「犯人は窓から窓へ飛び移ったんですよ。みなさんが被害者の悲鳴を聞いて駆けつける前にね……」
「馬鹿な! 5Mも離れているのよ」
「壁伝いに屋根を上れば2Mもありませんよ。彼が実際に実践済みです」

 すらすらと推理を述べる工藤新一。彼に話を振られて、は慌てて頷く。新一の推理を実際に可能かどうかやってみたり、推理の手伝いをするのが、の役割。時に危険な目にあいつつも、けれども彼の推理はいつだって確かだから驚く。大事なことだからもう一度言うが、時に危険な目にあいつつも、ね。
 なんてが一人で考えていたら、新一が犯人だと言っていたこの館の主人が、骨折したはずの足を使い立ち上がり、逃げだそうとする。すかさず新一は近くにあった地球儀を蹴り上げ、主人に見事命中させた。
 ほうら、やっぱり新一の推理通りだ。さすが、平成シャーロックホームズ。




「新一が平成のシャーロックホームズと言われていて、は平成のジョンワトソンと言われておるらしいぞ」
「へえ〜、ほんとかよ。ワトソンくんか、まあ悪くないな」

 レストラン“コロンボ”。ここのスパゲティが絶品ということで、阿笠博士の勧めでやってきた。この阿笠という男は自称天才科学者で、様々なものを開発しては、近所の方々に配り歩いている。先ほど平成のシャーロックホームズと言われていた新一と、平成のジョンワトソンことは幼少のころから博士の発明品で遊んでいた。

「確かにうんまいね、このスパゲティ。またこよーぜ、今度は新一でも誘ってさ」
「じゃろー。新一くんは今日、蘭くんとデートだったか?」
「そー。蘭が空手の大会で優勝したお祝いに、新一がトロピカルランドおごるんだっていってた」

 今頃いい雰囲気になっているのだろうか、なんて下世話な会話を博士としながらスパゲティを平らげ、コロンボを出た時にはしとしと雨が降っていた。この状況になって、漸く朝の天気予報を思い出す。確か晴れのち雨、予報は大当たりだったようだ。

「やべー博士、傘持ってきてたりする?」
「見ての通りじゃ」

 空の両掌を見せ、首をすくめる。

「走って帰るしかねーな」

 食後だというのに走り、博士の家までやってきた。雨に濡れて、あげく通り道が工事をしていたおかげで制服の足の裾が泥がついてしまった。自分の家に帰っても良かったのだが、折角なので博士の家でトロピカルランドから帰ってくる新一を待つことにした。
 博士はもうすぐ完成の試作品があるのだ、と言って口ひげにスパゲティのソースをつけつつ研究の続きをはじめ、はお茶を飲みながらテレビでもみよう思い、お茶を入れテレビをつけた矢先、物凄い爆発音が聞こえてきた。どうやら博士の発明は失敗のようだ。はつけたばかりのテレビを消し、研究室へ向かった。
 煤と黒煙だらけの部屋の奥には大きな穴ができていた。爆発と共に壁をぶち抜いて外まで飛び出てしまったらしい。煙をぱたぱたと扇ぎつつ博士のもとへ向かうと、煤で汚れた博士が雨に濡れながら苦笑いを浮かべて片手を挙げた。

「おお、くん」
「派手にやったね博士」
「は、博士、それに!」

 小さい子特有の高い声が聞こえて博士とは同時に声の発生源を見る。明らかに着丈の合っていない服を着た子供が此方を見て、その顔に驚きをにじませている。

「誰だこの子」
「俺だよ俺! 新一だよ!」
「なんじゃ新一の親戚の子か? 言われてみれば小さいころの新一にそっくりじゃの」
「うわーほんとだな、まんま新一じゃん!」

 新一の親戚の子が冗談を言っているのだろうか。

「違うよ俺! 新一なんだよ! 帝丹高校2年の――」
「おーい新一、親戚の子がきてんぞー」

 少年の主張を無視しながら工藤邸の呼び鈴を鳴らせば、少年は「違うんだ! 俺なんだよ!」と尚騒いでいる。

「よーし博士とのことを言ってやろーか!? 阿笠博士、52歳。俺んちの隣に住んでる風変わりな発明家で自分じゃ天才と言ってるけど造ったものはガラクタばかり! おまけにおしりのほくろから毛が一本出てる!」
「そっ、それは新一としか知らないはず」

 ちょっと顔を赤らめる博士。

、俺と同じ帝丹高校2年生、俺んちの反対側の博士の家の隣に住んでる! 俺と一緒に事件を解決する相棒! この間の事件ではトリックの確証を得るために壁伝いをしようとしたところ足を滑らせ危うく落ちるところだった! その時引き上げようとした俺に「ファイトー!」と言わせ、は「いっぱーつ!」と叫ぶ、というとんでもなくつまらないことをやらせた!」
「そっ、それを持ち出すのはやめてくれ!」

 魔がさしたんだ、なんとなく言いたくなってしまったんだ! と自分に自分で心の中で言い訳する

「まさか新一の奴、わしの秘密を言いふらしてるんじゃ……」
「それはねーだろ博士」
「聞いたんじゃなくて俺が新一なんだって! 変な薬飲まされて小さくなっちまったんだ!」
「薬で小さく?」

 と博士の声が重なる。

「ふん! そんな薬があればわしがお目にかかりたいものだ! こい小僧、警察に突き出してやる!」
「ちょ、じゃーこれならどうだ!」

 博士が少年の手を掴みずんずんと歩き出したところを、更に慌てたように少年が言葉を紡ぐ。

「博士と、コロンボから帰ってきましたね、それもかなり急いで!」
「ど、どうしてそれを」

 博士が足を止め、くるりと振り返る。はなんとなくであるが、この少年の言うことが真実を帯びてきたことに関して、新一の推理のはじまりを聞いているときのような感覚を見出していた。ショーが始まる前の胸の高鳴りのような、そんなものを感じるのだ。

「服ですよ、前のほうは濡れた様子があるのに後ろにはない。これは雨の中帰ってきた証拠ですよ。それにズボンに泥が跳ねている。この近辺で泥が跳ねる道路は工事中のコロンボの前だけだ! おまけにコロンボ特性のミートソースが髭についてるしね」
「き、君は……」
「チッチッチッ、初歩的なことだよ、阿笠くん」

 悪戯に笑う少年の顔が、確かに新一の顔が重なった。

「新一なのか」
「ああ、。やーっと信じてくれたか」
「まだ信じられんが、話は君の家の中でゆっくり聞こう」

 今の新一の身長では届かなかった工藤邸の門に博士が手をかけ、その重い扉を開けて工藤邸に入った。ひとまず服を着替えようということで彼は小さいころの服を探しに二階へ上がり、と博士は書斎で待つことになった。
 彼の父、工藤優作の書斎は相変わらず360度本でびっしりと並んでいるその殆どが推理小説である。さすが世界的推理小説作家である。新一の戻りを待つ間、いまだに信じられないこの状況や、優作氏の活躍についてしゃべり、暫くすると新一は再び書斎に現れた。

「その服懐かしいな、小学生くらいの時の服だ。有希子さんがとっておいたのか?」

 半ズボンに青いブレザーに赤い蝶ネクタイ。懐かしい気持ちになる服を出してきたものだ。

「ああ、多分な。まさかまた着ることになるとは、いくら母さんでも思ってなかったと思うけどな」

 昔よく、彼の母親の工藤有希子に女装させられ、キャー! 新ちゃん、ちゃん、ほんっと可愛いー! なんて言われながらパシャパシャ写真を撮られていたのを思い出す。
 落ち着いたところで、新一はこうなった経緯を説明する。
 話を要約すればこうだ。蘭とトロピカルランドで遊んだ帰り、好奇心から事件に首を突っ込み、黒ずくめの男の拳銃の密輸の場面に遭遇する。運悪く取引中の仲間に見つかり、鈍器で殴られた挙句、試作品の毒薬を飲まされ、身体が縮んでしまったとのこと。にわかには信じられない話ではあるが、新一が嘘を言うとは思えない。

「ともかく博士、頼むよ。元に戻す薬を作ってくれ! 天才だろ?」

 先ほどは造ったものはガラクタばかりなんて言っていたくせして、都合のいいやつだ。

「無理言うな、その薬の成分がわからないことには……」
「じゃあやつらの居場所を突き止めて、あの薬を手に入れればいいんだろ!」
「ああ、その薬があればなんとかなるかもしれんが……ともかく新一、小さくなったことをわしやくん以外にいってはならんぞ!」
「え、なんで?」

 博士が小さくなってしまった新一の肩をしっかりとつかみ、緊迫した様子でいう。

「君が工藤新一だとわかったらまたやつらに命を狙われるじゃろう! それに君の周りにも危険が及ぶ。いいか、君の正体が工藤新一であることはここだけの秘密じゃ! 決して誰にも言ってはならん、あの蘭くんにもじゃぞ!」
「新一、いるのー?」

 噂をすればなんとやら、玄関のほうから噂の蘭の声が聞こえてくる。

「もー、帰ってるなら電話くらいしなさいよ、鍵開けっ放しよー?」
「いかん! 早く隠れろ!」

 どたばたと新一がデスクの裏に回ると、書斎に蘭が入ってきた。

「あら、阿笠博士に、じゃない」
「い、いやー久しぶりじゃのう蘭くん」
「よ、よおー。蘭、学校ぶり」
「うわあ、相変わらずの本の量ね、それも推理小説ばっかり。こんな本に囲まれて育ったから新一が推理バカになっちゃうのよ」
「うっせーな……」

 ぽつり、反射的に新一が漏らす。その声を蘭が聞きつけ、誰かいるの? とに問う。

「え、あ、さ、さあ……」

 自分でも驚くほど嘘くさい演技である。おまけに目までそらしてしまって、知らないふりをしているのがバレバレである。と、そのときごちんと何かがぶつかる音がして、ふらりふらりと新一がデスクの陰から出てきた。その手には眼鏡があり、変装でもしようとしたのだろうか、と推測する。新一は慌てて蘭に背を向け眼鏡をにはまっていたレンズを取ろうとする。差し詰め度が強すぎてくらっときてしまったのだろう。
 背を向けているのが照れていると捉えた蘭が、「照れ屋さんね、こっち向きなさい?」といって新一を無理くり自分のほうに向かせようとする。運よくレンズはとれ、振り向きざまにすかさずレンズのない眼鏡を装着する。
 蘭は眼鏡をかけた新一を見て、目を見開いたかと思うと、ぎゅっと抱きしめ、

「可愛い!」

 と愛おしそうに叫んだ。

「この子だあれ?」
「わ、わしの親戚の子じゃ。のう、くん」
「お、おう」

 慌てて頷く。

「へえ〜ぼく、いくつ?」

 蘭は新一のことを開放すると、小首を傾げて問う。

「じゅうろ―――じゃなくて、6歳!」
「それじゃあお名前は?」
「新、――じゃなくて、ええと……」

 じりじりと、新一は後ずさり、ついに背中に本棚がぶつかる。

「えーと、えーと……」

 咄嗟に偽名なんて出ないものだ。新一は頭をひねりにひねった結果、すぐ後ろにずらりと並んでいる本棚のタイトルに目を付けた。【コナン・ドイル傑作選】に、【江戸川乱歩全集】。

「コナン!」

 静寂を切り裂き、新一が声高に名乗る。

「ぼくの名前は、江戸川コナンだ!」

 これが、物語のはじまり。
 この後、新一は探偵事務所をやっている蘭のもとに転がり込み、一つ屋根の下で生活をし始める。



「にしたって、名前安直すぎるだろ」
「しゃーねーだろ、ほかに思い付かなかったんだから……」

 ぶすっとした顔で頭の後ろで手を組む小学生、江戸川コナン。ランドセルもだいぶ様になってきた。

「まあ、仕方ないからこれからもお手伝いしますよ、名探偵さん?」
「頼むぜ、くん」

 二人は、にかっと笑い合った。




ロマンスのはじまり