妖怪の世界では額面通りの“力”こそがすべてだが、人間の世界では違う。お金などの財産を持っているものが強者で、いわゆる権力者だと聞いている。それから、これは妖怪と似ているが、血統も重要な要素で、良い家系に産まれれば、いい生活が殆ど約束されるようなものだ。
 十六夜は先の火災ですべての財産を失い、夫も、肉親も失った。妖怪との子を身籠ったことで、家族との関係がどうなったかはの預かり知らぬところではあるが、勘当されていないのだから悪くはなかったのだろう、と勝手に思案している。兎にも角にも、十六夜は人間界での力をほとんど失ったことになる。
 眼下には既に絶命した妖怪が横たわっている。この妖怪の皮を剥いで、売りに出せばいくらかになるはずだ。妖怪の皮は丈夫なので、人間はそれを加工して武具にしたりするらしい。先程貴族相手に稼いだお金と合わせて藤堂に渡せば、生活費の足しにはなるはずだ。
 結局妖怪の皮は、少しのお金と、沢山の米や野菜などに変わった。人間の世界では、お金だけでなく、それに見合った物とで等価交換することもある。としてはお金でもらうよりも、物をもらったほうが価値が推し量りやすい。あれしきの妖怪の皮でこれほどの物が手に入るのならば、当面は食料に困ることはなさそうだ。
 屋敷に戻った頃にはすっかり夜の気配が色濃く立ち込めていた。東対はまだ仄かな明かりが灯っている。大荷物を抱えて東対へと赴けば、十六夜が布団に入って犬夜叉を寝かしつけているところだった。布団の中には十六夜と犬夜叉が並び、その並びでなぜか黎明牙も布団に入っていて、思わず二度見してしまった。
 十六夜はに気づくと、人差し指を立て“お静かに”という合図をして微笑んだ。は十六夜の思いを汲み取り、主屋の明かりがまだ灯っていることを確認すると、そのまま藤堂のもとへと赴いた。

「藤堂様、これで何日分になるかわかりませんが、ひとまずお納めします」

 差し出した作物とお金でどれだけ住まわせてもらえるかには価値がわからない。藤堂の判断になる。風呂敷に包み込んだ作物をひとまず置くと、藤堂は「おぉ」と感嘆の声を漏らす。

「こんなに……いいのですか」
「もちろんです。あとどれくらいお納めすれば一月分になりますか」
「これだけあれば当面は暮らしていけます」

 よかった、とは安堵し、次にお金をお渡ししようとするが、藤堂は受け取ろうとはせず、両手を振るのみだった。

「足りませんか?」
「むしろ逆です。こんなにいただけませんよ。どうかお屋敷の再建費用に充ててください」
「しかし……」

 なおも食い下がろうとするを見かねて、藤堂の頭にふと考えが思いつく。

「建物というのは、人が住まないと傷んでしまうんです。だから住んでいただいてわしとしても都合が良いのです。だから、こういうのはどうでしょうか。お金だけでなく、このように食べ物が手に入ったらいただく、というのは」
「……それで藤堂様が本当に良いのならば。いかんせん私は人間の世界での物の価値がよくわからないのです」
「十分です」

 藤堂がそういうのならば、納得せざるを得ない。「わかりました」と頷いて、は風呂敷を抱えて使用人のもとへと届けた。


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 藤堂邸での日々は、たまに出稼ぎをして、それ以外は藤堂邸で十六夜だけでなく屋敷自体の警護を請け負っている。警護と言っても、妖怪や不審者がやってくることなんてないので、特にやることはないのだが、兎にも角にも闘牙王が生きていた頃と比べると、かなり平和な日々を過ごしている。今も暮れなずむ景色を縁側でぼんやりと眺めている。
 西国はこれから荒れるだろう。闘牙王が亡き今、妖怪たちが黙っているわけがない。しかしに託されたことは、西国の平定ではない。じわじわと迫る混沌の時代に、何もできぬもどかしさもあるが、けれど今一番の使命は、十六夜をお守りすること。

(順当に行けば、いずれは殺生丸が西国一の妖怪として君臨するのでしょう)

 まだそこまでの大妖怪にはなっていないが、いずれは間違いなくそうなることだろう。父も母も誇り高き犬の一族で、授けられた力や能力は、どう転んだって強大なものだ。それに本人に素晴らしい才覚がある。だからだろうか、恐らくだが、闘牙王は殺生丸に対してはそこまでの心配はしていなかった。ひとつ、気がかりなことといえば、強さを求めるがあまりその他があまりに疎かだということか。

(鉄砕牙を授けられなかったことをかなり納得のいっていない様子でしたね)

 彼に授けられた“天生牙”を使いこなす日は何百年後なのだろうか、と思いつつ、彼が今のこのの状況を見たら、かなり怒るのだろうなあ、とも思った。闘牙王が十六夜との間に子を設けて、半妖が一族に誕生すると知ったときの殺生丸の様子が脳裏に浮かび、苦笑いを浮かべる。
 殺生丸については殆ど心配をしていなかったが、犬夜叉についてはかなり心配をしているようだった。己が大妖怪がゆえ、半妖ということが、この世界で“どういう存在”なのかも理解していた。当然、兄である殺生丸が守ったり、何かを教えたりなど絶対にしないだろう。寧ろ一族の恥だと言って斬り捨てかねない。だからこそ、に犬夜叉を、十六夜を託したのだろう、とは思っている。

(親方様の代わりに、私は何を教えられるでしょうか、守れるでしょうか)

 黎明牙を抜刀し、天に翳す。

(親方様は死ぬべきではなかった……私が代わりに……いや、あれは親方様が挑まれた戦い。どう足掻いたところで、戦いを避けることはできなかった。身代わりになる隙すらない戦いだった)

 気がつけばぐるぐるぐるぐると親方様のことを考えてしまうのは、未だに心の整理がついていないからだろう。今も、姿は見えないがどこかで生きているような気がしてしまうのだ。どこからかひょっこりと現れて、『、息災か』なんて声をかけてくれるのではないかと思ってしまう。
 しかし現実は、犬夜叉の右目の中に封じた黒真珠の中で親方様は永遠の眠りに就かれている。そこには鉄砕牙もともに封じられていて、そのことは一部のものにしか知らされていない。
 思案に耽っているうちに黄昏時が終わり、代わりに暗い闇が世界を支配する。今日は月明かりがないので朔の日だろうか、辺りはかなり暗い。

!」

 十六夜の尋常ならざる声に反応し、は立ち上がって黎明牙を鞘に仕舞うと、くるりと振り返り、すぐさま駆けつける。

「どうなさいました?」
「大変です、見てください。犬夜叉の髪が黒くなり、耳が人間の耳に……!」

 十六夜の腕の中の犬夜叉を見れば、確かにいつもの銀髪が黒髪になり、丸い耳が目の横についていた。この容貌は間違いなく、人間だ。この現象に思い当たる節があり、は不安そうに揺れた瞳で見上げる十六夜を安心させるように、まずは「大事ないです」と伝える。少し安心したようだった。

「犬夜叉は妖怪と人間の間に産まれた子なので、“半妖”ということになります。普段は妖怪の血が色濃く出ているのですが、半妖は月に一度妖力を完全に失うのです。その日は半妖ごとに違いますが、犬夜叉は朔の日がその日なのでしょう」

 そしてその日を他のものに知られてはならない。悪しき妖怪がその日を付け狙い、ちょっかいを出してくる可能性がある。朔の日がその日であるのならばかなり覚えやすい。の記憶に刻みこむ。

「おそらく、日が昇るまでの半日というところでしょうか。人間の男児になっている、ということです。ですから、心配いりません」
「そうでしたか……安心しました。わたくしは妖怪に対してあまりに無知ですので、がいてくださって助かります」

 少しでも役に立ってているようで、ほっとする。ここにいることを認められたような気がした。この女性と、犬夜叉を、何が何でも守らなければ。と改めて誓う。犬夜叉のよき見本となるように、妖怪の世界での生き方も教えなければならない。けれど、半妖という存在は、人間と妖怪との架け橋になるのではないかとも思う。いや、そうなってほしいと思う、祈りにも似た想い。“どちらでもない”のではなく、“どちらでもある”のだから。

「私は十六夜様のためにありますから」

 闘牙王に捧げたこの身は、今は闘牙王の最愛の人のためにある。
 十六夜は一瞬目を見開くも、ほんのりと頬を朱に染めて、「ありがとうございます」と礼を述べた。