僕からしたら、さまというのは、手の届くような存在ではない。さまは国王さまの妹。つまるところ、王族。対する僕はグランバニアのしがない宿屋の息子。本当は父さんみたいに兵士になって、グランバニアを守りたいけど、母さんが反対するからできない。兵士になったら、さまを守ることだってできるのに。別にさまを好きってわけじゃない。僕にだって好きな人はいる。近くに住むあの子、笑顔がかわいいんだ。ただ、たまたま城下町で見かけたさまが頭から離れないだけ。

「ここが宿屋さんだよ」

 店番をしながらぼーっとしていたのだけれど、声がしてはっと顔を上げて決まり文句を口にしようとして、喉から声が出ることをやめた。というか、引っ込んだ。僕は口を開きっぱなしにして、そのまま目の前の光景に釘付けになった。

「へえ、お泊りするところ?」
「ロイったらなにもしらないのね」

 彼女の両手は、それぞれ小さな男の子と女の子と繋がれていて、彼らは確か王女と王子。まあそんなことはどうでもいい。今の今まで頭の中をぐるぐるしていたさまが目の前にいる。

「こんにちは」

  さまの声が、僕の鼓膜をもてあそぶ。僕の頭には何も浮かんでこなかった。普段の僕なら、ちゃんといらっしゃいませ。と言えているのに、今の僕は何も言えずにいる。この衝撃が伝わるだろうか。
 さっきまで思い浮かべていてた人が、目の前に現れたんだ。そりゃあ、すさまじい衝撃だ。

「お仕事頑張ってくださいね」

 僕が何も言えないでいる間に、さまはぺこっとお辞儀をして踵を返そうとしていた。そこでやっと僕は金縛りにも似たその呪縛から解放され、声が出るようになった。

「まってください!!!」

 とんでもない大きな声で呼び止めてしまったが、そんなことはどうでもいいのだ。さまがくるっとこちらを振り向いた。両手の先にいる王子さまと王女さまもお振り返った。まあそんなことはどうでもいい。

「僕、ピピンといいます!! 僕、絶対に兵士になって、さまをお守りします!!!!」
「………」

  さまはぽかんとしていたが、やがて、ふふ、と小さくほほ笑みんでくださった。ああ、僕はこの笑顔を見るために生まれてきたに違いない。近所のあの子? もうかすんで見える! もう顔も思い出せないくらい、さまでいっぱいだ。
 僕の心は残酷なほどあっさりとさまに奪われてしまったのだ。

「待ってるね、ピピンくん」

 僕がこのあと母さんを説き伏せてグランバニア兵に志願したのは言うまでもない。



恋が始まる、僕が始まる
(ふざけたエピソードですね。ごめんなさい。)