「そういえば、フローラさんのお姉さんに、罪は大きい、って言っておいて、って言われたのを思い出した」

 せっかくだからと言ってこの村の一番の名所、温泉に浸かりに来ていた。湯に浸かって、空を見上げながら何の脈絡もなく、に言った。

「罪は重い……? なんだ、そりゃ」

 暖かい温泉に、対比するように冷たい夜風。旅をしていれば、何日間も風呂に入れないことも稀ではない。運よく町にたどり着いたら入れるが、毎日毎日そうもいかない。風呂に入れるだけでもありがたいのだから、まして温泉などたまらなく気持ちいい。は今、その幸せに浸りきっていた。なのでフローラの姉からのそんな言付けは、はっきり言ってどうでもよかった。

「なんで待ち合わせに来なかったのとかなんとかもいっていたな」
「………あー」

 次のの言葉でようやくは事情を呑み込んだ。彼女は待ち合わせ場所に行ったのか。しかし、調子がいい、自分だって待ち合わせに来なかったくせに、自分の時だけそうやってわめくのはずるいと思う。

「了解だぜ」

 よって、頭の片隅にも残さず、返事だけしておいた。

「そういえば……アンディは大丈夫だった?」
「ん……アンディ……ああ、相当やけどを負っていたから時間はかかるだろうけど、心配はいらないぜ」

 アンディという名が脳内では一瞬で該当しなかったが、すぐに思い出した。死の火山でやけどを負い危険な状態であったところを連れて帰った彼だ。彼の家へフローラは行ったわけだが、特にいう必要も感じられないので言わないでおこう。

「ああ、兄貴、まさかとは思うけどビアンカに気持ちが動いたりしなよな?」
「ビアンカに? はは、ないよ。確かに再会できたのは嬉しいけど……うん、それにビアンカもそういう風には思っていないよ」
「そうかな?」
「そうだよ」

 のその楽観的な物言いに少しいらっとした。

「じゃああの賢いビアンカ姉さんが、なぜ一緒についていくなんていったのだと思う? ビアンカは気づいてるはずだぜ、婚約の条件のための試練に、ほかの女がいたら先方が訝しむと。けれどもそれをわかっていて、つれていってと言ってるんだ。兄貴もそれが何を意味するかわかってるはずだぜ」

 本来ならば水門を開けるだけでいいことを、指輪を探す旅にまでついていくといっている。もちろんの杞憂に終わればいいのだが、どうもそうはいかない気がする。

「……考えすぎだよ」
「いいや、考えすぎなんかじゃない。あーしらないよ、俺しーらね。婚約破棄されてもしーらね」
「縁起でもないこというなよ。なんか、断わるのもあれかなあと思ったんだ、すごく寂しそうな顔をしていたし。でも大丈夫、俺、フローラさんと、結婚したいから……。俺の気持ちは変わらない」

 勿論、この場合の気持ちよりも、世間体というか、相手方がどう思うかのほうが大事だと思うのだが。と、はぼんやりと思う。まあ、フローラもアンディの家に向かったのだ。それに最悪、天空の盾さえもらえればいいのだ。これでフローラにフラれても、自業自得、ということだ。

「そうか。まあ、男に二言はないっていうしな。ちぇー、兄貴ばっかりモテてずるいぜ……」
「別にモテてないよ」




薔薇の髪飾りを





 翌朝、水門の鍵を持ったビアンカを連れて、旅だった。男二人と魔物との旅路に急に華やかさが増したことで、のテンションは右肩上がりであった。昨夜の温泉でビアンカのことをそれとなく批判していたとは思えないほどの受け入れ方で、はひそかに苦笑いした。

「やっぱ女の子がいると違うなー! 旅には必要なんだよな、華やかさが」

 例の水門までやってきて、ビアンカがカギを開錠している様子をじっと見つめていたは、ビアンカが戻ってきて開口一番にニコニコといった。

「あらってば、調子がいいのね」
「そんなんじゃないぜビアンカ姉さん、俺は本気で言ってるんだ。だって男二人に魔物たちなんてむさくるしすぎるだろ?」
「ビアンカ、は生粋の女好きなんだ、気を付けて」
「兄貴、女好きっていうのは聞こえが悪い」

 水門は無事にあいた。水のリングを求めて船旅が改めて始まったのだった。

「あの、ずっと気になっていたんだけどまさか……チロルなの?」

 その昔、ビアンカからもらったリボンをいまだしっぽに巻き付けたチロルは、その強面とリボンとのギャップがまた面白い。慣れない舵を取るの後ろでちょこんと座り込んだチロルを見てビアンカが問うた。

「あ、そうだよ。大きくなったでしょ?」

 が顔を半分振り向かせて答える。

「私のこと、覚えてるかな。触ったら噛みついちゃうかしら……?」
「チロルは賢い子だから大丈夫だぜ」

 その質問には、そんなをからかっていたが答える。

「チロル、お前を助けてくれた人だ。覚えてるよな?」
「がうっ」

 がしゃがみこみチロルの頭をなでると、嬉しそうに喉を鳴らす。おずおずとビアンカが近づくと、チロルはしっぽを振る。ビアンカはしゃがみこみ、手を差し出すと、ビアンカの手に嬉しそうに頭を擦りつけた。それをきっかけにビアンカも緊張を解き、もう片方の手でチロルの頭をなでた。

「本当だわ。ふふ、かわいい」
「ね? そうだビアンカ姉さん、仲間たちを紹介するよ、きて!」

 ビアンカの手を引いて馬車の場所まで走り出す。

(なんだよ、ウェルカムじゃないか、のやつ)

 チロルまでも楽しそうについていったので、なんだか面白くなくては心の中でごちる。
 しばらく海を行くと、何やら洞窟のようなものが見えてきた。しらみつぶしに行くしかない以上、無視するわけにもいかない。は船を止めてその洞窟を詮索してみることにした。

「なーんかじめじめしてるな、本当にあるのかよー兄貴」
「あるかどうかなんてわかんないよ、探してみないと」
「なんだかわくわくするわ……本当、楽しい」
「懐かしいね、二人で冒険したの」
「あーにーきー?? 俺もいたっつーの! いってくれるじゃねえか」
「そうよね。お墓に埋められちゃったときに怖さのあまり気絶しちゃって、それからずうっと泣いてて、そのあまりに豪快な泣きっぷりにビックリした魔物が逃げちゃったという伝説を作ったものね」
「………先行くぞスラリン」
「どーゆーことーー??」

 分が悪くなったが、不思議がる相棒スラリンを連れて、足場の悪い洞窟の先を行った。

「……ねえ、私本当にうれしいのよ。また一緒に冒険しよう、っていう約束がかなえられて」

 数メートル先を行くの背中を眺めながらビアンカが言った。

「俺だって嬉しいよ」
が思ってる以上に嬉しいんだから……ほんとに」

 二人の間の空気が変わる。なんだかどぎまぎして、はちらりとビアンカの横顔を盗み見る。するとビアンカと視線がぶつかり合い、どきりと心臓が跳ね上がった。慌てて視線をの背中に戻し、平静を取り戻す。なんだか意識してしまっている自分が嫌だった。

『けれどもそれをわかっていて、つれていってと言ってるんだ。兄貴もそれが何を意味するかわかってるはずだぜ』

 昨夜のの言葉がよみがえる。
 ビアンカ―――かつてともに冒険に出かけた、おてんばで、頼もしい、太陽みたいなお姉さん。自分の人生においてちゃんとかかわったことのある同年代の女性がビアンカしかいないこともあり、ビアンカという女性はの頭の片隅にいつもいるような存在であった。今、どこでどんな姿で生きているのだろう、と思いを馳せることもあった。思い出補正も手伝い、の頭の中ではたいそうな美人となったビアンカがいつも微笑んでいるのだった。けれどそんな補正に負けず劣らず美しくなったビアンカと再会した。そしてに昨夜”あんなこと”を言われてから、多少なりとも意識してしまっている自分がいるのは確かだった。
 正直、罪悪感を感じてしまう。フローラのために指輪探しをしているのに、その道中でビアンカと再会し、心が揺らされているのだから。しかし昨夜言った通り、気持ちが変わったわけじゃない。それだけは揺るがない。早く指輪を見つけだし、雪のように白い肌を朱に染めるような言葉の一つや二つ言いたい。
 フローラへの気持ちは変わらないままだが、ビアンカはもしかしたら自分のことを、と考えたら嬉しいような、もったいないような、そんな気持ちが芽生えてしまっただけだ。
 フローラと出会わなければビアンカと出会うこともなかったわけだが、もしもなにかの間違えでフローラに出会う前にビアンカに出会っていたら、もしかしたら今頃、ビアンカと―――

(……最低だ、そんなことを考えている時点で)

 ずきんと、まるで心臓を刺されたように痛んだ。