれなかった自分の想い。

 日々がやってきては過ぎ、やってきては過ぎ、同じような日々を繰り返しているようだった。



「あ、瑠璃くん! いらっしゃい」

 最近、瑠璃はよくの家を訪ねるようになった。なぜと聞かれたら、その行為の裏側には確かに個人的な好意が潜んでいた。瑠璃はのことが好きだ。どうしようもなく好きだ。だから、彼女を支えたくて、彼女のそばにいたくて。けれども彼女は―――

「よお。なにしてたんだ?」
「ん、なんもだよ」

 彼女の瞳は赤く充血していて、、うっすらと涙の跡があった。また ヤツ を想って泣いていたのだろう。がヤツのことを忘れられずに泣いているのはよくあることだった。もちろん彼女はそのことについて一言も言わないし、瑠璃も尋ねたりはしないが、瑠璃が訪ねるたびに彼女の瞳は赤いし、目も腫れているように見える。涙を流しても石にならないのは珠魅のためではなく一人の男を想ってだからだろう。

 瑠璃は、アレクサンドルが恨めしくて仕方なかった。

 珠魅を壊滅の一歩手前まで押しやり、挙句をこんなにも苦しめて、許せなかった。自分ならば、をこんなに悲しませたり苦しませたりしないのに。

「邪魔していいか?」

 自分ならば、を必ず幸せにすることができるのに。

「うん、どうぞ」

 が俺のことを好きならばいいのに。

―――?」
「ん?」

 おくへと誘われているとき、不意に名前を呼ぶと彼女はゆるりと振り返った。

「あのさ、俺……」
「うん?」
「……なんでもない。なあ、ちょっと、外へ出てみないか?」
「外、かあ。うん、いこっか」

 が頷いたのを確認し、瑠璃はふわっと微笑んだ。

「よし、そうと決まったらいくぜ」

 の手をとって速足に家を出た。


 一緒にやってきたのはドミナの町。この町に誰かとやってきたのはいつぶりだろうか。とは考えたが、記憶にも残っていないほど遠い。

「俺たちが出会ったのもこの場所だったな」
「真珠ちゃんが迷子になって、瑠璃くんが探してるときに声をかけてくれたんだよね」

 あれはどれくらい前の出来事なんだろう。最近いろいろなことがあったから、随分と昔のことに感じるけれど、きっとそんな前ではないはず。

「懐かしいなあ」

 あの出会いがすべての始まり。あの出会いがなければ、今頃アレクサンドルにかけられた術で彼の存在や思い出をすべて忘れただろうし、こんな辛い思いをしなくて済んだかもしれない。
 恨むわけでもなく、しかし嬉しがるわけでもなく、は不思議な気持ちだった。

「あのとき俺は、不思議な女だと思った」
「ええ、わたしを?」
「ああ。珠魅とかかわれば不幸になる、その言い伝えを知っているのに、俺を助けようとしたからな」
「だって、瑠璃くんが困ってるんだもん。放っておけないよ。あの場限りかと思ってた瑠璃くんと、まさかこんな仲になるなんてなあ」

 また会えたらいいな、そのぐらいの気持ちで瑠璃と真珠を見送って、今度はガドで会った。偶然に偶然が重なった瑠璃との繋がり。

「……俺も」

 ―――こんなにお前のこと好きになると思わなかった。
 珠魅にそんな感情を抱くことがあるなんて、それすら驚きだが。瑠璃がふっと口角をあげた。


「なんかすごい気分転換になったよ。ありがとう瑠璃くん」
「いや……礼には及ばない。お前の笑顔が見たかっただけだ」

 はきょとんと目を丸くした。次の瞬間には楽しそうに目を細めて少し笑った。

「何言ってるの瑠璃くん、くっさーいこといっちゃって」
「はあっ!? そ、そんなつもりじゃ……!」
「あはははは!」

 だんだんと面白くなったがとうとう声を上げて笑い出す。瑠璃もだんだんとどうでもよくなって、目の前で楽しそうに笑うの笑顔に、小さく笑みをこぼした。

「ひー……。ありがとうね、瑠璃くん」

 笑いすぎて出てきた目じりの涙をぬぐって、は礼を述べた。

「お安い御用さ」
「よーし! 今日は飲もう!」
「え?」
「そんな気分。ねっ、いこうよ」
「ん、付き合うぜ」

 ドミナの酒場に行くのは二回目。いずれもと一緒。最初に来たときは真珠の行方を探るためだった。カウンターに座り、適当にお酒を頼んで、お酒が来ると小さく乾杯をしてお酒を飲んだ。
 お酒を飲みながら他愛のない会話を繰り返し、二人は笑いあった。

「今日は飲もう! とことん飲もう!」
「それもいいが、ほどほどにしておけよ」

 しばらく飲んでいると、だんだんと血色のよくなっているが、急に自嘲気味な笑みに変わった。

「……ねえ、瑠璃くん、わたし、何してるんだろうね」
「どうしたんだ」
「会いに来ないってことは、つまり、そういうことだもんね。でもわたし、どうしても、あきらめ、つかな……」

 の瞳からほろほろと大粒の涙がこぼれ出た。

「どうすればいいの、わたしっ! この気持ちっ、この、想い……っ!」
「俺がいる」

 カウンターに置いてあるの手を瑠璃がとった。

「俺はどこにも行かない。のそばにいる」
「だめだよ、わ、たし、アレクさんのこと……!」
「それでもいい、それでもいいんだ。あいつのことを忘れられないのならそれでもいいんだ。俺がずっと一緒にいるから。それごと抱きしめるから」

 落ち着いてきたの涙は自然と止まって、代わりに沈黙が生まれた。




零れ落ちる