雲を踏みしめながら歩き、無事に天空城に辿り着き、クリフトがへなへなと座り込んだ。少し時間をください、と言うので、少しばかり天空城の門近くで待機することにした。
 は天空城の城郭にある四角く切り取ったような覗き窓からひょっこりと顔を出して下界を見下ろそうとする。しかし厚い雲に覆われていて、何も見えなかった。アリーナとサントハイムはどこでしょうゲームをやりたかったのだが、どうやらできなさそうだ。ちらとクリフトを見れば、まだまだ立ち上がれそうにない。は思い切って覗き窓から身を乗り出して雲海を眺める。この天空城が建立している場所は厚い雲が切れ目なく覆っているが、もっと果ては雲がない場所もある。そこに行ったら地上に落ちてしまうのだろうか。そう考えたら背筋がゾッとした。
 それにしても不思議な光景だ、とはしみじみ感じる。視界の下方で雲が移ろいでいて、本当に空の上に来てしまったのだと改めて実感する。

! 落ちたらどうするんだ!」

 突然腰を抱きすくめられて、慌ててくるりと振り返れば、が切羽詰まった表情でのことを後ろから抱きしめ、引き寄せていた。心臓が止まるかと思った。

!? あ、お、落ちても雲が受け止めてくれるかなと思ったんですが」

 は顔を真っ赤にする。落ちるほど身を乗り出していた訳ではないのだが、の目には落ちる可能性を孕んで見えたということだ。しかし、に抱きしめられたときが一番恐怖を感じたのは秘密だ。それにしても腰を抱きしめられている今この状況がとてつもなく恥ずかしかった。

「にしても危ないだろ」
「すみません……しかし、あの、恥ずかしいです」
「あ、ご、ごめん」

 堪らずが言えば、は両手を挙げ、慌てて離れる。向かい合えばお互い顔がりんごのように真っ赤になり、俯いた。

「あんたらってほんと、嫌味なくいちゃつくわよね。爽やかで羨ましい限りよ」

 マーニャが感心したように言う。

「……ありがとう?」

 なんと答えていいかわからず、はとりあえずお礼を言うのだった。

「いいってことよ。あとでカジノ代ちょうだいね」

 カジノ代をせびるためのヨイショだった可能性もある事を忘れていた。さすがマーニャ、と心の中ではは感心した。





求愛は天空にて





 やがてクリフトが立ち直ると、ルーシアは一通り天空城を案内してくれた。その名の通り天空にある城は、地上よりも空気が薄くて、修行にうってつけね! と、アリーナがはしゃぐ。さえずりの塔も高かったが、天空城には敵わない。の人生で一番高い場所にいることは間違いないだろう。
 城の中で誰かに会うたびに、ルーシアはは天空人ときこりとの間の子だと触れ回るので、すっかりはそれで定着してしまった。しかし、かつて地上に舞い降りて人間との間の子を産んだ女性の話は有名らしく、御伽噺かと思っていたではあるが、その話は段々と真実味を帯びてきた。

「やはりには、天空人の血が入っているのですね」

 がしみじみと言う。は恋人で、一番近い存在の筈だが、なんだか急に遠い存在に感じた。それこそ、天と地ほどの隔たりを感じるのだ。彼の隣にいるべき存在ではないような気がして、胸に重い何かが沈み込んだ。

「いまいち実感がないけどね。そんな記憶もないし」
「しかし、天空の武器を装備できることが証拠だとも言えますな」

 トルネコが目を輝かせる。天空人にしか装備することが出来ない、天空の装備。以外が身に着けようとしても重くて持ち上げるのもやっとだ。は複雑な顔で唸った。

さんが天空人なら私は地底人ですね。だからこんなに高所が苦手なのです」
「うまいこと言いますねクリフト」

 だいぶ顔色が良くなってきたクリフトが冗談を言うまでに回復した。地底人クリフトはいじけたように眉を下げている。
 それからルーシアが取り次いでくれて、天空城の王であるマスタードラゴンへの謁見が叶った。王座へと続く大きく厳かな階段を登りつめると、重々しく巨大な竜が出迎える。

「初めまして。と申します」
「私はこの城を治めるマスタードラゴン。お前達がなぜ私に会いに来たのかも既に分かっている」

 マスタードラゴンはが今までの経緯を説明する前に、時間を惜しむように先に制した。

「しかしもはや私にもデスピサロという者の進化を封じる事は出来ぬ……。お前達が思っているほど私は絶対の者ではないのだ」

 マスタードラゴンの言葉に絶望が身体に重く圧し掛かったのを感じた。もう、デスピサロのことは誰にも止めることが出来ないのだろうか。ここまでやってきたのに、完全体となったデスピサロに殺されるのをただ待つしかないのだろうか。

「……では、私たちは、デスピサロに勝てないのでしょうか」
「早まるな。進化を封じることが出来ぬということだ」

 では、どういうことなのだろうか。全員がマスタードラゴンの言葉を固唾を呑んで待つ。

「ところで人間というものは不思議な生き物だな。か弱い人間が時として思わぬ力を出すときがある。私はそれに賭けよう! 天空と人間の血を引きし勇者と導かれし者たちよ! そなたらなら進化した邪悪なものを倒せるかも知れぬ! そなたらに私の持てる力を与えよう!」

 の身体から淡い光が放たれる。だけでなく導かれし者たちも一様に淡い光が放たれている。は身体の奥底から力が湧き上がってくるのを感じた。不思議な全能感に包み込まれて、今ならば何でも倒せるような気がする。マスタードラゴンから力が与えられて、今まで以上に武器に力を込められる気がした。
 つまり、マスタードラゴンにはデスピサロを封じる力はもう残されていないが、マスタードラゴンに残された力を、無限の可能性を秘めた、時に莫大な力を発揮する人間であるたちに分け与えたと言うことだ。賭けのようにも思えるが、世界の命運を託すということはそれなりに勝算はあると考えていいのだろうか。

「この城の真下が闇の世界の入り口のはずだ。その天空の剣がきっと役に立つであろう!」
「ありがとうございます」

 想いに応えなければならない。デスピサロが人間を憎む理由があろうと、滅ぼしていい理由になるなんてことはない。ロザリーはそんなことを望んでいないはずだ。ただもっと、できることがあったのではないかと悔やむ思いもある。ロザリーが涙など流さず笑って生きている世界だったら……と、以外もきっと思っているはずだ。

「今日はこの天空城で休んでいき、英気を養うといい。なあに、進化というのはすぐに遂げられるものではない」

 確かに、ここに至るまでかなり体力を消耗した。お言葉に甘えて、今日は天空城で休み、万全な状態で最終決戦に臨むことにした。謁見を終えて階段を下り、兵士に案内されて客間へとやってきた。部屋は2つ貸してもらい、男性と女性で分かれる。王宮らしく広く絢爛な部屋にはサントハイム城を思い出して、なんだか懐かしい気持ちになる。
 荷物をおいて武器や防具を取り外し、とアリーナはソファに、ミネアとマーニャはベッドに腰掛けた。久しぶりに座ることができて、足から疲れが抜けていくようだった。そこで身体が疲れていたことを改めて感じるのだった。

「明日には、すべてが終わるのね」

 マーニャが珍しく神妙な面持ちだ。アリーナがぐっと上体を伸ばしながら、そうね、と言う。

「終わったら何したい? あたしは、カジノフリーパス券をもらって、飽きるまで居続ける」

 ミネアはマーニャの言葉に、「カジノフリーパス券なんてあるの?」と問えば、「世界を救った導かれし者よ? それくらい貰えるに決まってるわよ」と、言ってのけた。なんともマーニャらしくて、は笑みをこぼす。

「確かにそうですね。わたしたちはきっと英雄です」
「でしょう? も勇者の奥さんだったら一生働かなくて生きていけるわよ」

 勇者の奥さんという言葉に、の顔が一気に真っ赤になる。そんなの様を見て、マーニャがニヤニヤといたずらっぽく笑む。アリーナが感慨深げに「確かに」と零れるみたいに言葉を紡いだ。

と結婚したら、サントハイムから出ていってしまうんだものね。寂しいわ」
「いえ!!! そうと決まったわけではありません!! ずっとアリーナ様のお傍に………!!」

 反射的にソファを立ち上がり、拳をギュッと握って力説する。しかし言いながらの中に、底知れぬ不安が広がる。
 ――この旅が終わったら、どうなってしまうのだろうか。自分のこともそうだが、それよりもはどうするのだろうか。はどこへ帰るのか? 彼の村はもう、ない。彼の帰りを待つ人はいないのだ。育ててくれた親も、大切な幼馴染も。ではこの天空の世界で生きていくのか。との関係は一体、どうなるのだろうか。

?」

 いろんな事を考えるあまり固まってしまった。アリーナが名を呼ぶ声で我に返る。

「申し訳ございません。なんだかいろいろ考えてしまいました」
「無理もありませんね。水晶には、不安に思っていることを共有すると吉、とありますよ」
「……わたし、少し出てきます!」

 居ても立ってもいられず、は飛び出る。ぱたん、と扉がしまったあと、マーニャが「ミネア、ほんとにそんなことでてたの?」と聞けば、ミネアはイタズラっぽく微笑み空の両手のひらを見せた。彼女の手元にはそもそも水晶などなかった。
 一方はそんなことを知る由もなく、男性に宛てがわれた客間の扉をノックした。中から出てきたのはクリフトで、神官帽と神官服を着ていないラフな格好だった。

「ああ、どうしました?」
「急にすみません。はいますか?」

 さん、とクリフトが部屋に向かって呼びかければ、すぐにが顔を出した。も装備をつけていないラフな格好で、その姿が物珍しくてとても新鮮な気持ちになる。と代わるようにクリフトは部屋の中へと入っていった。

「どうかした?」
「はい、あの、少し時間よろしいでしょうか」
「もちろんだよ。ていうか、おれもと話したかったんだ」
「それはよかったです」

 じゃあ行こうか、といって部屋を出て、他愛のない会話を繰り返しながら天空城を目的もなく彷徨う。このささやかな幸せの時間をお互いが噛みしめる。やがて城郭の先に雲海を見渡せる眺望の良い場所を見つけて、二人は雲海を見渡す。

「……いよいよ明日には、最終決戦だね」
「はい。ここにくるまでにいろんな事がありましたね」

 サントハイム城を飛び出したアリーナのお供として一緒に旅立ったことが遥か昔に感じる。初めての世界、初めての冒険。大好きなみんなと一緒だから、毎日楽しくてワクワクしていた。アリーナが武術大会で優勝し、世界を見聞する旅の中で、パテギアでクリフトが生死を彷徨い、そこでたちと出会った。勇者と、導かれし者の一人、。彼のことを好きだと自覚するのには時間がかかったが、もう今ではと離れるなんて考えられなかった。はどんな気持ちで今いるのだろうか。過去を辿りながら、の横顔から彼の気持ちを慮ろうとするが、それは叶わない。

のことは命に変えても絶対守るからね」

 雲海を眺めながらが言う。

「それはわたしのセリフです。わたしたち導かれしものは勇者であるのためにいますが、勇者は、世界の皆さんのためにあるんですよ」

 すぐそばにいるのに一番遠い。の恋人は、世界を背負っている。間違っても、を助けるために命を投げ売ってはいけない。

「あのね、こんなこと他の人に聞かれたら怒られちゃうから絶対に内緒だけど」

 雲海に向けられていた視線がゆっくりとに向けられて、凪いだ水面のようなの碧い瞳に捕らわれる。明日最終決戦を迎えるとは思えないほど底抜けに穏やかだった。

「おれが救いたいのはなんだ。を救うことが世界を救うことに繋がるってだけで、おれは今から世界を救うんだ、なんて実は考えてないんだ」

 思わず何度か瞬く。彼は今、勇者ではなく、一人の男として想いを紡いでいる。の心臓がざわめいて、忙しなく動く。のポカンとした顔に、はふっと表情を緩めて、頭に優しく手を置いた。

「軽蔑した? 勇者失格だよね。でもそれが本心なんだ」
「あ、いえ! 軽蔑なんて、ただ、ちょっとびっくりしました。そんな風に言ってくれるなんて思わなくて」
「だからおれ、のことばっかり考えてるんだよ。は知らないだろうけどさ」

 彼の言葉がの鼓膜を優しく撫でていき、じんわりと滲んでいくように心のなかに温かいものが広がっていく。世界中の皆さん、ごめんなさい、と心中で謝る。の言葉が嬉しくて仕方ない。この旅では、から両手で持ちきれないくらい沢山の宝物をもらった。そして今また宝物が増えた。少しは返せているだろうか。

「……わたしだって、のことばっかり考えてます。先ほどだって、旅が終わったあと、はどうするんだろうってすごく考えました。今までのわたしは、真っ先にアリーナ様のことが頭に浮かんでました。でも今ではが一番に浮かぶんです。はわからないかもしれないですけど、こんなことって、本当にわたしにとってはすごいことなんですよ!」

 熱のこもったの言葉ののち、頭に添えられていたの手が肩へと滑り、そして磁石がくっつくようにぴたりと抱き寄せられる。

「それがとてもすごいことだってことは、勿論おれも分かってるよ。どれくらいがアリーナのことを好きかってこと、ちゃんと知ってるから」

 心臓の音が伝わりやしないかと心配になるくらい、深く早く心臓が動く。また"好き"が積もった。どんどんと積もっていき、体中が埋もれてしまいそうだ。

「ねえ

 身体が離されて見つめ合うと、が低く囁きかけるように言葉を紡ぐ。

「デスピサロを倒して世界に平和を取り戻したら、どうかおれと結婚してほしい」

 突然のプロポーズに、の頭はかつてないほど混乱していた。夢か、幻か、分からなくなるほどの衝撃がの身体を奔っていく。頭の中でぐるぐると同じ言葉が駆け巡り、それを理解しようとするのだが、なかなかできない。正確に言えば理解はできているのだが、あまりに衝撃的だったもので、飲み込めずにいる。

「おれの帰る場所になってほしい。絶対に生きて帰るんだって理由になってください」

 言葉は出ないが、ぽろぽろと涙が零れていく。何も言葉を発さないに、は不安そうに眉を下げる。

? ごめん、まだ、そこまでは考えてなかった?」
「違います! そうじゃなくて、嬉しすぎて、その……いいんですか? わたしなんかと」
じゃなきゃだめなんだよ。さっきもいったでしょ、おれはのためにいるんだ」

 胸が苦しい。は堪らずに抱きついて、顔を身体に埋める。が応えるように抱きしめ返す。
 大好きで仕方ないが、世界を救う勇者のが、結婚してくれと言ってくれている。幸せすぎて何か悪いことが起きるのではないかと思うくらいの幸せが全身を包み込んでいく。答えなんて、一つしかない。

「結婚したいです、、大好きです、世界を救ったあとも一緒に、いたいです」
「当たり前だよ。絶対に生きて、誰も死なずに帰ってこよう。そしたら結婚式をしないとね」

 絶対に生きて帰る、誰も死なせない。この言葉が色濃く胸に染みていく。
 彼の想像する未来の中で、隣に立っていることがとても嬉しい。これから沢山の時間を共有して、暮らしを営んでいく。そのための約束。を守り、みんなを守り、絶対に勝つ。そして、彼とともに人生を歩んでいく。
 の指が、の片耳についたから貰ったスライムピアスをいじくる。

「指輪、作ろうね」

 は顔を上げて、の片耳についているスライムピアスを同じようにいじくる。顔が近くて少し気恥ずかしい。

「このピアスで十分ですよ」
「ピアスだと男避けにならないからさ。指輪をしていたら多少は抑制できるでしょ? 結婚してるんだって諦めるはず」
「いやいや、わたしに男の人なんて寄ってきませんよ」
「くるよ。現におれは、まんまと吸い寄せられたからね」
「ふふ、そう考えたらに女の人が寄ってこないように指輪は必要ですね」
「そうでしょ?」

 今だけは明日のことを、世界のことを忘れてお互いのことだけで頭を埋め尽くしたい。そんな願いに応えるように天空でのひとときはそれぞれの想いを乗せてゆっくりと流れていった。