午後の優しい光が降り注ぐ家の中で、とアレクサンドルは先日エメロードからもらったバームクーヘンをダイニングテーブル越しに向かい合って食べていた。他愛ない話をしながらバームクーヘンを食べていて、ふとの頭に中にずっと不思議に思ってた疑問が首をもたげてきた。別に聞かなくてもいいことだが、一度気になりだすと、頭にこびりついて離れてくれなくなった。そわそわと落ち着きがなくなった様子を見かねたアレクサンドルが「どうかした?」と問う。素直に打ち明けるは迷うが、この話はあまりいい話ではない。あの頃を思い出させてしまうから。けれど、なんでもないです。と言っても、きっと引き下がってくれないだろう。しばし悩んだ末、は素直に聞くことにした。

「……ずっと気になっていたのですが、聞いてもいいですか。あまり、いい話ではないのですが」

 のあまりに神妙な面持ちに、アレクサンドルも表情を引き締めた。

「別に構わないよ。何でも聞いて」

 心臓が早鐘を打つ。心を決めては気になることを口にした。

「アレクの外見は男性です。でも、サンドラはどう見ても女性でした。いったいどういうことなのでしょうか……?」

 の問いは、アレクサンドルが想定するような深刻なものではなく、ともすれば「そういうことか」と表情を崩した。

も宝石店で一緒に勤めていたから、アレキサンドライトの特徴は分かるよね」

 アレキサンドライトの特徴。とても高価で希少な宝石で、太陽の光の下では深い青緑色、日が暮れて、ランプやキャンドルの明かりに照らされると赤紫色に見えるものだ。はそれを端的に伝えれば、アレクサンドルは満足したようにひとつ頷いた。

「俺の核の特徴ともいえることだが、アレキサンドライトが光によって姿が全く変わるように、俺は性別を自在に変えられることが出来るんだ」

 は無言で目を見開く。つまりアレクサンドルは、男にもなれるし女にもなれるということか。身体の作りから変えられるなんて、すごい特性だ。情報を整理しながら、は新たに浮かんだ疑問を投げかける。

「え……と、じゃあ、今もアレクは、なろうと思えば女性の姿になれると言うことなんですか」
「そうだよ。ただ、この男の姿でずっと生きてきたから、この姿が俺の本来の姿と思っている」
「そういうことだったんですね」

 珠魅に外見上の性別の区別はあるが、生殖機能はないため便宜上のものである。外見上の性差と言うのは珠魅にとっては些末なことかもしれない。アレクサンドルにとっては、あくまで自分らしくあるのがどちらの姿かと言うことなのだろう。

「……サンドラの姿の方がよかった?」
「いいえ! サンドラも美人で素敵ですけど、やっぱりわたしはこの姿が好きです」
「ふうーん」

 アレクサンドルの顔が満足そうになった。昔アレクサンドルに抱いていたクールで無表情なイメージが、日々変わっている。最近はアレクサンドルのいろんな表情を見るようになった。新しい一面を見るたびに、こんな表情をするんだと嬉しくて、くすぐったい気持ちになる。

「じゃあ、アレックスの姿とどっちがいい?」

 は今度はきょとんとした。アレックスの姿とどっちがいいとはどういうことだろう。アレックスは即ちアレクサンドルだ。答えられずにいると、アレクサンドルはみるみるうちに表情を暗くした。

「アレックスのほうが良いの?」
「え……あの、でも、アレックスさんは、アレクですもんね」

 は困惑をそのままに言えば、アレクサンドルはどんどん険しい表情になる。

「違う。性別は一緒だけど、俺とアレックスはまた別の姿だろ」

 拗ねたように言うアレクサンドルは、言葉を続ける。

「それに、が好きになったのはアレックスなんだろ。俺じゃなくて。てことはアレックスの姿のほうが良いんじゃないのか」

 なんとなく見えてきたが、アレクサンドルは、己の仮の姿であるアレックスにやきもちを焼いているということなのだろうか。そう思った瞬間、の中で愛おしさが爆発しそうなほど込み上げてきた。にんまりする表情を止めることが出来ず、そのままアレクサンドルを見る。相変わらず面白くなさそうなアレクサンドルが唇を尖らせている。彼が求めている言葉は手にとるようにわかる。

「アレクサンドルが一番、大好きですよ」
「二番がいるのか」
「二番はアレックスさんですかね」
「それならいいんだけど」

 そういって浮かべた笑みは、満更でもなさそうで、本当に嬉しそうだった。

「じゃあアレクは、わたしのこと一番好きですか」
以外、好きだなんて思ったことはない」
「ほんとかなぁ」

 よりもずっとずっと長生きをしているアレクサンドルだ。恋の一つや二つ、していることだろう。は悪戯っぽくアレクサンドルを見る。

「俺の心を見せられないのが残念だよ」

 そういってアレクサンドルは自身の胸に手を当てて、言葉を続ける。

「俺は君のことを、人生をかけて愛しているよ」

 アレクサンドルの優しい眼差しに包まれて、心臓がぎゅっと縮こまる。なんて嬉しいことをいってくれるのだろう。彼との道のりは、愛憎入り混じる沢山の出来事があった。それを乗り越えて、それでも一緒にいたいと思ったから今日の日がある。一度は失い、再び出会えた時は、もう二度と離れないと誓った。

「わたしは本当に幸せ者ですね」

 彼のことを幸せにするのだと誓っていたのに、彼に幸せにしてもらってばかりだ。

「それは……本当に嬉しいな」

 アレクサンドルが囁くように言葉を落とした。彼との日々は当たり前ではない。奇跡が積み重なって、二人で並んで歩いている。どうかいのちが続く間、この人を幸せにできますように、とは祈らずにはいられなかった。