どうしてこんなことになってしまったのだろう。こんな問いを延々と繰り返しては、結局何の答えに行き着くこともなく、ため息で終わる。寝る、なんて言って立ち去ってきたが、眠れるような気配はなかった。部屋に備わっている丸い窓から見える水面を眺めながら、ふう、と息をついた。

(どう考えたってルドマンも、フローラも怪しむだろうな。結婚の条件である指輪をほかの女と探してたんだぜ)

 もちろん向こうの出方次第ではあるが、最悪破談になったって可笑しくはない。運命とは面白いものだ。昔ともに冒険した幼馴染と数年後まったく別の地で再会。しかもの結婚の条件である指輪を探す道の途中で。こいつは本が出せそうだな、とは小さく笑った。

(ああ、黒薔薇、今頃どうしてるのかね)

 サラボナに帰って、ルドマン邸で彼女とあったら詫びておこう。一応、義理の姉になりうる人物である。




薔薇の髪飾りを




 水門を超え、サラボナへ無事にたどり着く。このサラボナで一番高い建物こと、ルドマン邸へまっすぐ向かう。三人の心中は穏やかではなかった。各々緊張の面持ちでルドマン邸の荘厳な門の前にやってきた。

「じゃあ、ビアンカはここで待ってて」
「あ、ええ、わかったわ。ここで待ってる」

 門をくぐり、はアプローチを歩く。途中リリアンがたちに気づいて歓喜に舞い上がっていた。そんな様子を流し見ながら、ついに扉の前までたどり着いた。

「兄貴、どーするんだ。とうとうきちまったぜ」
「どうもこうも。もう覚悟するしかないな」

 溜息をつき、扉に手をかけて重い扉を開けた。中ではメイドが丁度掃除をしていて、たちに気づくと手を止めて、一礼をした。

様、そして様。おかえりなさいませ」
「指輪、とってきたよメイドちゃん。ルドマン公はいらっしゃるかい?」

 雑巾を持っていたメイドの手をそっと握って、は囁いた。

「こら、

 が一喝した。
 メイドに客間に案内され椅子に腰かけ待っていると、程なくしてルドマンとフローラがやってきた。

「おお、君、君。ご苦労様」
さん、そしてさん。こんにちは」
「ルドマン公。そしてフローラさん。お忙し中すみません」

 椅子から立ち会がり、頭を下げる。

「水の指輪の行方はつかめたのかね?」
「はい。指輪を見つけてまいりました」

 洞窟で見つけた水の指輪をテーブルの上に置くと、ルドマンが驚きの声を上げる。

「なんと! もう見つけたというのか! お主ら兄弟は本当に……よくやった!」
「この指輪、実は私どもだけの力ではないのです。協力してくれた者がいまして、呼んでもよろしいでしょうか」
「もちろんだ。わしからもぜひ礼を言いたい。連れてまいれ」

 この言葉を受けて、が外で待っているビアンカのもとへ向かった。不安そうな顔で待っているビアンカに声をかける。

「ねえ、私……」
「呼んでる。行こうぜ」

 何かを言いかけたビアンカを遮り、はビアンカを連れた。ルドマンもフローラも、現れたビアンカの姿を見て、顔に驚きを表す。それは無理もないだろう。男ならまだしも、フローラと同じ世代の美しい女性が現れたのだから。

「初めましてルドマン公。私、山奥の村で水門の管理をしているビアンカと申します。実はとは幼馴染でして、このたび指輪を探すにあたり、手伝いをさせていただきまして、このまま結婚のお手伝いをさせていただけたらと思い、伺いました」
「ふむ、ビアンカと申すか。わしからも礼を言うぞ」
「ビアンカさん、ありがとうございます」

 フローラがぎこちない笑顔を作り、一礼した。それに対してビアンカもこれまた気まずそうに一礼をした。

「手伝いの件、大歓迎だ。だがまあそれは置いておき、今宵は指輪が揃ったことを祝して宴を開こう。そこで今後のことを話そうではないか。ビアンカもぜひ一緒に」
「そんな、私は」
「いいや是非。ここで会ったのも何かのご縁。色々な話をしようではないか」

 困惑したような顔のビアンカはの顔を見るが、は一頻り頷いて答えて見せた。

「―――では、ご同席させてください。ありがとうございます」

 ビアンカが頭を下げたところで、客間に新たに人がやってきた。

「あら、何の騒ぎ? ―――!?」

 フローラの姉の、黒薔薇だった。黒薔薇はを見ると、目を見開き、すぐに踵を返して客間を去った。反射的には黒薔薇を追いかけていた。

くん?」

 ルドマンが去っていくの背中を見つめ、訳が分からないといったような表情でぽつりとつぶやいた。

「待てよ黒薔薇」
「煩い、ついてこないで! 人を呼ぶわよ!」

 ルドマン邸を出て駆けていった黒薔薇。彼女の脅しに怯むこともなく容易く彼女との距離を詰めて、走っている黒薔薇の腕をあっという間につかんだ。

「離しなさいよ!」
「いいから聞けって、俺はただ謝ろうと思ってんだ。この間待ち合わせだって言っておいて行けなかったから」
「べ、別に行ってないわよ!」
「じゃあなんで逃げるんだよ」
「逃げてなんて……」

 自分が支離滅裂なことを言っていることに気づいて、黒薔薇は抵抗するのをやめた。しかし体は前を向いたままで決してを見ようとしなかった。

「なあ」
「なによ」

 か細い声の黒薔薇。

「今からデートしない?」
「……いやよ」
「嫌ならいいぜ」

 ぱっと手を放せば、くるっとこちらを向いて何か言いたげな黒薔薇。ニヤリ、は笑みを浮かべる。

「飲みにいこう」
「はあ!? こんな昼間から!?」

 ばっかじゃないの。と黒薔薇から冷めた目でみられる。

「んじゃあ夜ならいいの?」
「……あたし、お酒得意じゃないの」

 急にしおらしくなってどうしたというのだ、黒薔薇は。の胸の中でなんだかくすぐったい気持ちが芽生える。

「もしかして、だからこの間こなかったのか?」

 一番最初の約束。夜に飲もうと約束していたのだが、結局黒薔薇はやってこなかった。

「そうよ。悪いかしら」
「なんだよ、言えよ! すっぽかすことねーじゃん!」
「有無を言わせなかったじゃない!」
「じゃあいいよ、ジュースでも飲んでな。俺が勝手に飲んでるから。さっ、さっ」

 ルドマン邸がどうなってるかなんて、の頭からはすっかり飛んでしまった。黒薔薇の肩を掴んで宿屋の上に位置している酒場へ押していく。

「ちょ、やめなさいよ! なんか機嫌がいいわねアンタ」
「いやだって、可愛いだろ! そんなナリで酒に弱いって!」
「っていうか、黒薔薇って呼んだ? あたしのこと」
「だって名前教えてくれねーからさ。フローラちゃんが白薔薇ならあんたは黒薔薇だろ」

 酒場はまだ準備中であったが、黒薔薇の顔を見ると、すんなりお酒を出してくれた。これがこのあたり一帯を治めている地主の娘の力。は感心した。二人はカウンター席に座ると、乾杯して、は一気にビールを飲み干した。

「うめーーーっ! ひっさびさに飲んだぜ!!」
「ねえ、アンタのお兄さん、ほんとに指輪とってきたのね」
「まあな。俺の兄貴に不可能はないんだぜ」

 よく気の利くマスターで、グラスが空くとすぐに新しいビールを持ってきてくれて、はいいスピードで飲んでいく。

「人は見た目によらないのね。あんな小魚みたいなナリで」
は小魚じゃねーぜ。大事な俺の兄貴だ。黒薔薇、お前、相変わらず可愛くねーな」
「はあ? あんた失敬ね。パパに言いつけてあんたのお兄さんの結婚を破談にしてもいいのよ」
「なんつーひどいことをしてくれるんだ。わかった、謝る謝る」

 お酒も入って上機嫌なが、隣に座っている黒薔薇の肩を抱いて顔を覗き込んで、ごめんね。と囁きかける。

「あんた、酒臭い」

 眉根を寄せた黒薔薇。肩において手を振りほどき、ふん、と鼻を鳴らした。

「まあ、酒を飲んでるからな。なあそれよりさ、この間本当にごめんな。約束をすっぽかしちまった」
「別に」
「まあ、仲良くしてくれよ。これからは義理の弟になるかもしれないんだからさ」
「ああ、そういえばまあまあ美人な女がいたけど、あれはなんだったの?」

 そこでやっとルドマン邸のことを思い出す。あれは間違いなく修羅場であった。表立ってはないし、取り乱すものもいなかったが、確かにあの場の空気は緊迫したものであった。今夜の宴がどうなるか。

「あの人ものことが好きなんだと。それでついてきたわけ。ビアンカは全く、俺には訳が分からないぜ」
「ビアンカって言うのに。ついてきてどうするわけ?」
「結婚の手伝いをしたいんだと。まったく女っていうのはよくわかんねーな。……っと、あんたも女だったな」

 酔いが回ってきたが少し饒舌になる。

「まるで波のようにさ、寄ってきては離れて。不思議だよなあ」
「……あんた、何の話をしてるの?」
「大好きな女の子の話さ。なあ、黒薔薇は結婚しないのか?」
「あ、あたしがするわけないじゃない。しもべがいれば十分だもの」
「ははっ! 俺と同じにおいがするな。俺も一生ひとりで生きてくつもりだ」

 黒薔薇がを見る。

「皆いつかは必ず俺のもとから離れていくからな。兄貴がいれば、それでいい」
「あんた……」

 寂しそうな横顔に、それ以上の追及は憚れた。“単純そうで、誰より複雑”。兄であるの言葉の意味がなんとなく分かった気がする。彼は心の奥底に何かを持っている。でなければさらっとこんなことを言わない。

「でも俺さ、黒薔薇のことは結構気にしてるんだぜ。だって、なんか頭から離れないんだ。興味があるんだと思う」
「あんた生意気ね、このあたしに向かって興味あるなんて」
「でもこんなの初めてなんだ」

 が黒薔薇を見つめる。その瞳が妖艶で、黒薔薇は息をのんだ。この男は変な色気を持っている。

「女の子のことを信じられないのにな」

 ドキリとしたのもつかの間、次の言葉に黒薔薇はひどく落胆した。“興味はあるが信じることはできない”と、暗に言われているようなものだ。そして落胆した、という自分の感情に疑問を抱いた。まるで彼のことを好きみたいだ。そんな訳ないのに。

「あー今頃ルドマン邸はどうなってるんだろうなあ。まあ、どうでもいいか……」

 ふわあああ、と大きなあくびをして、は机に突っ伏した。

「ちょっと、あんた寝るわけ? このあたしと一緒にいるっていうのに?」
「寝ないぜ。ちょっと目をつぶるだけさ」

 顔を伏せたまま屁理屈を述べる。間もなくはすやすやと寝息を立て始めた。

「この子あれだろ、フローラさんの婿候補の弟。指輪探しで疲れてるんだろうね」

 マスターがグラスを拭きながら言った。と、刹那。カランコロンと扉のあく音がした。

「ごめんねお客さん、まだ準備―――おや、噂をすれば婿候補さんじゃないか」

 黒薔薇はその言葉に思わず振り返る。彼の言う通り、フローラの婿候補のの兄、がそこにはいた。