「なんか前髪長くない?」

オシャレ?と、目の前のいすに座るバドに怪訝そうにたずねる。バドは苦笑いをして前髪を一束つまんで見つめた。
彼の前髪は、目にかかるくらいまで伸びていた。はっきり言ってウザイ。

「確かに。そろそろ切らなきゃな。」

毛束を離して、めんどくさそうに呟いた。

「あっ。」
「ん?」

何か名案でも思いついたようなことを思わせる声。

ちゃん、切ってよ。」

目の前にいる彼は、嬉しそうな、そしてどこかイタズラっぽい(この顔はちっちゃいころのバドと変わらない)顔だ。
対しては、少し嫌そうな顔をする。

「いやだよ。もし失敗したら、責任はわたしになっちゃうじゃない。」
「大丈夫だって。俺、失敗しても何も言わないって。」
「とかいって、遠まわしな嫌味とか言うんでしょ?もうバドの行動パターンなんて読めてるわ。」

前にトーストを焦がしてしまったときがあった。そのときのバドの発言といったら、嫌味のオンパレード。
しかも笑顔で言うものだから、タチが悪い。この男は腹黒いのだ。
『焦げってのも、普段なかなか食べないから、新鮮だな。』とか、『どうして苦いパンを作ろうと思ったの?』だとか。
そんなふうに言われるよりか、「トーストぐらい焦がすなバカ野郎。」と罵ってくれたほうがまだ爽やかだ。

「失礼だなあ。遠まわしな嫌味なんて、言ったことないじゃないか。」

唇を尖らせて抗議するところ、昔から変わってない。そのことがなんだか嬉しくて、はうっすら微笑んだ。
場違いな表情だとは自覚しているが、自然と綻んだのだからしょうがない。案の定、バドは不思議そうな顔で首をかしげる。

「なんで笑ってるの?」
「別に。教えてあげない。」

楽しそうに言えば、バドが非難めいた声を上げる。

「えー。俺に隠し事なんて、いけないんじゃないの?」
「なんでよ。別にいいじゃない。誰がいつそんなこと決めたの?」
「いま、俺が。だってちゃんのことを俺が保護してあげてるわけだし、」
「別に、保護してなんて頼んでないもん。」
「じゃあどっかにポイしちゃってもいいの?」
「…それは、駄目。」

大人のバドに、なんだか勝てる気がしない。決まりが悪くなってぷい、と窓の外に目を向ける。
そんなのことを愛しげにバドが眺め、ちゃん。と呼んだ。それでも彼女は、バドのほうを向かない。

「こっち向いてよ。」
「……。」
ちゃん。ね、ごめんね。俺がちゃんの事を捨てるわけがないって。」

ようやくは向き直った。

「その根拠は?」
「秘密。」

人差し指を立てて、口元に添えて、ユカイそうに口元をきゅっと吊り上げた。
(まさか、ちゃんのことが好きだからなんて、いえないよね。)心の中で苦笑いする。

「じゃあ、信じないわ。」
「全く、困ったお姫様だね。いずれ教えるから、ね、前髪切ってよ。お願い?」

話を摩り替える。というより元の話題に戻す。は小指を立てて、すっとバドの目の前に出した。

「指きりげんまんをしてくれたらいいよ。」
「わかった。」

小指を絡めれば、まるで赤い糸をつむいでいるようで、は不覚にも心臓の弾む速度が速くなる。
それはバドも同じで、ふたりの間に微妙な緊張感が漂う。その緊張を紛らわすように、の能天気とも思える歌声で
定例の歌を謡う。

「ゆーびきりげーんまん、うそついたらはりせんぼんのーます。ゆびきった。」

可愛らしい儀式を終えて、指を離すと、はすっと立ち上がり近くにあったゴミ箱を持ってきて、床に座りこんだ。

「ほらバド、ここ座って。」
「はーい。」

バドが移動してる間に、日用雑貨などがつまっている引き出しからはさみを持ってくる。
二、三回空気を切り、バドのもとへとたどり着く。バドはすでに座っていて、胡坐を掻いていた。

「俺ゴミ箱持ってたほうがいいよね?」
「うん。服にかかっちゃうからね。」

胡坐の上にゴミ箱を置いて、ゴミ箱を抱え込み頭を少し前に倒す。「こう?」とたずねられ、「いい感じ」と頷いた。
もしゃがみこんで、開いてる手でバドの前髪を人差し指と中指で挟んで宙に浮かす。

「いくよ?失敗しても知らないからね。」
「オーケイオーケイ。よろしくね。」

人の前髪なんて切った事がないから、手が震える。はさみが小刻みに動いている。
真剣な顔でバドの前髪を睨みながら、ちょき、ちょき、と切り出す。バドの紫の髪の毛がゴミ箱にはらはらと落ちていく。

「あ、いい感じ。わたし才能あるのかも」
「どれどれ?」

突如顔を上げて、前髪を確かめようとするバド。

「わっ、ば、バカ!動かないでよ!手元が狂うでしょ!」
「あーごめんごめん。」

たいしてあくびれた様子もなく謝り、再び頭を前に傾ける。
集中しすぎてつい瞬きを忘れがちになってしまったり、呼吸を自然と止めていたりと、少し危ない面もあったりしたが
前髪は順調に切られていった。ちょき、ちょき、と小気味いい音だけが空間を支配する。

「ねーちゃん」
「……。」
「俺、暇だよ。ねえ、なんかおしゃべりしない?」
「……。」
「ねーえー。ちゃんってば、」
「…ん、あ、え?呼んだ?」
「呼んだ。ね、おしゃべりしない?」
「いやよ。今わたし、集中してるの。」
「………。」

聞き分けてくれたのか、バドが黙った。そのことに満足しつつ前髪を切り続けると、突然手首を捕まれる。
急なことに手を止めると、バドはゴミ箱をどけて掴んだ手を床に置かせたところで手首を解放した。

「な、な、なあに?」

バドの表情は、少し悲しそうに見えた。刹那、ぎゅっと抱きしめられた。ふわりと薫る、バドのにおいがを惑わせる。
突然の事に、思考回路はショートして、成す術もなくされるがままになる。

ちゃん…。」
「は、い。」
「だいすき」

告げられた言葉は、愛を司る言葉。頬に当たる髪の毛はやわらかで、布越しに伝わる温度は暖かで、顔が熱くなる。

「すき、なんだよ…。だからかまって?」
「………………反則よ。」

普段はつかみどころのない空気のような男が、今自分にかまって?と甘えてきた。
大の大人が、甘えてくるなんて反則。さらっと好きって言うところも、反則。コイツはずるい男だ。
さらにかすれた低い声で囁かれては、大反則だろう。心臓が、きゅうう…。と締め付けられる。
少し前も――といっても、目の前の彼からしたらもう何年も前だが――バドにこんな風に抱きつかれたことがあった。
あのときは、可愛らしいなあ。と思ったが、今では違う。彼は一人の男なのだ。

ちゃん」
「…。」
「俺の事、どう思ってる?」
「そそそ、そんなことっ!聞かないでよっ!!」

彼が小さく笑うことがわかった。顔が耳のすぐ横にあるから、かすかな音でも聞こえてくるのだ。
心拍数が、再び上昇する。

「ね、教えて?」

わざわざ耳元でささやいてきて、ぞくり、背筋に電流が奔った。
コイツはずるい男だ。――本日何度目かの嘆き。

「………き。」
「ん?」
「恥ずかしいから、耳かしてよ」

バドは言われたとおり、の顔の前に耳を持ってくる。特有の三角形の耳。はその耳に顔を近づけて、

「好きだよバカ野郎ー!!」
「んわああああ!!!!」

大声で叫べば、バドは慌てて耳を離した。キーン、と脳内に響き渡る。
今までの仕返しだ、とばかりの笑顔を浮かべて、はバドに抱きついた。

ちゃん…」
「何よ。」

つんけんした言い方は、照れ隠し。
バドに肩を掴まれて引き剥がされたかと思うと、むかつくぐらい穏やかな笑顔だ。
恥ずかしさから直視出来ないでいると、急に目の前に暗がりができたかと思うと、唇に暖かい感触。

「キス、していい?」

事後にそのようなことをたずねてきた。何を言えばいいかわからずに呆然としていると、
バドは相変わらずの笑顔でこういった。

「さあ、前髪切るのを続行しよう。」




と僕の情表現