「大変です! ビアンカさまが!!」

 ビアンカが産気づいていて、現在寝室で緊急に出産の準備にかかっている、との知らせに王座はざわついた。

「どうすればいいんだ! え!? 大臣! 俺はどうすればいいんだ!?」

 こんな事態は王の座についてから、どころか、人生で初めてである。は盛大に焦っていた。王座に座ったり、立ったりを何度も繰り返しながら、大臣に指示を乞う。

「落ち着いてください王。王は、いつも通りでいいのです。」

 大臣がを落ち着かせるように両手を上下させて言った。

「おお! そうか、確かに。俺が出産するわけでもなければ、俺の妻でもないもんな。そうだよな。うん。」

 と、納得したように装いつつも、顔は落ち着きがないままだ。

「ええと、じゃあ……。よし、みんな、問題はない、通常通りだ。いつも通りの業務を行うんだ!」

 そう言い放ち、王座から立ち上がりすたすたと足早に王座の後ろにある階段へ向かう。勿論、チロルも後を追う。

「どこへ行くのですか、王。」
「決まってるだろ! ちょっと、トイレだ!」

 大臣の質問に叫ぶように答え、追及を逃れるようにせっせと階段を上った。向かった先はトイレ、ではなくとビアンカの寝室だ。通路には落ち着きなく行ったり来たりを繰り返すがいた。

! どう?」
「まだ産まれない……、俺はどうすればいいと思う?」
「わからない! 俺もこんなこと初めてだからどうすればいいのか、とりあえず中に―――」
「だめです。」

 夫妻の寝室に入ろうとしたとき、扉の前で立っていた侍女にきっぱり断られた。いつもは従順で柔和な侍女も、今日ばかりは険しい顔で、は怯んだ。

「……はい。」

 おとなしく引き下がった。

「俺だって追い出されたんだから、当然っちゃ当然だね。」
「……冷静に考えればな。」
「がうう。」

 チロルがまるで慰めるようにの手の甲をなめた。その、ざらっとした感触で、自分の言った言葉を思い出す。

「あ、俺トイレ行くっていってあるんだ。そろそろ戻らないとばれちゃうな、じゃあな、また様子を見に来るよ! なんかほしいものがあればすぐ言ってくれよ! 帰るぞチロル。」

 風のようのもとを去った。なんとフットワークの軽く、嘘が子供じみた王なのだろう、とは感心の念すらを抱いた。
 は何事もなかったかのように王座に戻り、こほん、と一つ咳払いをすると、

「大臣、ラインハットへの使者はいつ帰ってくる?」

 急に王の顔になり、大臣に尋ねる。

「え、ああ、来週の予定です。」

 大臣もそのギャップに驚きつつも、答えた。
 からラインハットのことを聞き、グランバニアから使者を送り、定期的な交流を提案したのだった。ラインハットはヘンリーが失踪し、先代が亡くなってからはデールが王政を執り行っていたが、その実は、彼の母の太后がすべてを操っていて、デールは傀儡であると同様であった。
 そして、ある時ラインハットは、同じ領内になるサンタローズの村を焼き滅ぼした。どのような理由があったかはよくわからないが、グランバニア王となったにとってそれは非常に納得がしがたい出来事であった。
 なぜ自国の領土を滅ぼしたのかわからないし、自分が幼少時、短い時間ではあるが、身を寄せた場所だ。そんな思い出のある場所を滅茶苦茶にされて、穏やかでいられるわけがなかった。すぐにラインハットとの国交は絶えた。
 けれどもとパパス、そしてヘンリーが帰還し、それまで政治を執り行っていた太后が実は魔物が化けた偽物であったことが発覚し、その正体を暴き、本物の太后を救い出し、ヘンリーもラインハットに残りデールとともにラインハットを良い国にしていっている、と聞いた。そこではラインハットとの国交を持とうと、使者を先日送ったのだった。

「うん、わかった。」

 は頷いた。
 しかしその日のはそわそわと逸る気持ちが抑えきれず、何度も”トイレ”にいっていた。大臣に何度か落ち着くように言われたのだが、「落ち着いている!」とキレ気味に反論されるので、大臣もそのうち何も言わなくなった。
 どれくらいの時間が経ったのだろうか。にとっても、にとっても途方もない長い時間を経て、ついにビアンカが子を産んだ。女の子と男の子の双子であった。その報せがの耳に届いた瞬間、

「悪いけど、トイレ長くなる!」

 と、もはや変な嘘をつかなくてもいいのに、と誰もが思っているのに、律儀に嘘を大声で叫んでものすごい速さで階段を駆け上がり、そのままの勢いで夫妻の寝室の扉の前へやってきて、立ち止まった。

(……さすがに邪魔しちゃいけないよな。)

 冷静になり、扉の横にずれて、壁に背を預けて座り込んだ。それに倣ってチロルもの横に腰を下ろした。




Matter




「母子ともに健康でよか―――王!?」

 寝室から出てきた侍女が、すぐそばで膝小僧を抱えて座り込んでいるグランバニアの王の姿を発見し、素っ頓狂な声を上げた。

「母子ともに健康なのか? それはよかった!」
「ええ。王もお入りになられたらどうですか?」
「え! いいのか? じゃあ遠慮なく!」

 目を輝かせて立ち上がり、侍女と入れ替わりで寝室に入り込んだ。寝室では、双子の赤ん坊に挟まれたビアンカがベッドに横たわっていて、そのビアンカの頭を、慈しむようにがなでていた。見てはいけない光景を見てしまったようだ。
 ふたりはの存在に気付くと、はぱっと手を離して、「。」と名を呼んだ。は意味深な笑みを浮かべつつ、の反対側のベッドのそばに立った。

「よう、双子らしいね。お疲れ様、ビアンカ。それに。」
「ありがとう、。」
「俺はなんもしてないけどね。オロオロしてただけだ。」
「違いない。けれど気苦労は誰よりもしただろうよ。なあ、名前はつけたの?」
「ああ。男の子は、ロイ。女の子は、レイだ。」
「へえ、ロイにレイね。うん、いい名前だ。よし、今日は宴だ! 国をあげて宴だぞ!! グランバニアに新しい風だ!」

 今日は、兄夫婦の大切な大切な子供が生まれた、めでたい日だ。もしかしたら将来はこのグランバニアを引っ張っていく存在になるかもしれない、の甥っ子と姪っ子。

「て、いうか、親父はどこでなにしてるんだ?」

 と、が言った瞬間、扉が勢いよくあいて、うわさしていた人物、パパスが息も切れ切れにやってきた。

、こども、生まれ、た、らしい、な!!」
「親父、遅いぜ。」

 その日の夜は盛大な宴が行われた。久々の、王家のおめでたい出来事に、グランバニアは活気づいた。あるものは歌い、あるものは踊り、それぞれがビアンカの出産を喜んだ。

(俺が生まれたときも、グランバニアではこんな騒ぎだったのかな……。)

 勿論、記憶には全くないが、きっとされていたのだろう。自分が帰ってきたときも、このように盛大な宴が開かれたのを覚えている。当時のはその宴が少し怖くて、何も嬉しくなったのを覚えている。
 当然といえば当然だろう。父も兄も消えて、お供のサンチョと二人で、事情もよくわからないまま遠い道のりを乗り越えてグランバニアへやってきて、子供のには到底理解できないようなことをいろんな人から言われて、その日に宴を開かれたのだ。知らない人間にニコニコと、おかえり、と言われ、父や兄が死んだというのに、なぜこんなに人々は喜んでいるのだ? と、反感すら感じていたのを思い出す。
 今ならわかる、国民は父や兄が帰ってこれなかったことは勿論悲しかった。けれどだけでも無事に帰ってきてこれたことに喜んでくれたのだ。なんていとしい国なのだろう。

「どうなさったのですか、王」
「……ああ、大臣」

 城下町のはずれで一人で様子を眺めていたのもとに、大臣がやってきた。片手にはワイングラスを持っている。大臣も楽しんでいるようだった。

「ちょっと、昔のことを思い出していた。」
「さようですか、王、今日くらいは王政のことを忘れて、どうぞ。」

 いつもは真面目で煩い大臣が、持っていたワイングラスを強引に渡して去って行った。はどうしようか考えた末、ワインを飲むのをやめた。今はあまり酒を飲む気分ではなかった。

「これ、あげる。」
「いいのですか王! ありがたくいただきます!」

 近くにいた町人に渡し、ふらっと階段を上がり、城の屋上にやってきてベンチに腰かけた。先ほどまでの喧騒は遠のき、静かな夜の風がの頬を撫でた。

(……良い風だ。)

 ぼうっと、風に緑がそよぐさまを見ていた。
 そこで気付いた。自分が生まれたときには宴なんか開かれてなかったかもしれない、と。なぜならが生まれてすぐに母は魔物によって連れ去られてしまったからだ。
 
(大丈夫、だよな?)

 なんとなく心配になったは、さすがにビアンカの寝室にずかずかと入るのも気が引けたので、城下町に戻り、城下町の様子をうかがう。先ほどまでと打って変わって、城下町は静まり返っていた。まるで町自体が眠りについてしまったようだった。
 悪い予感がする。階段を降りてすぐ、近くで眠っているを見つけた。強く揺すりを起こすと、彼は寝ぼけ眼で、どうしたんだ? とに問う。

「なんだか悪い予感がするんだ。ビアンカの安全を確かめに行こう……!」

 の顔が一瞬で強張る。急いで寝室へ向かう。階段を駆け上がり、王座を抜けて、寝室の扉を開ける。そこには誰もいなかった。ビアンカだけでなく、赤ん坊二人、そして侍女たちも。

「どうなってるんだ……!」
様!?」

 の言葉に反応するように、遠くのほうからくぐもった声が聞こえてきた。やがてベッドの下から、双子を両手で抱えた侍女が出てきた。

「申し訳ございません……! 魔物に、ビアンカさまがさらわれてしまいました! 私はふたりの赤ちゃんを抱いて身を隠すのが精いっぱいで……ビアンカさままでは……申し訳ございません……!」

 おびえながらも、しかししっかりと起こったことを伝えようとしている侍女を責める気なんてなれない。彼女は一生懸命、双子を守り抜いたんだ。目の前でビアンカをさらわれてしまった侍女だって、つらいだろう。

「……いいんだ、仕方ない。怖かっただろう、赤ん坊だけでも守ってくれてありがとう。」

 が力なく笑った。

「坊ちゃん!」
!」

 ほどなくしてサンチョとパパスもやってきた。

「妙に静まり返っていたのでもしやと思って駆けつけたのですが……まさか、ビアンカさまが?」
「ああ、遅かったみたいだ。」

 は苦々しく言い放った。

「くそう、魔物め!! またしても……許せん!」

 パパスが悔しそうにこぶしを握った。またしても魔物にみすみすさらわれてしまったことが悔しいのだろう。しかし、それはとて同じであった。自分が生まれたとき、母はさらわれてしまったのだ。多少危惧して警備を厳重にさせることくらいは、してもよかったはずだ。
 自責の念が、を責める。

「ほうら、坊ちゃんたち! いつまでもくよくよしていたって仕方ありません! 城中のものを起こすんです! そしてなんとしてでもビアンカさまを助け出しましょう……!」

 サンチョがに、に、そしてパパスを鼓舞するように言った。
 そうだった。ここでいつまでも自分を責めても仕方ない。まだ、可能性はある。

「よし、全員起こそう! そして、緊急会議を行う!!」