留守番というのは初めてで、することのないこの幽霊船の中で時間を持て余していた。かといって、ついていってもやれることはない。せっかく魔法を覚えたというのに、今の自分は身体が透けてふわふわと空間を漂うただの幽霊だ。しかしまさか自分が幽霊になる日が来るなんて、思いもしなかった。この世界に来てから思いもよらないことの連続だ。

「ここのところ、ずっと気が抜けない日々だったから、たまにはいいんじゃない?」

 唯一の話し相手であるフェアリーが言う。「そうだね」とも返す。疲れも溜まっていたし、その結果体調を崩してしまった。今は幽霊になっているため、体調の悪さは全く感じないが、このまま時間の経過とともに体調も良くなってくれればよい。足を引っ張ることだけはしたくない。
 それにしてもこの幽霊船では、一体何が起こっているのだろうか。

「この船自体がさ、幽霊に乗っ取られているのかな。それに精霊も囚われていて、微かな精霊の気配がするとか」
「可能性はあるわね」
「てことはさ、この船の舵を取ってるのも、幽霊なのかな。魔物を退治したらこの船はどうなっちゃうのかな」

 一瞬、この船がもろとも消えていくさまを想像して、は身震いする。
 それから暫く、音のない世界で暇を持て余していたが、ついに限界を迎えた。

「だめだフェアリー、暇すぎる。幽霊だったら魔物から攻撃される心配もないよね、みんなのところに行く!」
「そうね。私も精霊の気配が気になるし、行きましょう。こっちよ。甲板の方かしら?」

 フェアリーの感じるかすかな精霊の気配を頼りに船内を歩いていく。船内は、眠りに就く前と比べて、かなり損傷していた。これが本来の姿なのだろう。床や壁に穴が空いていたり、本棚の本は床に散らばり、とにかく海の上に浮いているのが不思議なくらいだ。
 船内にはゾンビのような魔物がウロウロしていて、一瞬身構えるも、自分が幽霊だということを思い出して、少しドキドキしながらも魔物の横を通り過ぎていく。攻撃されることはなかった。そして、甲板へと続く、軋む階段を一歩一歩慎重に昇っているときだった、急に身体に感覚が戻ってきたのだ。自分の両掌を見ると、もう透けていない。きちんと肉体が存在している。フェアリーがふわりと出てきて、を見て言う。

、呪いが解けたみたいね!」
「やっぱり!? ってことは、呪いのもとを倒してくれたんだ!」

 は早足に階段を駆け上がると、甲板にたどり着いた。空は薄暗かった。甲板には仲間たちがいて、そして頭上にはコウモリのような姿の何かがいて、言葉を発している。

「よくぞ我が迷える魂を開放してくれた。仲間の呪いも解けたであろう」
「あれは、闇の精霊ジェイドさんよ!」

 フェアリーはジェイドの元へと飛んでいった。

「みんなー! お陰様で元の姿に戻ることができたよ!」

 は手を振りながら仲間たちのもとへ駆けていくと、の姿が元に戻ったことを見て女子メンバーが駆け寄り、抱きしめてくれた。

「よかったわね、!」
「ありがとうアンジェラ」
「体調はいかがですか?」
「なんかすっかりよくなったよ。ありがとう、リース」
「しんぱいしたでち!」
「ごめんねシャルロット」

 アンジェラやリースの肩越しに男子メンバーと目が合う。皆一様にホッとしたような顔で見守ってくれていて、は微笑み返した。
 と、フェアリーとジェイドの会話が耳に入ってきたので、女子たちは離れて耳を傾ける。

「でも、ジェイドさんがここにいるということは、闇のマナストーンもこの船の中に?」
「いや、闇のマナストーンは失われし石。もはや現世には存在しないだろう」

 闇のマナストーンは現世には存在しない……とはどういうことなのだろうか。ジェイドは説明を続ける。

「かつて世界大戦が起こり、古の神獣以来、世界が二度目の危機を迎えたときに、闇の力が増大し、闇のマナストーンだけ封印が解けてしまったのだ」
「では、闇の神獣が!?」

 フェアリーも知らなかったのだろう、驚愕をあらわにする。

「いかにも。大昔、人間たちは古代魔法と呼ばれる呪法によって、マナストーンのエネルギーを平和に使っていたが、やがて人々はエネルギーを奪い合うようになった。闇の魔物たちはここにつけこみ、世界を戦乱の渦へと巻き込んでいった」
「光の司祭も同じことを言っていたな……」

 デュランがポツリと呟いた。

「ついに闇のマナストーンの封印が解け、神獣と闇の魔物たちにより世界は滅亡寸前にまで荒廃した。それ以来、マナストーンは失われ、すみかを無くした我が魂は、こうしてさまよえる幽霊船となり、長い『時』を航海してきたのだ」
「その後、闇の神獣はどうなったの? 滅亡寸前で回避できたのはなぜ?」

 フェアリーが問うが、ジェイドは頭を振る。

「……わからない、なぜか忽然と、闇の神獣は魔物たちとともに消えてしまったのだ。それから長い年月が過ぎ、世界は蘇った。だが、闇の神獣は消えたわけではない。おそらくこの世界とは別の異世界で、再びマナストーンに姿を変え、この世界のどこかに影を落としていることだろう」
「だとすると、人間たちにはマナを減少させる方法がないのに、こんなにもマナが少なくなってしまったのには、闇のマナストーンが関与している可能性があるわね」

 フェアリーの言うとおりだ。闇のマナストーンの存在が関わっているのは、きっと可能性として高いだろう。ジェイドにはまだまだ聞きたいことが沢山あった。しかし―――

「魂が解放されたので、この船も消えてしまうようだ」

 ジェイドの言葉に、は想定していた恐ろしい事態を思い出す。やはり船自体が消滅してしまうということか。

「そんな! わたし泳げないよ!!」

 の悲鳴も虚しく、まもなく幽霊船は音を立てて消えていき、そして皆、悲鳴もろとも漆黒の海に引きずり込まれていった。

+++

 意識がすっと戻ってくる。それと同時にやってきたのは、地鳴りのような音と振動と、下半身に感じる不快感。は薄っすらと目を開けると、砂粒が視界に入る。まさかまた砂漠!? とはがばっと上体を起こす。

「砂漠じゃない……砂浜? どうして……あっ」

 見渡せば、ここは砂浜で、あたりには仲間たちが同じように打ち寄せられていた。数を数えて、みんながいることを確認する。島の奥には大きな山が聳えていて、地鳴りの正体はあの山なのだろうか。それから自分のすぐ後ろには海が広がっていて、不快感の正体は、押し寄せる波に下半身が浸かっていて服が濡れているからであった。
 なぜこんなことになっているのか、少し考えを巡らせて、こうなった経緯を思い出す。幽霊船が沈没して、皆海に放り出されたのだ。そして幸運にも、皆生きて同じ砂浜に打ち上げられているのだ。と、そこまで考えて、生きているかどうかわからないことに気づく。慌てて立ち上がり、皆の生死を確認する。一人ひとり揺さぶり起こせば、幸いにも皆が生きていた。
 皆、身体についた砂を払っていると、再び地鳴りが響き渡る。アンジェラはこの島に聳える大きな山に目をやり、目を見開いた。

「もしかしてここは、火山島ブッカ?! あの様子じゃ噴火が近そうだわ。なんとか早くこの島から脱出しないといけないわ!」

 言われて山に目をやると、確かに今にも噴火がしそうな様子であった。この近さで噴火すれば、今度こそ、皆命の保証はない。一難去ってまた一難とはまさにこのことだろう。

「島を捜索して、脱出方法を探しましょう」

 リースの言葉に皆頷いて、島の捜索が始まった。砂浜からは一本の道が伸びていて、道の脇には緑の草が人の背丈ほど生い茂っている。脱出する方法は、の頭では船を見つける以外考えられない。もしこの島に何者も住んでいなければ、勿論船もないだろう。ともすれば……と、考えてその考えを振り払うように頭を振った。
 人間の姿は発見できていないが、魔物は存在した。宙を浮く不思議なツボのようなものに入った、茶色いタコのような生き物だ。ダークプリーストというらしい。惚けたような顔をして、強い魔法を放ってくる厄介生物だった。
 どんどんと地鳴りの感覚が短く、強くなっていく。それに伴って焦りも強くなる。一向に島からは手がかりが見当たらない。

「まずいな……」

 デュランが焦りを滲ませてつぶやく。海で濡れた服は、この島の暑いくらいの気温ですでに乾いている。はかけるべき言葉を考えて、けれどなにも出てこなかった。と、少し先に、木でできた門のようなものが見えてきた。何やら文明のようなものを感じる。は思わずデュランの服の裾を引っ張り、前方を指差す。

「ねえ、見て、門がある! 誰かいるかも!」
「本当だ!! 早く行ってみよう!!」

 なにか手がかりがあるかもしれない。皆で走り、その門をくぐり抜ける。するとそこには、集落のようなものが広がっていた。麻のようなものでできた三角錐のテントが至るところに点在している。そしてそのテントの近くに、ダークプリーストがたくさん存在している。ダークプリーストは、たちの存在に気づくも、特に襲ってくる気配もない。
 ケヴィンが構えながら、困惑をそのまま口にした。

「こんなにいっぱい、なんでモンスターいる? ここに食べ物いっぱいあるのか?」
「彼らからは敵意が感じられないよ。襲ってくる様子もないし、試しに話しかけてみましょう」

 フェアリーが現れて提案する。たしかに、普通の魔物だったらとっくに襲ってきているだろう。慎重に近寄っていくと、ダークプリーストが声をかけてきた。

「人間とは珍しいぎゃー。ここはダークプリーストの村ぎゃー」
「こんにちは、あの、言葉を話せるんですね」

 おずおずが話す。

「そうぎゃー。ワシらはここで生活してるぎゃー。外の奴らは、血の気が多いぎゃー。ワシたちは違うぎゃー」

 確かに、村の外で出会ったダークプリーストとは違って、言葉も通じるし、文明も築いている。さも当然かのようにダークプリーストは言っているが、これってかなり凄いことではないだろうか。もしかしたら、世界のどこかには魔物と人間が共存する場所もあるのかもしれない。と思いつつも、は「そうなんですね」と集落を見渡す。集落の真ん中には、トーテムポールのようなものが作られている。宗教のような概念も存在するのだろうか。と、考えつつも、は言葉を続ける。

「わたし、魔物さんと初めて言葉を交わせたので、ちょっと感動してます。……なんだか噴火が近そうですけど、皆さんは逃げないんですか」
「今回の噴火はめちゃくちゃ大きそうぎゃー。逃げたきゃ逃げるがいいぎゃー。ワシらは自然の流れに逆らわないことにしてるぎゃー。死ぬときゃ死ぬ!」
「そんな……」

 さも当然かのように言うが、なかなかの覚悟だ。今なら逃げることだってできるのに、自然とともにあり、死すら受け入れるという。一緒に逃げましょうということは簡単だが、彼らの信じるものを否定することなんてできない。

「もし逃げるんだったら、島の西に海のヌシが住む洞窟があるぎゃー。もしかしたら助けてくれるかもしれないぎゃー」
「……ありがとうございます」
「ちょっと待つぎゃー。これ、持ってくぎゃー」

 ダークプリーストは壺の中からぱっくんチョコとはちみつドリンクを出して、に渡した。それから、洞窟への道順を簡単に説明してくれた。ダークプリーストの心遣いに、の胸が温かいもの満たされていく。

「ありがとうございます。皆さん、どうかご無事で」

 頭を下げて、ダークプリーストの村をあとにした。目指すは島の西にある洞窟だ。
 ダークプリーストの案内を頼りに、足早に島の西側ヘと向かっていく。途中ケヴィンがちらと後ろを振り返った後に、に言った。

「オイラ、初めてモンスターと話した。びっくりした」
「わたしもびっくり。一緒に逃げられればよかったんだけどね……」
「きっと逃げないと思う。オイラ、なんとなくわかる」
「そうだよね……。まあわたしたちも、海のヌシに頼るしか方法ないし、生きて脱出できればいいんだけど」
「なんだか危険なニオイがしてきた。急ごう!」

 ケヴィンの言う通り、火山の噴火は迫ってきているようだ。地鳴りが大きくなり、今にも噴火しそうな様子だ。皆こんなところで死ぬわけには行かないのだ。
 殆ど走りながら、島の西側の最端へとたどり着くが、洞窟の入口らしきところには、大きな岩がいくつも積み重なっていた。ケヴィンが岩の隙間から匂いをかぐと、潮の匂いがするらしい。ここが入り口なのは間違いなさそうだが、この岩を退けるのは至難の技だ。
 すると、土の精霊ノームが現れて、洞窟の入口の岩の周りをふわりと飛び回る。

「わひゃひゃ! 以前ここには洞窟の入口があったようじゃ。きっと火山の噴火でふさがっちまったんじゃろう。ちょっと待て、今開けてやるわい」

 ノームがあっという間に大きな岩を退かして、人が余裕で通れる隙間を作ってくれた。
 一同はノームにお礼を言うと、洞窟の中へ足を踏み入れた。薄暗い洞窟内は、ウィル・オ・ウィプスが照らしてくれて、慎重かつ足早に進んでいく。すると、一番最深部は岸辺に繋がっているようで、岸を背景に何やら人の姿が見える。敵か、味方か、照らし出された姿を見て、たちは息を呑む。
 白髪の髪を後ろに流して、着ている服はドラキュラにも似ている。そしてその目は、赤い。エリオットをさらったものの特徴は、不気味な赤い目の男だ。嫌でも思い出してしまう。

「私は邪眼の伯爵。黒の貴公子様の予言に従い、貴様たちを始末しにきた」

 どうやら敵らしい。黒の貴公子の予言に従い……ということは、美獣同様、黒の貴公子に仕えているのだろう。リースは殺気を漲らせながら、槍を構える。

「エリオットをさらったのはあなたね! エリオットを返して!!」

 邪眼の伯爵は「ほう」と、リースを見定めるように上から下まで見遣った。

「お前がローラントの王女か。ローラントの王子は、返すわけにはいかない。黒の貴公子様が彼を必要とされているのでな」
「黒の貴公子とは何者なの? エリオットをどうしようというの……!」
「お前達は知らなくても良い事だ。どうせ生きては帰れぬのだからな。間もなく火山の噴火が始まる。出口も封じた。生き埋めになって死ぬが良い。クックック……」

 リースの問いには答えず、邪眼の伯爵は姿を消した。と、同時に、今までとは段違いの地鳴りが地底深くから聞こえてくる。いよいよ火山が噴火するようだ。慌てふためき辺りを見渡すも、何の打開策も見当たらないし、頭が真っ白になって何も浮かばない。と、そのとき、遠くの方から光が差し込んだ。その光に浮かんだシルエットは、巨大な生物が海に浮いている。その生物は泳ぎながらたちの近くに寄ってきた。見た目は亀のようで、目にはゴーグルを嵌めていて、愛らしい顔をしている。こちらを攻撃してくる気配はない。それどころか、乗れと言わんばかりに背中の甲羅を寄せてきた。

「もしかして、海のヌシ!? 助けてくれるのかな」
「考えてる時間はないな! 乗ろうぜ!」

 の言葉に、ホークアイはの手を取って一緒に甲羅に乗り込んだ。轟音が鳴り響く中、他のメンバーも乗り込む。すると、亀のようなものはこの岸辺を脱出して、間一髪大海原へと泳ぎだした。甲羅に乗りながら振り返れば、火山がものすごい勢いで噴火して、真っ赤な溶岩が島を飲み込んでいた。どうかダークプリーストたちが無事であるように、と祈らずにはいられなかった。