わっと、一面に緑が現れた。
その瞬間、深緑の匂いがむっと鼻孔へやってきて、なんだかとても"生"を感じた。
長い間眠り続けたみたいに頭が重く、それ以外何も考えられなかった。

「誰だ……おまえ?」

声がした。ゆっくりと振りかえると、少し後ろに女性がいた。
耳が尖っているところを見ると、妖怪だろうか。

「……どうも。」

ひとまずぺこりと頭を下げると、女性は不快そうに眉を寄せた。

「……死人か?」

言われてみればそんな気もしてくる。「死人。」と繰り返す。が、確かに心臓は動いている。

「私は、生きています。」
「あ?どっちだよ。」
「何も、わかりません。」
「記憶がないのか?」
「記憶が私のなかにかつてあったのかわかりません。気付いたらここにたっていました。」

何も残っていなかった。名前もこれまで生きてきた道も、自分には一つもない。
いまさっき、この姿で生まれた、というのが正しい気すらする。
しかし、言葉が使えるのと、女性の耳が尖っているから妖怪だとわかるあたり、
自分は何らかの形でこの世界に干渉していたということになる。

「記憶喪失のやつは大抵そう思うだろうよ。記憶がねぇんだから。」

なるほど、と私は笑った。
彼女の言い分は的を得ていた。

「変な奴だな」
「変かもしれませんね。ああ、お名前を教えてくれませんか。」
「神楽だ。」
「良い名です。これで私に詰め込まれた初めての記憶は、神楽の名です。」

神楽は、やっぱり変な奴だ、と笑った。

「神楽さん、よろしければ貴女の供になりたい。」
「……お前妖怪か?」
「どうでしょう、わかりません。」
「お前から何の匂いもしねぇんだ。でも耳が尖ってるからたぶん妖怪だと思うんだけど…」
「では妖怪なのでしょう。」
「えらい適当だな。…何らかの匂いがわかりゃお前の手がかり探せたんだけど、しょうがねぇな。」
「やさしいのですね、ありがとう。」
「べ、べつに!やさしくしたわけじゃねぇよ!」

口は悪いがやさしい妖怪だ。
自分の言葉に照れたように反発する姿に、思わず笑みがこぼれた。

「…それから、"さん"なんていらねえよ気色悪い。」
「神楽、と呼んで良いのですか?」
「ああ。名前、思い出したら教えろよな。」

名前、か。まるで覚えていない。そもそも名前なんてあったのだろうか。

「神楽がつけてください」
「やだね。あたしはそういうの苦手なんだ。」
「そうでしたか。」
「じゃあいこうぜ。のりな。」
「はい。」

神楽がかんざしのようなものを放ったと思ったら、小舟くらいの大きさの平たい乗り物になった。

「素晴らしい奇術ですね」
「奇術じゃねえよ、ほら、後ろ。」

言われたとおり後ろにお邪魔すると、ふわりと上昇した。空を飛んでいる。

「世界は広いのですね」

広がる世界はどこまでも果てしなかった。

「こんな広い世界でたった一人の私を、神楽が見つけてくれたって、凄いことです。」
「見つけたっていうか、突然目の前にあらわれたんだけどな。」
「それでもすごいです。ありがとう、神楽。」
「……はいはい。」



僕を見つけた日。