厳しい冬を耐え凌ぎ、春の気配が漂い出した藤堂邸の中庭は、が初めてやってきたときと比べて見違えるほど美しく、生命力を取り戻した。好き勝手に背が伸びた枯れ草は綺麗に除草され、池には水が張られている。
 池の水に映る自分の姿を犬夜叉が指差して、きょとんと首を傾げている。犬夜叉と手をつないでいる十六夜は微笑み、そばにいる藤堂はその様子を幸せそうに見守っている。
 ほとんど瀕死状態だった屋敷は、ここまで明るさを取り戻した。底抜けに穏やかで、幸せな光景だった。
 妖怪の成長は人間と比べて早い。人間ほど過保護に育てないため、親の手を借りずとも生きることができるようになるまでトントンと成長していく。そうでなくては厳しいのこの世界では生きていけない。妖怪の世界は弱肉強食で、慈悲などはない。
 そんな世界から切り取られ、この安穏とした世界で、日に日に大きくなっていく犬夜叉の成長を見守ることが、とても嬉しかった。兄のような、親のような気持ちでそれを見守る。藤堂も孫の成長を見守るような気持ちで、犬夜叉の成長を見ている。傍から見れば、家族のような光景だった。藤堂は祖父で、十六夜は母。そして父はーーー
 と、そこまで考えて、ぶんぶんと頭を振る。自分は父ではない、ただの守刀だ。愚かにも己の立場を履き違えそうになる自分を、深く恥じ入る。池には十六夜と犬夜叉とが並んで写っていて、思わず目をそらした。

「なんだか親子みたいですね」

 十六夜の言葉に、は十六夜を見る。心内を見透かされていたかのようで、心臓が早鐘を打つ。

「そんなことありません」

 思わず否定の言葉がついて出た。瞬間、十六夜は悲しそうに眉を下げる。そんな顔をさせるために言ったわけではない。明らかに言葉が足りず、慌てては取り繕う。

「えと、違います、私などが家族になんて、天と地がひっくり返っても有り得ないことなので、その……」
「そんなことを言わないでください。同じ家で暮らして、同じご飯を食べていれば、家族ではないでしょうか」

 なんとありがたい言葉を言っていただけるのだろうか。このようなことを言う妖怪をはまず見たことない。不思議で、温かい感情がの中に広がっていく。

「……ありがとうございます」

 結局、何を言っていいのかわからず、礼だけを述べた。と、そこに、使用人が一人の男を連れてこの中庭へとやってきた。人間が近づいている気配はなんとなく感じていたが、悪い気は感じなかったので敵ではない。

「十六夜様……!」

 男は十六夜の姿を見るなり、駆け寄ってくる。反射的には刀に手をかけて、ずいと十六夜と犬夜叉の前に躍り出る。の瞳が鋭く細められる。
 の後ろで、十六夜が「まあ」と感心したように声を漏らしているのが聞こえた。

、あの者は敵ではありません」

 そうはいっても、相手が何者かわからないは警備の体制を緩めることが出来ない。
 男は少し離れたところで立ち止まり、越しに十六夜を見つめ、そして感極まったように声を漏らした。

「あぁ十六夜様……お噂を耳にして馳せ参じました、生きておられたのですね……!」

 十六夜も敵ではないと言い、男も十六夜を襲う気配はなさそうだ。敵ではない、そう判断し、は十六夜の前から少しずれる。十六夜は男のもとへと駆け寄る。手を引かれて犬夜叉も不思議そうについていく。
 男は十六夜の館の使用人だったらしく、闘牙王の襲来と、そのときに起こった火災で屋敷から逃げてきて、そのまま転々としていたらしかった。そして十六夜が生きているという噂を聞いて、ここまでやってきたとのことだ。

「私達は散り散りになってしまいましたが、噂を聞きつけてきっと他のものもやってくるでしょう」
「そうでしたか……苦労をかけましたね。藤堂様、このものをこの屋敷に置いてもよろしいでしょうか」
「勿論です。実を言うと、一人だけだと手が回らないと思い、見繕おうと思っていたところですからね」

 そばで同じく話を聞いていた藤堂が穏やかに頷く。こんな所ではなんだから、と西対まで藤堂は案内し、話に興じる。縁側では控えつつ、犬夜叉のお守りも同時に行っている。の胡座の上に座り込んだ犬夜叉が、の髪の毛を引っ張って上機嫌そうだ。
 男は、が”あの闘牙王”の家臣だという事に対し、あからさまに嫌悪感を現した。声を顰めて男が十六夜に言うのだが、耳の良いには丸聞こえだ。それに対して十六夜は、きっぱりと言ってくれた。

は私をあの火災から救い出し、今日まで守ってくださいました。不躾な態度は許しません」

 まただ、また不思議な温かい気持ちに包まれてる。まさにこの春の日差しのような、そんな温かい気持ち。
 人間と妖怪、その交わりを、十六夜の周囲は認めてくれなかった。だからこそあのような不幸な事故が起こったわけだ。だからこの男がを、ひいては妖怪を忌み嫌う気持ちをわからなくもない。だが、だからといってあからさまな敵意や悪意を感じて、嫌な思いをしないわけではない。

「わたくしにとって、は家族同然です」

 十六夜は不思議な力を持っているみたいだった。今の一言で、先程までの嫌な気持ちをすべて浄化されてしまった。男は戸惑っているが、それでも先程までの敵意はだいぶ薄らいだように思える。
 はくるりと振り返ると、十六夜は上品な笑みを湛えてを見ていた。視線がかちあい、不思議と心臓が痛くなった。なんだか決まりが悪くなって、すぐに前方に向き直った。
 それからも藤堂邸には噂を聞きつけた使用人や家臣たちがやってきた。これもひとえに十六夜の人望のなせることだろう。
 だが、残念ながらどの者も、や犬夜叉に向ける視線は厳しい。仕方がないことだが、まだ幼い犬夜叉が嫌な思いをすることだけは避けたかった。彼が将来、どちらの世界で生きていっても、彼にとっては辛いことには間違いない。せめて今だけは、彼に向けられるすべての刃から守ってあげたい。